読書の日記(4/18-24)

2022.04.29
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大田原ワーケーションウィーク/ストラテジーチョイスカスケード/リョサ、カネマラ、ゲーリックコーヒー/朽ちていく静かな町/軍事の言葉/イースター蜂起、死後の報われ/温泉、自分語りする人/『ある無名兵士の変遷』、センデロ・ルミノソ/吉野家、もやし、なか卯、煮込みうどん/課題の重要度の評価、「いま解くべき問題はどれなのか?」/池袋、ジュンク堂、長蛇の列/『問題発見プロフェッショナル』、『マネジメント』、ロロ『ロマンティックコメディ』/書かれた言葉を頼りにすること/

抜粋

4月18日(月) 

寝る前、居間でビールを飲んでつまみをつまみながらリョサを進める。分厚い小説に挟まれたスピンがだいぶ端のほうになってきて、勢いづいてきたというかぐんぐん進めたいらしい。クライマックスのアイルランドの部に入るとこれまで回想として断片的に描かれてきたアイルランドでの出来事が順を追って語られていってイースター蜂起に至る話だ。「コネマラ」という地名が出てきてアイリッシュ・ウイスキーの銘柄名だと「カネマラ」となっているやつだ、そういえばスペルはAではなくOで、これで「カネマラ」なんだなあと思った記憶がある。それから「ゲール」だ、アイリッシュ・コーヒーをアイリッシュ・ウイスキーではなくスコッチでつくるとゲーリック・コーヒーだと僕は思っていたしメニューにもそう記してしまっているのだが、ロジャーが習っているアイルランドの言語が「ゲール語」ということで、だから僕は思い違いをしていたかもしれないと心配になる。

4月19日(火) 

うろうろと歩き、晴れたが風が吹けば冷たさがある。山はうっすら見えるがくっきりは見えなくて、くっきり見えるのは冬だけだったりするのだろうか。もしそうならば冬がいいと思う。コンビニでコーヒーを買ってちびちび飲みながら、並び、見えるものについてあれこれ話しながら歩く。「目の前にある文字通りの風景(ビュー)を共同構築しながら、二人で見方(ビュー)を話し合う」。『10:04』の一節だ。朽ちていく静かな町を歩いていると祭りの日のにぎわいが非現実的なものに思えてくる、先週は「祭」としていたがやっぱり「祭り」だなと思う、寂れた外観でとっくに店じまいしていると思っていた家具店は、窓ガラスに顔をつけて中を覗くとまだ営業していることが知れて驚いた、窓際に並ぶ照明器具はひと昔ふた昔前のデザインという感じのもので、いったい何年間ここに並べられているのだろうか。どうして営業が続いているのだろうか。それから護岸工事か何かをしているところに貝塚みたいなものがあった、いったいどうしたらこんなことになるのか、土が寄せられてこんもりと山になって雑草が生えているところの表面を食器の破片がびっしりと覆っている。

4月20日(水) 

帰り、遊ちゃんはたちまち寝床に行った。僕はぼんやりと犬猫の動画を見てから『ある無名兵士の変遷 ゲリラ兵、軍人、修道士、そして人類学者へ』を読み始めて緒言を読んでいたらこの本で描かれることがずいぶん先んじて書かれていたからネタバレ嫌いの僕は「ちょっとちょっとw」と言ってスキップして、それで本編を読み始めた。著者は12歳でセンデロ・ルミノソに入ってそれで山をうろうろ歩いていた。センデロ・ルミノソのことはラテンアメリカ小説ばかり読んでいた時期にラテンアメリカの歴史とかも調べたりしていたそのときだったろうか、なんとなく国とか軍とかに対抗して民衆に支持された人たちかと思っていたのだが読んでいるとめちゃくちゃで、農村を襲うし農民からも攻撃されるし敵ばかりだ。さらに内側でも仲間をどんどん殺していく。任務中に居眠りをしたら処刑。食べ物を盗んだら処刑。体調不良で休暇から帰ってくるのが一週間遅くなったら処刑。

4月21日(木) 

夜の早い時間、カレーをいただく。市販のルーを使ったカレーはたまに作りたくなるのだけどルー買って余らせてもみたいに思うと躊躇するところで、だから久しぶりに食べたカレーはありがたくおいしかった。やっぱりこういうカレーたまに食べたい。テレビでは羽田空港の清掃とどこかのホテルの清掃の特集がされていてプロの目というのはなんでも楽しいものだなと思う。そこ見えるんだなあ、という感嘆。
で、出、父が駅まで送ってくれた。空はまだ完全には黒くなっていなくて、夕方から僕はだんだんもんやりとした気持ちになっていたのは大田原滞在が終わるからだろうか、何かこの先に向かうべき試練が待っているみたいな気持ちが、それがなんなのかわからないのだけどあるようで、緊張みたいなものも覚えていたし寂しさもあった、遊ちゃんも寂しい寂しいと言っていて来月にでもまた来たいね。
新幹線に乗ると首と肩がモヤモヤとして呼吸が狭くなってしっかり空気を取り込めないような感じになって苦しくなった。マスクのせいだろうか。パニックになりそう。早く時間が過ぎて調布に着いてほしかった。そのためには眠ることが一番だが苦しくて眠れそうにもなかった。本を読んでみたらどうだろうと思って読んでみる。すると即眠っていて本はいつだってありがたいものだ。東京に着いた。

4月22日(金) 

それから、食肉処理場に入って、処理された家畜たちの糞尿にまみれた。街行く人々は私たちのほうを見て、驚いたり、「獰猛な奴らだ」と言ったりしていた。そのまま悪臭を漂わせたまま、午後にランチョを食べた。夜の八時になって、兵舎の横を流れる小川の冷たい水で体を流した。翌日、三匹の犬をナイフで殺し、血だらけになった。オートミールと火薬を混ぜて飲んだこともある。銃撃の練習場では、少し長い導線に火をつけたダイナマイトを皆で手渡したりもした。 ルルヒオ・ガビラン『ある無名兵士の変遷』(黒宮亜紀訳、現代企画室)p.123,124
マジこれいったい何やってんのw 郷里のおっかさんが知ったら泣くぞとも思うがそもそも村を離れたところで泣いている、だからむしろ生存の知らせであるならばそれがいかにバカげたものであろうと嬉しいしおっかさんは嬉しく泣く。
「おたくの息子さんが糞尿まみれになりながらランチョを食べていたのを見ましたよ! 犬を殺して火薬を飲んでいましたよ! ダイナマイトで遊んでいましたよ!」
スーパーでうどんとネギと白菜と豚肉とビールを買いましたよ! その値段を見ると一瞬なか卯に行ったほうがよっぽど安いなと感じるのだが、でも肉は4食分とかだしビール2本も入っているし、と思って自分を納得させる。家に帰ると遊ちゃんもちょうど仕事を終えたところらしくヘトヘトだ、僕はビールを飲んで、今週はまだメルマガの配信を完了させていなかったから、酔っ払ったりもうダメになったりする前にやっつけないとと思い、部屋で作業。それが済むとシャワーを浴び、白菜とかを煮ているあいだに野球ハイライト&プランク。日ハムがソフトバンクに大勝した。

4月23日(土) 

今日は「世界 本の日」という日らしく、だから僕の今日はけっこう正しい日だ、セルフレジで買った本を「万引きじゃないですよ、ちゃんとレジ通しましたよ」という顔をしながらリュックに詰めると東京芸術劇場のシアターイーストに行ってロロの『ロマンティックコメディ』 を見た。
始まって終わるまでに何度か泣いていた。誰かが何かを好きだと思う、その気持ちや姿というのは本当にいいなと何度でも思う。それが爆発したのが最初のねえと最後のしろいろで、二人が好きなものについて語る、あるいは語りきれない、その姿に僕は強く感動していた。語りきれなさ、感想というものの難しさ、人はつねに愛するものについて語りそこなう、そのことに愛おしい眼差しが注がれ続けた舞台の真ん中に『読書の日記』が置かれていたのは、僕はこれはけっこう、幸福だなあ、と思う。

4月24日(日) 

でも僕はフヅクエで働いているので一切悲しくない。フヅクエは幸せだ。幸せに働くための、幸せに過ごしてもらうためのルールのメイキングができているからだ。ここは本当に頭の使い甲斐のある場所で、なぜなら幸せであることは何よりも大切だからだ。経営者がその幸せのありかを売上とかだけに設定するのは構わないけれどそれによって働くスタッフや過ごすお客さんにしわ寄せを与えるところがあるならばそのことには徹底して自覚的であるべきだろう。人間が仕事をして人間がそこに時間を使ってくれていることを忘れてはいけない。人間は数字ではない。夕方に川又さんがやってきていいところで帰ろうと思っていたが忙しい日で嬉しい、8時くらいまで一緒に働いて楽しい。たくさんの人が来てくれて全員が本を読んで過ごしていく。見飽きることのない風景が広がっている。僕はお腹が減っていく。落ち着いたので帰り、タンメンの店に行く。よく働いたことを労うためにビールも頼み、だからビールとタンメンとライスの大盛り。ビールを飲みながら『問題発見プロフェッショナル』を読みながらタンメン待ち。このお店は接客がいいというかいい接客をする人が複数いるよなと思って僕がいい接客に出会うと嬉しいのはそこに思考を停止することなく他者を諦めることなく人間としてあろうとする人の存在を感じてそれが嬉しいからだ。人間には人間である以上は人間であってほしいと僕は思うからだ。満腹。
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