12月6日(月)
それで着いて今夜はフヅクエ文庫のカバー巻きと帯のカットというそういう仕事だ。
あれこれをラウンジに運び込み、まず一冊やってみる。カバーを巻いて、カッターマットの上で帯をカットし、装着する。とても手間取り、これは、慣れるまでは、けっこう大変だぞ、という予感というか実感がやってくる。
ラウンジにはもう数人しかいなかったので自由に机をつかって4席分くらい荷物を広げながらやっていると背後からカチャカチャという音がして奈良さんがカトラリーを広げているようだ、振り返って見てみると奈良さんも3席分くらい広げて作業をしていて僕も僕だし奈良さんも奈良さんだ、面白い光景になっていた。黙々と、しかし紙をカットする音というのは存在感のあるもので、定規でしっかり押さえて、ざーっとカッターを走らせる。その音が室内に響く。何度かやっているうちにコツが見えたり、効率化できる場所が見えたりして、手作業のおもしろさだよなと思う。ああ、ここでしたか、という見えの発見。新しい目の獲得。
いけない。いけない。今日これをやっているのは今日告知をして12月8日に近藤聡乃さんの分を更新しますという宣言を本当にしていいのか確認するため、つまり帯がばっちりOKか、そして発送するための道具は揃っているか、そういうのを確認するためだったから、この作業効率が上がっていく快感に甘んじてこのまま続けていたらいけない。目的を思い出し、落ち着き、パソコンを出し、告知記事の更新。これはいわば予告編の投下だ、記事をいきなり更新するだけだとどんな企画なのかの全体像が伝えづらい気がしたので、こういう記事を事前に噛ませようと、そう思いついたのはおとといとかだった。
で、告知が済むとまた落ち着いて作業をよいものにしていくチャレンジ。帯の裏面にカッターで薄く線を入れたり、折ったところは手ではなくダンボールの切れ端でこすってみたりしながら、だんだん自分の手が機械になっていくというか、動きがプログラム化されていく感じがする。つまり機械でできる仕事になっていくという感覚。
しかしそれにしたって、先週届いた帯を巻くのは今でいいけれど、本はあったしカバーもあったわけだ、カバーを巻くことは先にできたんじゃないのか、と思う。なんでギリギリにならないとこんなに動けないのだろうなと、いつも思うが今日も思う。
12月7日(火)
午後、中野に。車中の友はベルンハルト。中野の駅のところはずっと工事中なのだと思っていたら、壁の表示を見たら2023年着工2027年とか竣工とあってびっくりした。車通りをまっすぐ行くとブックファーストがあって入る。広くていいなあ、本屋さんはいいなあ、と思う。1階をうろうろし、2階に上がってビジネス書のところで『ビジョナリー・カンパニー』があって先日『星野リゾートの教科書』で見かけた本だし有名な本だ、長いこと存在は知っていた、大学時代とかからこの本のタイトルくらいは知っていた気がするけれど、だけどどういう契機で知ることができたのだろうか。経営とかに関する授業とかを受けた記憶はないし、だからどうして知ったのかは不明。とにかくそれを買って、ハハハ、またビジネス書を買っちゃった、と思う。もっとおさらいとかしてから次に行かないと、ダメだよ、と思うが手が止まらない。
12月8日(水)
今日はあのひとのフヅクエ時間の公開だ、まだ準備は済んでいない。本当は昨日するつもりだったことだ。愚かだ。商品の登録を済ませ、記事を整え、何度も確認し、公開状態に。ウェブサイト上からは見つけられない、URLの直打ちをされたらたどり着ける、という状態。夜に告知する予定。
下北沢にいるあいだはブックカバーと帯の作業。今日も思ったよりも進まない。どんな作業も、思ったよりも時間が掛かるものだ。
12月9日(木)
帰りながら、さっき話していた文章の編集は音楽でいうマスタリングとかと同じことなのではないか、つまりある音をもっと強く響かせたり、あるいは弱めたり、全体の調子を整えたり、そういうことなんじゃないか、マスタリングというのかミキシングというのかあるいは他の何かかもしれないけれどもプロデューサーみたいな人がやるイメージのあるあれと同じことなんじゃないかと思って、あるいはそれを作業するではなく提案する立場というか、そう思って、僕はこれまで長いことRAWなもの原理主義というかRAWの美みたいなものに気を取られ続けていたし、でもそれは音楽で言えばデモ音源とかそういうやつなんじゃないか、そのよさもあるしいろいろ調子が整えられたものの美も当然あって、と言いながら思い出していたのはNUMBER GIRLで『SAPPUKEI』でデイヴ・フリッドマンが参加したそれで、だけど帰り道で浮かんだのはSlintでこれはスティーヴ・アルビニがレコーディングエンジニアとして参加している作品だった。多分、そこにあるソリッドさとか荒々しさとかがデモっぽいみたいなそういう短絡で、だけど名高いスティーヴ・アルビニが参加して何かしている、それで耳にイヤホンを挿れると水に浮かんで顔だけ出した男たち、記憶の中でのイメージはそれは真顔だったが見たら笑っていたり無邪気な表情だった、そのジャケットのアルバムを再生して、きっと十年ぶりとかで聞くこのアルバムはやっぱり強烈にかっこうよかった。胸がぎゅんぎゅんになるようなかっこよさでこのときめき方はラウンジリザーズ以来で、こういうことは僕にはもう新しい音楽では起こらないのだろうか。
12月10日(金)
それでビールを飲み、聖護院大根と白菜と豚肉を炒めたり煮たりしている。『文學界』を開いて滝口悠生の「窓目くんの手記」を読み始めて、2017年の話だ、「あの頃はまだ平気で旅行に行けたな。行こうと思えば日本中、世界中どこにでも行けたよ。俺はいまより四歳若かったよ」とある。たしかに僕も2017年はいまより4歳若かったんだよなと思う。すごいことだ。シルヴィのいる街はブルガリアで、北海道に来るはずだったが試験で行けなくなった。
シルヴィは、本当にごめんなさい、とまた繰り返し、窓目くんはそれに、全然気にすることはない、あなたはなにも悪くない、と返した。あなたはいまなお、揺るぎなく、永久不変に、私にとって最高のガールフレンドだ、と窓目くんは繰り返した。その最高さは、これから先、さらに上昇し、飛翔し、あなたの魅力は私にとってまさに天井知らずの青天井だろう、そういう意味を込めた英文を送った。不慣れな英語のその不慣れさに任せて、ふだん日本語では言わないような強い肯定、手放しの絶賛みたいな言葉が次々自分からシルヴィへ送られる。なにも知らずに見聞きすればきっとうさんくさいそんな言葉が、シルヴィに向けたならばどれも自分の心からの嘘偽りない言葉だと思えるのが不思議で、そんな肯定的な言葉を次から次へ口にしていると、なぜか自分まで誰かに褒めたたえられているような気持ちになった。
滝口悠生「窓目くんの手記」『文學界 2022年1月号』(文藝春秋)p.43,44
本にしおり代わりにスマホを挟んでキッチンに戻って調理の続きをしていると遊ちゃんが帰ってきて、それで『文學界』に気づいてちょうど買おうと思っていたやつだった、何を読みたかったのと聞いたら國分功一郎と若林正恭の対談で、まさやんのも載っているよね、もちろん千葉雅也のことだ。あ、窓目くん、と本を開いたらしい遊ちゃんの声が聞こえたから、窓目くんのことってどうして知ってるのと聞くと阿久津くんの日記でということで窓目くん、あなたはすごいよ。ちょっと引用されただけで人の記憶に窓目くんとして残っている。すごいことだ。
12月11日(土)
ここで僕は感極まって電車の中で泣いてしまう。本を閉じ、べそをかく。窓目くんは浜ちゃんを観察し、書き、推敲する、ロイトハマーは姉を観察し、書き、やはり推敲を続ける。その重なりにことさらに意味をもたせたいわけではないがなんでこんなにぐっと来るのか。僕が何よりもまず書く人だからなのだろうか。日々を眺め、書き、推敲する、それが僕の具体的な生のありようで、だから書き、推敲する人を見ると何か勝手に近づけて感じ入るみたいなことなのだろうか。それは今考えたことでここで流した涙はまた違う、浜ちゃんを礼賛する窓目くんを礼賛するそういう気持ちで涙があふれて初台に着いて、そうすればエアコンをつけてお湯を沸かしてコーヒーを淹れて店の時間が始まる。
12月12日(日)
この本を読んだ時期がいつなのかは即座には思い出せず、いつどういう時期にゼーバルトと出会ったのだろうか。コレクションの後半、『カンポ・サント』や『鄙の宿』は岡山時代に読んでいた記憶がたしかにあるが、それらよりもずっとドキドキしながら読んでいたはずの『目眩まし』や『土星の環』や『移民たち』と岡山の記憶は不思議と結びつかない。これらの本にはどんな場面の記憶も紐付いていない感じがあってだけどただ強烈に面白かった。「おぼしい山があった」の次の段落、「はなはだ気を落としたのは、とベールは書いている」から始まりずっと強い思い出として持っていたとばかり思っていたイヴレアの光景は「イヴレア景観」と題された版画の光景とそっくりそのまま同じだった、つまり版画の情景に記憶が乗っ取られてそのまま自分の記憶だと思い込み続けていたと書かれた一段落は、段落全体をUFOキャッチャーで掴むような形の線が青で書かれていて、つまり三色ボールペンを使いながら読書をしていた時期のようだ。
それは大学生の終わりごろ、生協で買った齋藤孝とかの講談社現代新書とかの読書術とかの本で知って採用していた方法で、赤は最重要、青は重要、緑は好きな箇所、しばらくやっていた、だけどその時代がいつまで続いたのかについてはまるで定かではない。