読書の日記(2/7-13)

2022.02.18
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人間は知らないものを見ることができない/8時、閉店、冷蔵庫にロング缶があった/誰かが誰かを変だと思うこと/『仮説思考』勉強になる/金柑仕事/『ドライブ・マイ・カー』ノミネート、『親密さ』上映の記憶、フライヤーに書いた言葉/撮影、モデルさん、「かわいい、かわいい」/ひきちゃんと本間くんと/『親密さ』の地下室、ひきちゃんの10年、ボロ泣き/散歩する二人、煮込みうどんをつくる俺/シルビナ・オカンポ『復讐の女/招かれた女たち』/俺たちのNotion、ボードビューという革命/吉田健一『本当のような話』で全身が喜ぶ/K2、発券もウェブサイトも感心する、『何食わぬ顔』/二人組のコンセンサス/持ち時間は月240時間/銀だことい志井/柴崎友香「法と秩序」、踏み越える人/

抜粋

2月7日(月) 

土曜に大地と話しているときに『こちらあみ子』の話になった、誰かが誰かを変だと思う、それは誰かが誰かを評価しているように一見すると見えるけれどそうではない。変だと発語している人間が自身の人間理解の幅みたいなものを勝手に吐露しているだけのことで変だと言われているほうはほとんど無関係と言ってもいいくらいだ。ああ、あなたの尺度だとそこまでなんですね。それがあみ子が最後に男子に突きつけたことだ。僕はその変についてのことを先月とかに初めて言葉にして考えた気がして遊ちゃんが仕事の相手から変わってますねえと言われた話を聞いたときに誰かを変だって言うのってその人の狭量さを告白しているだけなんだよねと言った。それをあみ子に適用したのだと大地と話しながら思っていたけれどもそうじゃなくてあみ子を読んで知ったことなのかもしれない。

2月8日(火) 

閉店し、このコンディションでここからどれだけ仕事をできるだろうと思う。まずロング缶を飲み始めているし先行きは極めて怪しい。ツイッターを見ているとアカデミー賞のノミネート作品の発表の日で『ドライブ・マイ・カー』が4部門でノミネートされた。これってつまり、また僕は涙を流しそうになっている、これってつまり、濱口竜介がアカデミー賞授賞式の会場にいるということでしょう? タキシードとかを着て。なんだろうなこの感動はと何度でも感動しながら思う。よりよく生きようとすること。メールを探したらあった。2013年の12月31日だ、よりによって大晦日の日に僕は長い暑苦しいメールを送っていてそこには「一つの映画が自分に与える影響として、『親密さ』ほどアクチュアルなものは今まで僕の人生においてなかったのじゃないかとすら思います。僕にとってあの映画を見る体験は、よく生きようとすることについて考えることとイコールになりました」とあって上映会をさせていただけないかという依頼のメールだった。快諾していただいて翌年4月19日から25日の一週間、一日2上映、岡山のカフェの半地下で『親密さ』を上映した。フライヤーが出てきた。その裏面には「どんな枠組みの中でなら、私たちは他者と真摯に向き合うことができるのだろうか」とあって上映会への惹句みたいなものが綴られていた。

2月9日(水) 

いつもより30分以上早く起きて猛烈に眠い。家を出て3分歩いたところで鍵を忘れたことに気がつき戻り、せっかく早く出たのに、と癇癪を起こしそうになったが36歳なのでぐっとこらえた。8時台前半の時間に歩いていると小学生とかも歩いていて、小学生は早くから活動しているんだなあと思う。電車もいつもより混んでいて、みんなほんと早いんだなあと思う。混み合った電車の中では『仮説思考』を読んでいた。僕の混濁した頭には何も入ってこない。

2月10日(木) 

弱気の虫のようなものが目の前を羽音をぶんぶん言わせながら飛び交っていて今にも泣きそうだ。今日やるべきだったことをひとつ明日に回し、こうやってやることがどんどん詰まっていく。少し泣く。外に出てぐるっと歩きながら煙草を吸う。白湯をちびちび飲む。1時過ぎ、明日から連休だし早く寝ないとと思って諦め布団に。シルビナ・オカンポ。ひとつひとつとても短いからベッドサイドリーディングにちょうどいい感じがある。いくつか読んでひとつが「マグシュ」というやつだった。「マグシュは、彼の住まい、炭販売店の向かいにある空き家を使って人の運命を占う」。

2月11日(金) 

もう今日は寝ようと思う。布団に入って今日もシルビナ・オカンポと思ったがふと、なんでだろうか、ああ、今日だ、今だ、今がそれだ、そう思って部屋に戻り床に並んでいる本の中から文庫本を見つけだし、本を包んでいるOPPを剥がして布団に戻る。表紙には金の箔押しでタイトルが書かれている、うわ〜、いいのかないいのかな〜、こんな楽しみだったものを今読み始めちゃっていいのかな〜と歌うように思いながらうれしくて仕方がない。「朝になって女が目を覚して床を出る。その辺から話を始めてもいい訳である」、開けばこう始まってすぐに大歓喜。
そこは鎧戸とガラス窓を締めてレースのカーテンに重ねて濃紺の繻子のカーテンを夜になると張るのが東側の窓だけ繻子のカーテンの方が引いてあるのは女がそこを通して朝日が僅かに部屋に洩れて来るのを見るのを朝の楽しみの一つに数えていたからだった。この女の名前が民子というのだったことにする。別に理由があることではなくて、そのことで序でに言うならばこの話そのものが何の表向きの根拠もなしにただ頭に浮かんだものなので従ってこれは或は本当のことを書いているのかも知れない。尤も本当ということの意味も色々ある。 吉田健一『本当のような話』(講談社)p.7
お腹のあたりがぎゅーっと詰まるのを感じて僕の体が喜んでいる。ものすごく喜んでいる。

2月12日(土) 

ショートバージョンは一度見たことがあって今作にも出演している、『親密さ』では歌を歌っていた岡本さんは岡山の人だった、店によく来てくれてたまに話していた、レトロスペクティヴのチラシを持ってきたのも岡本さんでだから渋谷のオーディトリウムの特集上映のチラシが岡山のカフェに置かれていたわけだ、それで岡本さんがLOAD SHOWという映画の配信サービスを立ち上げて『何食わぬ顔』のショートバージョンと、たしか『不気味なものの肌に触れる』を皮切りに始まった、そこで『何食わぬ顔』のレビューを頼まれてDVDをもらって見て何を書いたのだったか書いた、今そこでどんなことを書いたのかと思って探しに行くとサイトはもう閉鎖されていてお名前ドットコムのページが表示された。映画の配信サービスというのもきっと雨後の筍のようにいろいろと乱立して淘汰されてを繰り返しているうちにネットフリックスとか大きなものができたりして今に至って消えていったすべてのサービスが文化に貢献した。
だから初めて見るロングバージョンは競馬場のシーンから始まって見覚えのある感触で、だけど見たことがあったわけではなかった。三人が寄って煙草に火をつけて、それから夜になってサッカーボールとシャツだけが暗闇の中で白く浮かび上がっている。ずっと、すごいなあ、思いながら見ていた。音楽は千葉雅也のユニットによるものだった。

2月13日(日) 

それで変な日というのはこの二人組に限らず今日は若い明るいおしゃれな感じの二人組という人たちが妙に多かったということで、さらにその人たちは一様に本を持参していなかった、一切しゃべれないこともその場で知った、だから店にある本を適当に取って静かに読書の時間を過ごしていく、ドストエフスキーが読まれ『POPEYE』が読まれ保坂和志が読まれ稲田俊輔が読まれロラン・バルトが読まれていた、何を読んでいたかなんていうのは関係なくて本を持っていなかった人たちが本を読んでいる、そういうある種の事故っぽい過ごし方の人がすごく多かった日ということで、僕は昨今ずっと愉快な読書の事故を起こしたいと考えていてきっとこういうことだった。
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