読書の日記(1/17-23)

2022.01.28
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和田誠、佐々木誠、ドカベン/「愛と死の人類学」を聞きながら支払調書や源泉徴収の取りまとめ/東急フードショー、オブスキュラフロント/税務署の人は今日も本当にみな親切/スタバの狭さ/「快適なタスク運用とはどうあるべきか?」/『偶然と想像』/肉野菜炒めの店/遊ちゃんが布団で『ファブル』、ミッシーマウス、無内容ラジオ/布団に入って『超・箇条書き』/ミーシーとミッシー/布団に入り利他・ヘイワース/今日からは『論点思考』/シャノアールでパフェ/くまざわ書店、『骨を引き上げろ』、全米図書賞/Notionの素晴らしい修正/『思いがけず利他』、「私にうれしさが留まっている」/

抜粋

1月17日(月) 

ラウンジで「愛と死の人類学」を聞きながら支払調書や源泉徴収の取りまとめの作成。税務署に行けるのが明日だけなので今日揃える必要があった。ついでに給与支払報告書の作成もやって確定申告に向けたタスクがずいぶん消化された感じがあってすごくうれしい。丸山淳子さんがボツワナの狩猟採集民の話をしていて今回もすごくおもしろい感触があるのだけどやっぱり作業しながらだとずいぶん半端な聴き方になってしまってもったいない。 10時半頃に店に寄り、佐藤くんとしばらく話すと退散。コンビニで切手を買い、支払調書と給与支払報告書を入れた封筒にペタペタ貼ってポストに投函し、達成感があった。

1月18日(火) 

スタバを出、考え事を続けながら歩く、前をカップルが歩いていてふと「あの人たちも映画かな」とあまり根拠のないことを思いながらついていくとたしかに行き先が同じようで、エレベーターを待っていると男性が「あ! マジで!」とけっこう大きな声を出して「ここしかやってないんだよな〜」と言いながら去っていった、見ると今日の『偶然と想像』は満席だという掲示で親切な掲示だなあ! とそこに感心する。わざわざエレベーターで下まで下りてきてこれ貼るわけだ。これは親切だ。
満席というのは予期できていたことでスタバに入ってすぐにチケットを取ったのだがその時点で前方2列しか空いていない状態だった、火曜日はル・シネマのサービスデーらしくそれもあるのだろうけれどずいぶんな人気だ。席に着くとタスクというものはどこで思いつかれるか、その思いつきうる場所すべてから同じフォーマットでタスクを設定できるようにするには、と考えていて少し先走っているように感じる。やはり具体的にNotionにおいてどうあればと何よりもそれを考えたいのだろうけれどまずはその手前の段階をじっくり考えるべきだ、徐々に暗くなって何かの案内で「館内では」と、それは座席とスクリーンがあるこの部屋のことを指すニュアンスであったけれど、映画館というのは館内とロビー、という分かれ方になっているのだろうか、それもなんとなく不思議な感じがあって映画館内と考えたらロビーも映画館内だから。ずっと、足繁く映画館に通っていた時期があった人間にもかかわらず、この上映される空間はなんという呼び名が正しいのかわからないままでいる。Bunkamuraの広告映像が流れてオフィシャルサプライヤー各社の協力でBunkamuraは運営されているというのを見るとワイズマンのときも思ったが「オフィシャルサプライヤーか」と思って、フヅクエにもオフィシャルサプライヤーが現れないかなと思う。それで映画が始まる。

1月19日(水) 

電車の中ももちろん『超・箇条書き』で読み進めていたら「ミーシー」とあるのを見て、
「参ったな」
と思う。大地も以前「ミーシー」と言っていた気がしてMECEにミッシー説とミーシー説があるということなのか? 参ったな。『ロジカル・ライティング』は15年とか前の本で、それよりも2016年に出ているこの本や現役のCOOとかである大地とかの読み方のほうが現在流通しているものである可能性が高いんじゃないか。俺はミッシーがよかったな。ミッシーだったらミッシーマウスとか言えるのに、ミーシーじゃなんだか全然ときめかないじゃない? せっかく出会えたのに、ミッシー、もしかしたら早くもさようならの時が近いということなのかな。寂しくなるね

1月20日(木) 

調布に帰ると小さないなたい居酒屋に入ってみた、競馬の話をしている人たちがいて店のお父さんは愛想がいい、耳が遠い、手が空けばすぐに座って煙草を吸いながらテレビを見上げる。常連らしいお客さんが明日からの営業について聞いていて、うちは商売というよりお客さんがやってきて飲みたいって言うからそれなら飲んでってねってお酒出してるだけだから、まんぼーとか知らないけどあんなの関係ないの、みたいなことをニコニコ話していて危うくてよかった。ビールと唐揚げと煮込み。紙を出して考え事。

1月21日(金) 

くまざわ書店に上がって今晩は小説が読みたいらしい。ちらちらとシルビナ・オカンポは? あるいはまだ開いてもいないバルガス・リョサは? と後ろめたい気持ちも覚える。買った本を大切にしてほしい。だが何かほしいらしい、『旅する練習』だろうかと思っていたのだがふと目に入った『骨を引き上げろ』という作品社から出ている小説を買っていた。フォークナーの再来、神話がどうの、と帯にあって「全米図書賞受賞作」とあった、全米図書賞受賞作というのは僕はちょっと警戒する受賞作という感覚があって偏見だが、全米の図書館が絶賛するとかって、と、僕は「図書」でなく「図書館」、全米図書館賞だと思っていたふしがあるのだが、絶賛するとかって、ただのお行儀のいいウェルメイドな作品なんじゃないか? というそういう偏見があってだからやや警戒するのだけど、作品社に対する信頼というのはある、それはもちろん『ストーナー』に依っている、それにフォークナーの再来というのも気になったらしい、というところでここは跳躍だ、えいやという感じでそれを買っていて、全米図書賞をあとで調べたらデニス・ジョンソンの『煙の樹』も受賞していたので素晴らしく信頼できる賞だ。

1月22日(土) 

ここで読むスイッチが入った感じがあってやっと面白くなってそして一気に面白くなった。「文七元結」を聞きたくなって第一章が終わって、次がヒンディー語の与格構文についての話でこれもすごく面白い。「「私はうれしい」と言う場合、ヒンディー語では「私にうれしさが留まっている」という言い方をします。「風邪をひいた」も同様で、「私に風邪が留まっている」という言い方をします」というのが与格構文で初学者にとってはいつそれを使うのかの区別が難しいのだが、「要は自分の行為や感情が不可抗力によって作動する場合」に使うものとのこと。「愛する」とかも、主格で言うこともあるが「私にあなたへの愛がやって来て留まっている」と与格を使うこともある。

1月23日(日) 

スーパーで玉ねぎと油揚げだけ買って帰り、回っていた洗濯物を取り出して畳んだり出すだけにしたりすると今度は溜まった布巾を洗濯機に入れて回す。それから玉ねぎをまるごと煮込んだ味噌汁をつくり始める。レンジでチンしてから鍋に入れて油揚げと一緒に煮、そこでシャワーを浴びる。上がると玉ねぎは十分に柔らかくなっているので味噌を溶いて完成。皿にブロッコリーのやつ、キャベツと椎茸のやつ、鶏肉のやつ、里芋と卵のサラダ、白菜の漬物を置いてそれからご飯と味噌汁でとてもいいご飯。それが7時半とか。8時過ぎ、ちょうど布団に入ろうとしたタイミングで遊ちゃんが帰ってきて映画はやはり満席で諦めたらしく、フグレンに行って仕事の整理をしてとてもすっきりした、行ってよかった。
僕は布団に入り『骨を引き上げろ』をくまざわ書店の紙袋から取り出す。ザラザラしたカバーの紙、表紙は赤い、見返しはピンクがかった赤だ、奥付を見ると装丁は「水崎真奈美(BOTANICA)」とあって『ストーナー』と同じ方だ。
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