読書の日記(4/25-5/1)

2022.05.06
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サウナ、サラダうどん/楽天モバイルの導入/読書の店の市場を創ること/壁打ち、チャプチェ、カンブリア宮殿/ゴールデンウィーク始まる/インゴルドが難しいこと言ってる/思い出すためのトリガー/カスタマーエクスペクテーションとカスタマーサティスファクション/セブンの惣菜/猛烈な疲労/指圧、浜辺で読書、海の小説/『違国日記』/

抜粋

4月25日(月) 

湯船に浸かって首をじっくりと温めたあと、言われた通りサウナに入る。時計がなかったのでどのくらい入っていたのかわからないがじっと座って、ちょうどいいところで出て水を飲み湯船の縁に座って体温を戻し、湯船にまた入り、それからまたサウナ入って汗を流し、ということを3ターンくらい繰り返した。そのあいだ頭はずっと「市場が創造されたとき人の動きはどうなっているのか」ということを考えていて実に勤勉だ。読書の店という市場ができあがったとき、何が起こるのだろうか。どこで本を読もうかなと考えるときに自然な選択肢として家とかカフェとか電車とかに続いて読書の店、と思う状態だろうか、と思う。であるならば、僕はたしかにその市場をつくりたいぞ、という気にもなる。そこで粘ってもっとその市場ができたときの状態を考えるべきだったのだが僕は一足とびに、であるならば、何をすべきか、と考え出してひとついいアイデアが浮かんだ気がした。3度めに入ったサウナでは一緒に入っていた人は黄色い風呂桶をしきりに振って自分の体に風を与えようとしていた。

4月26日(火) 

今日までの僕はワイモバイルの3ギガのプランで昨日で通信速度の制限が入ったこともあったので、楽天モバイルへの乗り換えをしようかとビックカメラに赴く。売り場の方にその相談をすると楽天モバイルは1ギガまでの使用だったら0円、3ギガまでなら980円、20ギガまでが1980円、それ以上は無制限で2980円という、なんというかこれはユーザー目線感あるよな〜という1プランだけの提供で、無制限というのは他のキャリアだと大手キャリアくらいしか提供していなくてそれだと5000円とか平気でするらしい、だからだいぶいいんだけど、デメリットはあってエリアの限定性だ、というところでその回線エリアを調べてみると思ったよりはずっと広範囲をカバーしているように見えて調布はもちろんだし大田原もまったく問題ない、これなら問題はなさそうな気はするが、だけどたしかに空白地帯はあってそこではただただ圏外になる。そう言われると確かにちょっと怖いような感じはして、きっと山間部とかだろうとは思うし僕は山に行くわけではないから問題ない気もするが、でもピンクのエリアを外れたら圏外だと言われたら、無意識のうちに、そこから外れないようになるかもしれない。つまり、楽天の回線エリアが行動を左右することが起こるかもしれない。それは楽天に思考を譲り渡すことだ。

4月27日(水) 

レゴは一時期低迷したが回復を遂げたそうでそのひとつのフックとなったのが大人向け商品の拡充だった、画面に映されるそれらの商品はどれも感嘆するような立派なものでスニーカーとか、ギターとか、スターウォーズの何かとかをつくれるレゴだ。だけどなんだか目的的で嫌だな、という気持ちがあった。正解に向かって積み上げていくというのはなんだか魅力的でない。そもそもレゴっていうのはさ、と、僕も「◯◯はこうあるべき」というのを振りかざす大人になっちまったっていうわけか。not for meというだけじゃないかと思うのだが、でも、だってさ、レゴってさ、そういうんじゃなくてさ、正解がないから楽しいんじゃなかったのかな、手を動かしていった先に何かが現れてくる、そこに喜びがあったんじゃないのかな、それなのにこれじゃあ、パズルじゃないか、と僕は嘆いている。それでチャプチェができてオクラのクミンの和え物ができてアボカドの入った人参のラペみたいなやつができてそれで晩ごはんだ。バクバク食べてどれもすごくおいしい。チャプチェっていうのはいいもんだな。

4月28日(木) 

ずっと家にいると本を読む時間をつくるのが難しいなと思う。仕事中に昨日はドラッカーの『経営者の条件』をちょっと開いてみたり今日は『小さな会社の人を育てる人事評価制度のつくり方』を開いたりしたけれどそれぞれ5分くらいで、そもそもそれは読書というよりは検索に近い行為だった、通勤の時間はやはり便利だと思う。今日もだから食後もずうっとパソコンを見ていてうんうんと考え事をしていた。遊ちゃんが帰ってきて、11時過ぎ、早々に僕は布団に入ってインゴルドを少し読んで、住まうことは「場所のなかにではなくて、道に沿って存在することだろう」。
住まうという概念は小ぢんまりと整った、区画された局所性のニュアンスを帯びていて、動きの原初性にそぐわない。これまで住まうことに重きを置きすぎてきたのかもしれない。今となっては、もう少し軽い、生息〔habitation〕という概念の方が好ましい。私が言いたいのは、歩くことが、生き物が世界に生息する根本的な様式だということである。そして、あらゆる生き物はみずからの動きの線として、あるいはより現実的には、動きの線の束として想起されなければならない。 ティム・インゴルド『生きていること』(柴田崇他訳、左右社)p.48,49

4月29日(金) 

今夜は僕は漫画を読みたくなっている。なのでなんか漫画ないかなと聞いたら遊ちゃんは本を探しながらしきりにパクチーパクパクパクチーパクパク、コリアンダー! と歌っている、遊ちゃんらしいいい歌だなと思っていたら宇多田ヒカルの歌だそうでいい歌だった、それで『うさぎのヨシオ』を持ってきてくれたので食事を終えるとそのまま、机の上の食器もほったらかしたまま読み始めてすごく面白い。メーテルはつげ義春好きなんじゃないかと思ってソワソワするところまで読んだ。それでシャワーを浴びて布団に入ると今度は遊ちゃんのKindleに入っていた『違国日記』を読ませてもらうことにしてiPadを横にすると見開きで読めることが知れて漫画はやっぱりこういうふうな状態で読みたいと僕は思うらしく、これはいい発見だった、それでその状態で、布団に寝そべって、両肘をついて、読み始める。すぐに夢中になって登場人物全員が愛おしい! 2巻で朝がえみりと仲直りをする場面で号泣。早く眠りたかったのだけど眠気なんてまったく近寄ってこない、これは困るぞと思って2巻でおしまいにしてインゴルドを開いたら即寝た。

5月1日(日) 

今日はドラッカーの『マネジメント』を読み始めることにしたらしくて赤い本はいい本だ。開くと「権威に抵抗して自由に行動すべきことを説くことが流行りのようである。とすると本書は流行らない。本書は権利についてではなく責任について論じている。自由に行動することではなく成果をあげることに焦点を合わせている」とあっていい書き出しだ、ドラッカーはこうでなくっちゃ、という明るい気持ちになって電車に揺られている。
店に着いてしばらく仕事をしてから朝ごはんにしようとコンビニに入ると気づいたときには足がビールの棚に直行していて、道理でずいぶんぐんぐん歩いていたわけだと思う。しかし買いに来たのはビールじゃなくて納豆だ。いい加減にしてほしい。
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