抜粋
5月23日(月)
庭は花盛りだったという4月とは様子がまた変わって緑がより強くなっている。列になっているスイセンの葉は手前から倒れていてドミノ倒しみたいだ。ここから茶色くなっていくのだという。今はシダが盛りだと母が言ってたしかにそこらじゅうにギザギザした葉がある。花の少ない中で緑のもみじの葉のすぐ横のけっこう高いところに大きな真紅のバラがすっと咲いていてその姿は気高い。
午後は佐藤くんと長々とマニュアルの検討をしてけっこう大変な作業だった、そのあと夕方からマキノさんとシフトの相談やいくつかの相談をして今日はよく話す日だった。それは僕は嬉しい感じがあった。相談されたがっているんだなというのを感じる。まだ明るい時間、庭の物干しの下を猫が通ったのを見た。赤い首輪をつけていた。部屋の中の僕をじっと見て、僕も見返した。ああ猫、猫が行ってしまう、と思うが近づいたらもっとすぐにさっと逃げただろうから身動きせず見返すしかなかったあの時間が正しかったというわけだ。猫をもっと見たい。
5月24日(火)
午後もいろいろ。夕方からは「確認」についてのマニュアルを書いていて「確認」は立派なタスクで「確認」は課される側にも実は難しい仕事でだから「確認」を求めるときはこういうことに気をつけながらやりましょうというマニュアルで実際「確認」というのは危うい言葉で「確認してください」だけだと実はほとんど何も言えていない。「確認してください」は「査収してください」かもしれないし「承認をください」かもしれないし「精査してください」かもしれないし「アドバイスをください」かもしれないし「フィードバックをください」かもしれず相当に幅広い。査収とフィードバックはもうまったく別だ。ところで精査するとは具体的に何をすることなのかわからずに書いている。
というそういうマニュアルを書いていて書きながら「確認とは」というマニュアルってすごいマニュアルだなと自嘲気味に思いもするがいま僕はとにかくみんなで仕事を進めるための基盤をつくりまくっているんだなと思う、そしてこれはとても大事なことなんだよなと思う。仕事を進めるための基盤がもし完全にできればそのとき仕事はひたすら自動で回っていくことになる。完全にできるということは望むべくもないからそうはならないにしても、どこまで自動で回せるようにするかだ。ここで掛ける数時間とかが将来の数千時間とかになっていくわけだ。だからとても大切だ。
とか言っていると夕飯の時間になって今日もごちそうさまになる。じゃがいもとそぼろを炊いたやつ、牛皿的なもの、ベーコンとレタスときゅうりのサラダ、アスパラガスのソテー、焼きなすに生姜。ご飯は牛皿と明太子で食べた。味噌汁もおいしかった。明日は僕と遊ちゃんでつくる。なにをつくろうかなと思う。
5月25日(水)
母は今日も草むしり。お昼はパン。遊ちゃんとむしゃむしゃ食べる。お腹いっぱいで午後はおたまさんと打ち合わせ。テイクアウトポスターができる。主に日本語使用者が見る想定の英語表記の難しさみたいな話がおもしろかった。「sweets」はキャンディーとかで使われることが多い印象とのことでなるほどだった。だけど「desserts」だと字面として重い感じが僕にはするし、僕はパッと見たときに直観できなくてどちらかというと砂漠に見える。「alcohol」もあんまり見なくて「beer」や「cocktail」に細分化された語が置かれている印象。あるいは総称するなら「bar drinks」と言っていたか。それだと僕には店内っぽく見える。とかそういう話。こういう話はすごく好物だなと思う。
5月26日(木)
10時半からミーチング。マニュアルの話をする中で今年の内部的なテーマは「迷いなく働けるようにする」みたいなものだった、この「みたいなものだった」からすでにそうではっきりどこかに明示しているわけではないがそういう話を月例会とかで、したよね? と言ったら誰もが「そうだったかなあ?」という顔で押し黙った。どうやら言っていなかったようで僕が一人でテーマにしていただけだった。改めて宣言します、2022年のテーマは「迷いなく働けるようにする」みたいなやつです。
終えて昼まで働き、お昼お昼と思って居間に行くと両親がざるうどんを食べているのを見て同じものを食べたくなったので茹でる。家で食べるときは黄色いザルに上げて茹でていた鍋に引っ掛けて置いて流水で冷やして水を捨てたらそのまま鍋ごとテーブルに持っていく、薬味は半分まで食べると立ち上がってつけ汁のお椀の上で直接生姜をおろすという方式だが、この家では少しずつ丁寧になるらしい、さっき両親がそうしていたように冷やしたうどんは竹のザルに並べていって、生姜は先に薬味皿におろしてその横にはすり鉢ですったゴマまで置いておく。ちょうどタイミングが合ったので遊ちゃんと一緒に食べておいしかった。
5月27日(金)
晩ごはんは薄い肉のとんかつともやしとかのサラダとかで揚げ物だ、バクバク食べて今日も満腹になる。毎日食事をありがとうございましたとお礼を言って明日で帰る。今日が最後なんだから温泉に行ってきたらと母が言ったのでそうすることにして今晩も温泉に行く。歩いていたらお腹がまた痛くなってきてこのお腹は温泉に向けて歩きだすと痛くなるようになっているのだろうか。日中の雨で川は水量が多くなっているようで轟々と音を立てて白い泡を立てて流れていた。7時台の早い時間に歩いていると見たことのない店が明かりを灯していてあちらこちらで営みが続いていた。金曜の夜ということで温泉はいつもより混んでいてサウナは待ちの列ができていたから今日はずっと露天風呂にした。
気持ちよく入っていると雨がぽつぽつと落ち始めて次第に強くなっていく。臆することなく雨に当たり続けられる状況というのは滅多にない、いい機会だなと思ってそのまま露天風呂にとどまり続けて雨は土砂降りになっていく。水面でパチパチと跳ねる無数の玉を見る。頭や肩に降り注ぐ雨を感じる。大雨というのも一様ではなくて途中途中で緩急がつく、ふっと弱まってそしてまた強まって、みたいなことがまだらに起こってこういうのは当たり続けていないとなかなか感じられないことなので面白い。その緩急の感じはどうしてそうなのかはわからないが風になびくシーツという感じだった。
5月28日(土)
気持ちも体も完全に弛緩していてどうしたのだろうか。今日はこれは休日だなと思うが休日というのはその日の調子で決めるのではなく事前に決めたいものだ、なし崩しの休日はどこか寂しいしつまらない心地がつきまとう。せめてと思って荷物から『文學界』を取ってきて布団に寝そべると窓目くんシリーズその5の「レイニーブルー」を読み始める。年の瀬、窓目くんはロンドンに降り立った。窓目くんは昂ぶっているぜ。それを翻訳にかけると「I'm crazy.」と表示された。「隣にいた背の高い白人の男性の視界に窓目くんのスマホの画面が入って、一瞬眉を引き上げて目を見開いた。窓目くんはそれには全然気づかなかった」。
男性は、同行者もいなさそうなアジア人がいったいどういう理由でいまそんな言葉を翻訳するのか訝しんだのだったろうが、カートに大きなスーツケースをふたつ載せた彼の方もやはり同行者はなく、表情のジェスチャーは誰に向けたものでもなかったし、それを目にしたひとは誰もいなかった。彼は、妙なやつがいるぜ、と思ったに過ぎないのかもしれないが、エレベーターを出てそれぞれ別々の方向へ荷物を引いて別れたあと、しかし自分だってときどき、俺はクレイジーだ、とたいした意味もなく呟きたくなることはあるかもな、と思った。こんなふうに長いフライトを終えて旅先のエアポートに到着した直後なんかは、そういうときかもしれない。と思いを継げばさっき横にいたアジア人に急に親しみがわいてきた。彼は、もう窓目くんの姿も見えなくなっていたが、さっきの自称クレイジーなアジア人に向かって心中で、よい滞在をブラザー、と呟いた。
滝口悠生「レイニーブルー」『文學界 2022年5月号』(文藝春秋)p.189,190
5月29日(日)
3時半ごろ獅子田さんから連絡があって店の前に行くと区道から月日のところを曲がった瞬間に看板が目に入って視認性が著しく上がった! 目がたどるべき情報もはっきりとわかる感じでこれがデザインの力だなあ。とてもいい。すごい。看板に満足すると煙草休憩に出、戻りがてらまた看板の様子を見に行くと、なんだか広場の椅子に座っている人全員がフヅクエのドリンクを飲んでいるように見える! 全員なんてことはないが、たくさんの人がレモンスカッシュかアイスレモネードと思しき飲み物を飲んでいる! ちょうどこのくらいの時間というのはテイクアウトが多めになる時間帯ではあるからと言い聞かせつつ、え、これ、看板効果なんじゃないの!? と思うと楽しい気持ちを抑えられない。
そのあとも夜は榮山さんと壁貼り用のやつの磁石の実験とかをして楽しかったです。満足して9時ごろ出ると窓目くんとシルヴィがロンドンの大晦日を過ごしている。シルヴィはハリー・ポッターを見ながら大声で叫んだりシャワーを浴びながら爆音で音楽を聞いているかと思えばそれ以上の大声で歌ったりしていてなんだかものすごい。