抜粋
1月3日(月)
散歩に出るというので僕も行きたいと言って起きたのは10時。よく寝た。起床後10分で家を出、少し行くと一度引き返して遊ちゃんはお札を持ってきた。最初はコーヒー屋さんまでのつもりだったがそのまま神社に行ってお札を返すというやつをしようと言って大賛成だった。それでコーヒーを片手に見知らぬ道を歩いて神社のようなものが見えたので入った、ひっそりとしていてお賽銭箱もない、古札返却コーナーはどこだろうとキョロキョロしていると中から人が出てきて、お参りはできるのでしょうかと聞くと本堂にどうぞということで通してもらえた。あ、これは寺だ!
気持ちのいい静けさと薄暗さと広がりのある場で手を合わせ、帰り際にお詫びとお礼を言って間違えて入ってくる人はたまにいるらしい。僕らが行くべきだった場所を教えてもらって出ると神社はすぐ横だった。
1月4日(火)
今日やることを考えながら電車に乗って下北沢。10時過ぎに着くとボーナストラックの広場はロープが掛かっていて今日やっている店はないのだろうか。コーヒー淹れ、さて仕事初めだ。まずは次のフヅクエ文庫の帯の入稿作業をやっつけようと思って前のはおたまさんに入稿までお願いしたので初めての作業だ。丁寧な制作ガイドとものすごくわかりやすいIllustratorのフォーマットを用意してくださっている、それを見ながら作業を始め、やるのがどういう作業なのか得心すると途中から効率化の権化の顔が現れて、フォーマットをより使いやすい形に作り変えながら、制作ガイドへの記述もどんどん増やしていった。これは徹頭徹尾未来のための作業で、今日のことだけであればこんなものをつくらないほうがずっと早くできるわけだが、次がある、そして僕以外ができるようにしていく必要もある。だからただただ未来のために膨大な時間を使ってしまった。気が付いたら3時を過ぎていたから4時間くらい掛けちゃった。優先順位完全におかしい。
1月5日(水)
で、僕は仕事の続きをするぞと思って帰宅したわけだったがモニターが届いているのを見たら即ダンボールを開けて設置を始めていて意志薄弱というレベルではないなと思う。意志がない。
しかしちょっと画面が高いなと思う。見上げるようだ。前のモニターは低かったから高さを調節するために土台として3冊の文芸誌(2冊の『新潮』と『群像』)を置いていたが、今度のは机に挟むタイプだからそういうこともできそうにない。椅子の座面の高さを上げて処理した。
1月6日(木)
気持ちが落ち込んでいてどんどん塞いでいく。原因は多分わかっていて確定申告とか経理まわりのことをこれから片付けていかなければいけないそれだろう。目の前にうっすらと黒々とした雲が掛かっているような心地。よくない。まず昼寝、と思って40分くらい寝て少し持ち直した。
部屋に戻ってさて仕事と思っていたにもかかわらず昨日届いていた丸善ジュンク堂からのダンボールを開けて年末に爆買いしたやつだ、ダンボールはトーハンのダンボールで、こういうダンボールで書店に本が届くのだろうか。開けると英字新聞が上にあり、下にプチプチで包まれた本がある。本は小口を外側にして、だから背をつけ合うような形で包装されていて小口を内側にすると傷つけ合う恐れがあったりするのだろうか。本屋の知恵。
1月7日(金)
窓際の席に通されてビールを頼み、それからピータンと水餃子。お通しが太めの切り干し大根っぽい何かをいい感じに味付けして炒めたっぽい何かですごくおいしい。ほどなくしてやってきたピータンも水餃子もおいしくて羊肉が遊ちゃんはとても好きだから喜んでいる。散々迷った末に火鍋を頼み、麻辣な感じの爽やかな辛さが強くてひーひー言いながら食べておいしい。あとはボーズ、干豆腐のサラダ、春雨の炒めもの、そういうものを食べながらたくさんのことを話していて迷わない迷わせないというのは図らずも僕も遊ちゃんも今年のテーマだったようでチームを健全に運営しようとすると誰しもがぶち当たるテーマなのかもしれない。
1月8日(土)
スーパーで鍋焼きうどんの材料として鶏肉と白菜としいたけと茹で麺を買って、道路はまだ凍っているところがあってここはいよいよ日陰なんだねえと言う。滑りそうなところ、光を反射しているところだ、それが見えるとあそこ滑るから気をつけてとしきりに言いながら一緒に帰る。帰ると遊ちゃんは寒い寒いと言ってへなへなと廊下に座り込んでそんな場所ではますます寒いだろう、僕はシャワーを浴びてそれから鍋焼きうどんをこしらえ、たらふく食う。遊ちゃんは寝室でヒーターに当たりながら動けないと言っている、家全体が暖かくないと動けなくなるよなあと思う。
1月9日(日)
コーヒー飲み、真面目に準備。昨日山口くんがずいぶん仕込みや下ごしらえをがんばってくれたのでだいぶ助かる。和え物、ポテサラ、カレーをこしらえて今日は予約は12時台と1時台にわっと入っている。一挙に忙しく1時前には満席の貼り紙をしていた、短い時間ぎゅっと読んで過ごす人、6時間とかゆっくり過ごしていく人、いろいろな読書の時間が組み合わされて満ちている、「日本語版に寄せて」と書かれているから何か翻訳された分厚い本、マイケル・サンデルの正義の話を提案するやつ、本棚にある『POPEYE』、表紙のへなっとした紙質も本文のクリームがかったうすーい紙質もその分厚さもまるっきり辞書のそれで金の箔押しで「保健教育の」なんとかと書かれた本、いろいろな本を読んでいる人が静かに同居していてこの光景に僕は何度でも感動するなあと思いながら働く。
僕は多分、何かを楽しみにしている人、何かを期待している人、そういう人に対して仕事をしたいのだと思う。