読書の日記(6/13-19)

2022.06.24
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卵の破裂、舞城王太郎、新庄剛志/EMS無料体験/『失われた時を求めて』5巻終わり/生命力の欠落、ファミレス/植本一子と滝口悠生の往復書簡を読み始める/フィクションのエル・ドラード、『燃やされた現ナマ』、フアン・ホセ・サエールが近刊/塩麹鶏肉とキャベツの煮物、舞茸の炊き込みご飯、ほうれん草と仙台麩の和え物/All Tomorrow's Parties/ソドムとゴモラ、100年後のプルースト/珈琲館、Square、VTI、トップガン

抜粋

6月13日(月) 

夜になって一緒にスーパーに出たときもその話になって遊ちゃんはけっこうショックを受けていた。僕は今日もカレーをつくろうと思って豚肉を見ながら「高っ!」とか言っていた。ごぼうが残っているからごぼうのカレーと思ってついでにれんこんだ、と思ったられんこんが飛び上がるくらい高くてさらに大きな声で「高っ!」と言った。じゃがいもひとつ分くらいの大きさのれんこんが500円とか600円とかして、高級食材かと思った。とにかく遊ちゃんは卵をそうしてしまったことにショックを受けていて命をダメにしてしまったと感じた、そう思うとちょっと気持ち悪くなる感じがあった、もう食べられないかもと言って僕は遊ちゃんが卵を食べられなくなるのは悲しい、遊ちゃんにとって卵は大切な食べ物だからだ、「恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない」、これは僕はずっと持っている舞城王太郎の教えだ、それから新庄だ、野村佑希が鼻にデッドボールを食らった試合の後に新庄は鼻が折れたんじゃないか、でも鼻だから大丈夫でしょう、明日も出られるでしょう、と言ってそして野村は実際翌日の試合に出てきて活躍した。ここにあった新庄の配慮は間をあけることでボールへの恐怖を増殖させてしまわないように、恐怖の源の場所にすぐにまた立ち戻らせる、というものだった。舞城と新庄。舞城剛志と新庄王太郎。あるいは舞庄と新城。舞庄剛太郎と新城王志。このふたりの教えを思い出したので明日はまずスクランブルエッグをつくってみたら? と提案した。遊ちゃんがまた卵を食べられますように、そして今度ゆで卵をつくるときはきちんとタイマーを掛けられますように。愛は祈りだ。僕は祈る。

6月14日(火) 

帰り、混んだ電車で一生懸命開いたりめくったりしながらプルーストを読んでいたら5巻がおわった。ゲルマント公爵夫妻、スワン、語り手の4人がいて、夫妻は早く晩餐会へと出掛けないといけない。スワンとのんびり話し続ける妻に夫はかっかしている。いよいよ急き立てて馬車に向かおうとすると妻の靴が黒いことに気がついて赤いドレスなんだから赤だろう、早く履き替えてきなさい、と言って妻は舞台から去る。夫は饒舌だ。すっかり腹ペコとのこと。「八時五分まえ! やれやれ! 女というものは! こんなことをしていたら二人とも胃をわるくしてしまう。家内は思ったほど丈夫じゃないんですよ」。スワンはついさっき自分は病気でもう長くはないのだと話していたところだ。
公爵は死にかかっている男のまえで自分の妻や自分の不調を話してもすこしもばつがわるくないのであった、なぜなら、自分たちの不調のほうがもっと自分に関係しているので、いっそう重要だと思われるからであった。だから、私たちをていよく追いはらってしまったあと、馬車のドアから傍白式に、といっても大音声で、すでに中庭のほうにあゆみさったスワンに、こう叫んだのは、公爵のそだちのよさと元気のよさによるものでしかなかった、
「それにあなたはね、まいっちまってはいけませんよ、医者たちの暴言に、べらぼうな! やつらはでくの坊だ。あなたはポン=ヌフのようにびくともしないんだ。われわれみんなの最期を見とどけてくれるんですよ!」 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈5 第3篇〉ゲルマントのほう 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.508
暗転。最後の長台詞と人の動きの展開は一幕が終わる感じがあって一巻の終わりにふさわしすぎるくらいにふさわしい感じだった。まさかこんなに読み続けるとはなあ、と思う。早く6巻も読みたいから驚く。電車はまだ走っているから冒頭に戻ってパラパラ読んでいた、祖母が死に向かっている。ママが泣く。フランソワーズがふてぶてしく話す。それから語り手はアルベルチーヌに口づけをする。語り手の目は、鼻はつぶれ、だから視覚も匂いも味わいも消失し、「こんな厭うべき捺印によって、ついに私は自分がアルベルチーヌの頬に接吻しているところだということをさとった」。
この小説は本当に面白いなあ! と思う。
ビールを買って帰ると遊ちゃんがちょうどスーパーに本搾りを買いに行くところだったので一緒に出てビールを買った。夜は雨が降り出した。

6月15日(水) 

僕はまったくダメだ。4時前に布団を出るとビールを飲む。テーブルに置いていたぬるいビール。飲みたいとかじゃなかった。酔いが眠気を連れてきてくれないかという算段だ。そして滝口悠生を、インゴルドを引用する。外で鳥が鳴き始めた。4時45分。このまま起きているのも一興だと思う。

6月16日(木) 

それから箱そばを経由しつつこつこつ働く。なんかずっとすごくこつこつとしたことをやっていた記憶。あまり覚えていない。途中でB&Bに福利厚生本でリクエストされたやつがないかと思って探しに行ったが売り切れたところらしくなく、代わりに水声社のフィクションのエル・ドラードシリーズの新しいものが目に入った、リカルド・ピグリアの『燃やされた現ナマ』というやつだった、ピグリアは前の『人工呼吸』は読んだのだったか途中で頓挫したのだったか、どうだろうと思いつつフィクションのエル・ドラードは全部揃えることにしているし面白そうな感じだったので買った。刊行リストを見ているとフアン・ホセ・サエールのやつが近刊となっていてとても楽しみ。読んだことのないサエールの作品がまだある、というのがうれしい。『孤児』を超えることはないだろうとも思うけれど。

6月17日(金) 

一日中だらーっとした心地のまま働いていて今日は大谷翔平の登板試合だった、一球速報とかを見ながら試合の状況を追っていると「フランス」という選手が登場した。いい名前と思って選手情報を見に行ったらファーストネームは「タイ」だった。タイ・フランス。という名のアメリカ人。はて、タイ、フランス、アメリカ、全部国旗が赤白青だ。これはDSの陰謀だろうか。ところでタイはタイラーらしくタイラー・ローレンス・フランスだ。タイ・フランスとタイラー・ローレンス・フランスだとずいぶん印象が違うものだ。彼は毎年打率が高い。

6月18日(土) 

巻頭が「さて」から始まる感じとか、迂遠な感じとか、なんだかことごとく面白い書き出しだなと思って顔がにやける。にやけたあと、これまでこういう書き方、読者に対して話しかけるような書き方ってされたことはあっただろうかと思って、そしてプルーストは誰かに読まれようと思って書いていたんだと思うと、そして僕もまたプルーストのこの呼びかけの対象になっている、100年とかを経てプルーストの声が今ここに届いている、そう思うと感動が湧き起こるような感じもあった。プルーストの没年は1922年だから100年が経ったわけだ。

6月19日(日) 

スーパーでトマトとオクラと人参としいたけとまいたけとうどんを買って帰り、龍馬を飲んでいる。中途半端に仕事をし、見ようと思った映画も見ず、いったい何を楽しみに生きているんだろうなという気持ちになっていってよくなかった。しばらくうだうだしてからひじきときのことかの煮物をこしらえ、トマトとオクラとキムチの和え物をつくった。それから思い立ってコンロの掃除を始めてマジックリンを噴霧して汚れを入念に取っていった。料理も掃除もセラピーとしておこなわれている感じがある。きれいになってすっきりした。
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