読書の日記(12/20-26)

2021.12.31
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本棚の文脈/深い後悔、せめて一緒に読書をしよう/柴崎友香「法と秩序」/パルコブックセンター、『最悪の予感』、『思いがけず利他』/くら寿司を諦めとうとう来たぜサイゼリヤ/サイゼリヤの記憶/マイケル・ルイス『最悪の予感 パンデミックとの戦い』/ニューポート、おいしい、代々木上原へ続く道/和田誠展をもう一度/『ふやすミニマリスト』、数珠つなぎの読書/くまざわ書店、『組織デザイン』、日経文庫/Notion脳再来/ジム・コリンズ『ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則』/Notion、あそうか、db manual/税金のピンチ/

抜粋

12月20日(月) 

『東京の生活史』
『ベルリンうわの空 ウンターグルンド』
『武器としての交渉思考』
『星野リゾートの教科書』
『目眩まし』
『ベルリンうわの空』
『リーダーの仮面』
『LISTEN』
『推敲』
『文學界』
『会社法のしくみ』
『恐れのない組織』
『世界一楽しい決算書の読み方』
『新潮』
『小さな飲食店 成功のバイブル』
『ドラッカーの教え見るだけノート』
『アウステルリッツ』
『経営者の条件』
『吉田健一随筆集』
『新潮』
『スパイのためのハンドブック』
『文學界』
『ライティングの哲学』
『地上で僕らはつかの間きらめく』
『文藝』
『起業のファイナンス』
起床後「来年はルンバ的なものを」と思いながら掃除機を掛け、ついでに部屋の片付けも始めて混沌としていた部屋を整頓した。その中であっちこっちに散らばっている本を何も考えずに机の上に並べていったらこういう並びになっていてちょっとわけがわからないなと思った。わけがわからないなと言ってみる気分にはどこか浅はかな誇らしい気分が混ざっているような気がする。ただ実際のところ、この並びが本を並べているカフェとかにあったら「わけがわからないな」とはやっぱり思うだろう、さっぱり文脈がわからないと。でも一人の人間が一定期間のなかで触れてきた本という、これ以上ないとも言えるような文脈がたしかにあるわけで、だから外から見たときに見える文脈なんてなんぼのものだろうというか痩せこけたものだ。

12月21日(火) 

なんとなく、年末年始というのは巨大な小説を読みたいような気がしていて、実際ピンチョンを読んで過ごした年というのはいくつかあったはずだ。今年もそれも愉快だろうかと少し思うが、でも躊躇う感じもある。どうせ大して読めないから。そう考えていると、毎年、年末年始は「さあどれを読もう」とくよくよ鬱屈しながら悩んでいたあの時間を思い出す。書店における鬱屈。先日ご予約のお客さんから遅れますの連絡があって、そこには「書店にいるのですが何を買おうか悩んで決められず」とあって、わかる、わかる、すごくわかるぞ、と思ってめっちゃわかります、ゆっくり選んでくださいみたいな返信をしたのだったが、あの、決められない、自分が今なにを欲しているのかわからない、あの感じは、最近はそういえばあまり持っていなかったなと思う。

12月22日(水) 

帰り道はカルト化するカンパニーについて学ぶ。それは良し悪しということではなくてビジョナリーなカンパニーにはそういう傾向がありがちだという話でアメリカのそういう様子は想像しやすいなと思う。拍手喝采、熱狂する人々。日本だともっと静かに信仰されそうな感じがある。だけど、だけどではないけれど読んでいるとスタバを思い出してアルバイトをしているとき、スタバへの信心みたいなものは見事に形成されたなあと思う。あそこで唱えられていた言葉は生きていた。空間を漂っていた、働いている時間に通奏低音として常に響いていた。
そのあと生命保険会社に就職してそこは日本の生保としてはそうとう微妙な立ち位置だったが世界的には巨大企業だったけれどあの会社には、少なくとも日本法人には、カルチャーみたいなものは全然浸透していなかった、毎朝クレドみたいなやつを読み上げて何か話すみたいなやつがあったけれど、クレドに書かれた言葉を信じたことなんてなかった。スタバとのこの違いは大きいもので、カルチャー、カルト、語源は同じだろうか、カルトと言うと語弊は生じやすいだろうけれど信じられたほうが働いていて気持ちがいいのは間違いないことだった。

12月23日(木)  

電車では『最悪な予感』。勇敢な人たちの姿に釘付け。それで下北沢行き、コーヒー淹れ、2階に上がってミーチング。パッパパッパとタスクが各人に振られていく感じはなんだかミーチングっぽくて気持ちがいい。1月のシフトがむずい、という話だったのでそのままシフトの相談。来月はタフな月になりそう。
終えると店を出、呼吸器内科に。昨日行ったら休診日だったのでリピ決定だったわけだ。昨日もそうだったが住宅街の裏の道を歩いて折れて茶沢通りに出ると行き過ぎていてずいぶん引き返すことになる。学ばない。病院のテレビではクリスマスマーケットの様子が映されていて雨が降っていた、タレントが傘をさしていた。

12月24日(金) 

今日は僕はカレーと思い、頭ではNotionのことを考えている。仕組みをつくること。使い勝手をヒアリングすることも大事なことかもしれないけれど、それと同じくらい、どう使われているのかをよく見ることで得られるものが多いような気がする。聞いて答えが返ってくるのは使いにくさとして顕在化しているものだけで、それは使いにくさのうちのおそらく小さな領域だ。人は思うほど、不自由さに自覚的ではない。だから、なぜこの動きになっているか、あるいはなぜこの動きを誘えていないのか、それをよく眼差し、そして手を加える。今晩はそういうことをしたいなと思いつつ、だけどそれがやるべきことだっけ、なんだっけ、と思っていたらきのこも買い足したくなってスーパーに行って、そうしたらビールを2缶買っていて自制の解除まで1時間足らずだ。
飲みながらカレーをこしらえ、今日は白菜と鶏肉ときのこの優しい感じのカレーにする。当日になってやっと、諸処でたくさんのそのそれを浴びてやっと、そうだった、飾ろう、となったらしくて納戸からクリスマスツリーを出して置き、電飾とオーナメントを巻いた。そうしていると遊ちゃんが帰ってきて今日のサイゼリヤもよかったようだ。僕はビールを飲み終え、それからハイボールを始めた。ああ、もうまったく働く気はないんだな、と思った。

12月25日(土) 

電車の中で『最悪な予感』読み終え。開店し、今日は川又さんと。藤岡みなみさんの『ふやすミニマリスト』をご恵投いただいて川又さんは藤岡さんの大ファンだ、以前藤岡さんのイベントか何かに行ってご本人が「サインとかしましょうか」と声を掛けてくれた瞬間にパニックになって「だ、だいじょうぶです〜!」と言って逃げ出したという話を前に聞いた、それでその本は100日間ひとつずつものを増やして生活していくというそういうやつで初日は布団で2日目が歯ブラシだ、スニーカー、バスタオル、パーカーワンピース、パソコン、爪切り、毛布に続いて9日目で『読書の日記』を手にして翌日が全身シャンプー、そこから洗濯機、鍋、お箸、包丁と続く。とにかく分厚い本をということで選んでいただいて楽しく読んでいただけたみたいで嬉しいというか、ああ、それはよかったなあ、と思った。なんせ、なけなしの一冊がまったく退屈だったら悲惨だったろうから。僕だったらこの一冊と思って手に入れるとしたらなんだろうなと考えたがやっぱり『富士日記』なのかもしれない。人によっては辞書とかもよさそうで、飽きないで読める人にとってはこれ以上なく長く楽しめる一冊だろう。

12月26日(日) 

電車で『ビジョナリー・カンパニー』。あれこれを試しまくり変異を起こし進化を遂げていくという話で大々的に取り上げられたのが3Mでずいぶん称賛されている。それを読んでいたらうれしくなって僕まで褒められた気分だ、就職活動のときに一番行きたいと思ったのが3Mだった。会社は用賀にあって2次面接くらいで落ちた。なんでだかものすごく印象のいい会社で、説明会で話を聞いたりしながら「俺も道路標識の営業をやりたいなあ!」と思ったのだった。どういう話を聞いてときめいたのかはまったく覚えていないが本を読んでいると次々と試すこと、そして失敗をたくさんつくっていくこと、それが励行されている感じらしくそれが僕の性に合ったのかもしれない。ポストイットは社員が教会の合唱隊で歌うときに歌う曲をすぐに見つけられるように紙切れを挟んでいたがすぐになくなってしまう、それに苛立ったときにふと、うちのあの接着剤を塗ってみたらどうか、と思ったところで始まった。そういう「もっとこうできるんじゃないか?」という精神が会社全体に根付いているそれを説明会でも感じてそれは気持ちがよさそうだなと思ったのかもしれない。
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