抜粋
12月13日(月)
ちょうど8時だった、大地が予約をしていてくれたビストロはすぐそばだった、大地は8時まで仕事だから20分くらいは遅れるということで、それは貴重な読書の時間じゃないかと思う。ビールを頼むとゼーバルトを取り出して鷹揚な気持ちで文字を追う。ゼーバルトはヴェネツィアで夜、ボートに乗って運河を渡る。焼却場から煙が立ちのぼる、こんな夜中にも燃やすものなのだろうか、同伴のヴェネツィアっ子は「ええ、絶え間がありません、ずっと燃えています」と答える。
うっとりとしながら読む、鈴木仁子の訳文は本当に美しいなと思う。それにしても人待ちの時間の読書というのはなんでこんなにいいんだろうと思う。「それだけに、ヴェネツィアの街をおおう静けさは現実ばなれのした、いつ破られてもおかしくないものに思われたのだった」という一文が今の僕と重なってぐっと目に入ってくる。ビストロはそれなりににぎやかだが、今過ごしているこの時間は静けさの膜のようなものに守られている感じがあった。
12月14日(火)
ダイソーとよしもとの間の小道を過ぎ、ハンズとHMVの道を少し進み、ぐいっと坂を上がってアジアン雑貨屋のわきの道を入って小学校とかを過ぎると役所があって法務局だ。これまでここの用事は税務署だったが今日は法務局で履歴事項全部証明書の取得。たぶん必要っぽい、というところで。
そこから労基署、法人化に伴う雇用保険と労災保険の手続き。必要な書類を教わってまずは6階のところで労災保険の手続きをする必要があるようだ、OKOKと思っていたら受付時間が終わったことが知らされて、そうなんだけど書類用意して持ってきてくれたら個人的に受けるので、とずいぶん親切な申し出をいただく。急いで6階に行って労災保険は簡単だった、そこで机を借りて必要書類に記入捺印をして、何度も「フヅクエ株式会社」と書いていて新鮮な感覚だ、「代表取締役」というのは意外に書かないものなのかな、どういうときに書くものなんだろうなと思いながらやっつけ、書類ができると1階に下り、さっきの方が見えたので書類を持っていって受理してもらう、ほどなくして「フヅクエ株式会社さん」と呼ばれて行くと完了ということでマジ助かった。それにしても、動き出しが遅いとこうなるんだな、全然余裕があると思って行ったらこれなんだから本当にダメだ、のんきに各停に乗っている場合ではなかったということだ。
外に出ればもう薄暗い、5時前だ、さて年金事務所の受付時間はどうか、そう思いながら隣のブロックの年金事務所に行き、どうやらセーフだった模様。
12月15日(水)
夕方まで働き、指圧の直後は軽くなった気がした体もたちまち重い。労おう、認めよう、疲れを許してあげよう。自分の今年の労働をちゃんと讃えようと思う。なので今日はもう退散。
6時前に初台に移動。司法書士の方からの書類が来ていないか確認に店にちらっと寄ってちらっと伝票を見たらずいぶん忙しそうな日だ、お辞儀をして出るとオペラシティアートギャラリーに行く。平日夜、和田誠展は一体どのくらい混んでいるのだろうと思ったらやはり列にはなっていて、しかし列はすいすい前に進んで10分もせずに中に入ることができた。
荷物をロッカーに入れて身軽にして展示室に入ると何本もの柱に区切られた空間でその柱には何歳のときの何というのがずうっとあって、人がたくさんいる。男女がどうやってこの展示を見ていくかの話をしていて男と女で意向は違うようで、これは展示ならではの難しさだなと思う、映画だったら始まっちゃったら同じ時間が等しく過ぎていくだけだけど展示だと時間の掛け方に差が出る。そしたら僕は柱を順繰りに追っていくことにするね、とその男女に告げるとそのとおりにし、両サイドの壁の作品は柱で来たところまで見るみたいな見方になった。徐々に陣地を取っていくみたいなイメージ。まったくルールがわからないが、アメフトみたいな、なんかそういうイメージ。
12月16日(木)
終え、渋谷に。Bunkamuraに。ル・シネマに。『ボストン市庁舎』を見に。
一日一回だし今日が最終上映だ、混んでいたりするのかなと思ったががら空きだった。4時間半とかで、途中で休憩があった。おもしろい、おもしろい、うん、長い、でもおもしろい、と思いながら見ていて人が話す姿、そして聞く姿を見続ける。みんなよくしゃべる。みな堂々としたものだ。感嘆し続ける。だけど話す人を見ているよりも聞いている人を見ているとよりおもしろいときもたくさんあって、うなずいたりすぐ横で話す人の顔をじっと見たりしながら傾聴を示す人、スマホに何かを打ち込んでいる人、微動だにしない人、いろいろで、話す人が勇気づけられる聴き方、脅かされる聴き方ってやっぱりあるよなと思う。
それにしたって市長のウォルシュがとにかくすごい。役所の人たちに、市民に、ビジョンを示し、共感を示し、ひたすらメッセージを語り続ける姿に感銘を受けて何度も泣きそうになったしいくらか泣いた。スピーチの力はすごいものだ。図らずもそういう、リーダーシップみたいなものを学ぶみたいな見方をしていてちょっと勘弁してくれよと思う。
12月17日(金)
電車に乗りながらワイズマン特集の『ユリイカ』を読んで三宅唱、大川景子、和田清人の鼎談でウォルシュ市長を主役にしながらもプロパガンダみたいにならないで済んだのはカメラのポジションのせいだろうとあった、どこにカメラを置いていたか。「常に話し手と聞き手のあいだをキャメラの基本ポジションとしている」、「話すことと聞くことの境界線上にキャメラがあって、双方が同時にフレーム内にあるというカットが最も長く使用されていると思います」。なるほど、だから僕は昨日聞き手をあんなに見ることができたのだなと思ってすごく腑に落ちる感じがあって、続けてウォルシュが企業の偉い人たちっぽい人たちに対して話している場面のことが取り上げられた。
ここで初めて「大統領(=ドナルド・トランプ)」という言葉が発せられるんですよね。「私たちはワシントンにいる大統領が温暖化対策の重要性を理解していないことを知っています」と。僕の先入観だと、聞き手たちが「全くホントだよな」なんて苦笑いでもしそうだと思ったんですが、あの場では市長も含めて全員微動だにせず、まったく真剣そのものだった。その瞬間、僕は「ああ、トランプの存在は目の前の切実な問題なんだ」と改めて実感しました。このシーンはフレーム左側にウォルシュ市長が立ち、右側に企業人らが座っていて、両者が同時に捉えられているから、「大統領」という言葉が出た瞬間の双方の切実さを同じフレーム内で見ることができます。
『ユリイカ 2021年12月号 特集=フレデリック・ワイズマン』(青土社)p.158,159
まさしく僕も見ながら同じ体験をしていたというか笑いが起きるかと思ったらまったくシリアスな聴衆の姿があってその時「あ」と思ったから、ここを読んで「ああ!」と思った。それからこれを90分の三部構成だと捉えると、みたいな視点が提示されてものすごく面白い。
12月18日(土)
「真に卓越した企業と、それ以外の企業との違いはどこにあるのか」と書かれた本を読み始めて『ビジョナリー・カンパニー』だ。
ビジョナリーなカンパニーにするべく店に行き、お湯を沸かす! そしてコーヒーを、淹れる!
今日も完璧な一日の始まりだ。まったりしていると扉が開いて戸塚さんだ、インターン初日。ビジョナリーなカンパニーのボス(VCB)なので滔々とメッセージを語りかける。予約を見たらすごい数の予約が入っている、1時台と4時台にピークがありそうだ、2回転分近く予約で埋まっている、VCBは緊張に震えた。
開店の時を迎え、戸塚さんには今日はとにかく見てもらうことにして「俺の勇姿をその目に焼き付けてください」と伝え、孤軍で奮闘する決意をする。で、大変だった。数としては最近の週末と比べて突出しているわけでもなかったがなんだか大変さは突出していて、4時のところでああ、溢れる、となって少しだけ洗い物を助けてもらった。
12月19日(日)
悄然とした電車では『ビジョナリー・カンパニー』でVVV!
「利益を超えて」という章の始まりのところに「われわれは人々の生命を維持し、生活を改善する仕事をしている。すべての行動は、この目標を達成できたかどうかを基準に評価されなければならない」というメルクのある年の社内向け経営指針が引かれている。「すべての行動は、この目標を達成できたかどうかを基準に評価されなければならない」という言葉は身に覚えのあるもので先月くらいに僕もデータポータルの数字を見ながら、売上の数字をシェアするのもいいけれど、だけどもしかしたらシェアすべき数字は滞在時間の合計なんじゃないか、「「幸せな読書の時間」の総量を増やす」というこのミッションを考えたとき、掲げるべき指標は、売上じゃなくて、時間なんじゃないか、としばらく考えていた。そのときは例えば下北沢のテイクアウトはその点では数値化しにくいことになってしまって、僕の中で下北沢のテイクアウトは「これまで接点のなかった人たちにフヅクエを知ってもらう」という役割だと思っていて、大学生とかに、こういう場所があることを知ってもらう、そしていつか本を読みに来てもらう、だから足元の話というよりはもっと長期の話だと思っていて、これはだけどどう数値化したらいいか、と思ってそこで頓挫して、テイクアウトの数字を何かしらそのミッションと関係するものとして表現できなければ、まったく無意味な活動ということになってしまってそれはよくないからだ。下北沢よりも初台で働いていたほうがミッションに貢献できるということになってしまったらそれはよくないからだ。だから一度そこで考えは止まっていたのだが、だけど数値化のしようはあるかもしれない、そして「すべての行動は、この目標を達成できたかどうかを基準に評価されなければならない」というところに収めることはできるかもしれないというかそうなったほうがいいだろう。やあ、今月も、僕たちはマジで幸せな読書の時間の総量を増やすことに貢献できたね、と毎月言うような、そういう状態が本当だろう。