読書の日記(10/4-10)

2021.10.15
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読書の日記(10/4-10)
お店の学校の講師/鶏とお芋が煮えるのを待ちながら『東京の生活史』/新聞の取材/枝豆ご飯/炊飯したご飯の総量を増やす/寝起きで『波止場日記』の山口くん/ブックカバーと帯の制作/連日炊き込みご飯/『地上で僕らはつかの間きらめく』/データ取得熱/焼き鮭/地震/舎人ライナー/ゴダールの『パッション』、慶應義塾志木高等学校の成績のつけ方、愚かな高校生/UUと来客数の相関係数/下北沢、開店から1年半を経て、開店!/『吉田健一随筆集』/PayWhirl、Bold Memberships/野心を抱くこと、何が何だか、訳がわからなくなること、人間が汚くなること、世間のもの笑いになること/「ブックカフェ」のまとめサイト/

抜粋

10月4日(月) 

で、WorkFlowyからNotionに場を移したお店の学校の準備のメモを、資料として形にしていく、それにほとんど一日を費やすことになって最初はパワポみたいなやつでスライドをつくろうかと思ったが面倒になってしまったしNotionで十分だと思ったので結局Notionで完結させた。
資料が大方できると今日の受講者の方が提出してくれた課題を見て、7人の方が出してくれたものを見ながら、なんとコメントしていったらいいかを考えていく。そうこうしているうちに時間になってZoomに入って、一日中うっすらと緊張していたがやっぱりこういう場は緊張するなと感じる。俺の話なんてな、という思いは拭えるものでもなく、ひとまず40分掛けてフヅクエの取り組みであるとかを説明していった。自分の頭の整理になるからいいし、また、去年と比べても問いがアップデートされた感覚はあってなるほど面白いものだなと思うが、聞いていてこれはおもしろいのかどうかはずっと自信がないままだ。

10月5日(火) 

起きてご飯。納豆と手羽元。手羽元はやはり、手羽先ほどではないが食べるのが面倒で、肉が完全にホロホロになっていたらもう少し簡単かもしれないがちゃんと骨についているような感じがまだある煮え方で、だから横に『東京の生活史』を開きながら、肉を箸でちぎろうとしながら、ちぎった瞬間になにかの勢いがついて煮汁が飛んで本に着地したら嫌だなと思い、それまで左から「本 煮物 ご飯」という順番だったものを、煮物をご飯の奥に移動させて離した。そうしてみるとやってくるのは、ちぎった瞬間になにか勢いがついて煮汁が飛んで、もしさっき想像していたよりも飛距離が出たら? という考えで、煮汁が勢いよく散ったとき、さっきの場所だったらむしろ飛び越えて安全だったはずのものが、今こうやって距離を取ってしまったからこそ、ページの上に着地してしまう可能性があるんじゃないか?

10月6日(水) 

終えて晩ご飯。トマトと卵の炒めものをつくり、炊き込みご飯、人参のやつ、キャベツのやつ、オクラのやつ、なすのやつでいいご飯。
そのあと今日はちゃんともうひと仕事をすることができた。遅い時間までポチポチと働き、『地上で僕らはつかの間はたらく間違えたきらめく』。
誰もが痛い目に遭っているというのは既に了解されていて―当然の事実で―それはいわば皮膚のようなものだった。だから、「いいことあったワッツ・グッド?」と訊くのは、そこから喜びへと一歩踏み出す行為だった。避けられないもののことは脇へ置き、例外的なものに手を伸ばすのだ。すごくもない、上々でもない、素晴らしくもない。ただ、"いい"だけ。だってしばしば、物事は"いい"で充分だから。"いい"は僕たちが互いから求め、互いからそして互いのために得る貴重な火花だから。
この街では、側溝の蓋に一ドル札が引っかかっているのを見つけるのは"いい"。子供の誕生日に母親が映画を借りられるだけのお金を持っていて、ついでにイージーフランクの店で五ドルのピザと、溶けたチーズとペパロニの上に挿す八本のろうそくがあると"いい"。発砲事件があっても、自分の弟は家に帰っていて、あるいは既に横にいて、マカロニ・アンド・チーズを頬張っていれば"いい"。
あの夜、川から出た後にトレヴァーは僕にそう言った。僕らの髪と指先からは黒いしずくがしたたっていた。彼は僕の震える肩に腕を回し、耳元で言った。「おまえはいい。聞こえたか、リトル・ドッグ? おまえはいい、本当だ。おまえはいい」 オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』(木原善彦訳、新潮社)p.251,252

10月7日(木) 

炊き込みご飯といくつかのおかずと一緒に晩ご飯で今日もいいご飯。遊ちゃんはヨガマットとフォームローラーでゴロゴロしている。久しぶりに食べる焼き鮭はいいもので、最初は少しパサッとするかなとも思ったがだんだんちょうどいい気がしていった。グリルの受け皿に水を張ったりするとまた違う感じになるだろうか。すると部屋が揺れて、と思ったらスマホがビービー鳴って見ると「千葉県で」と見える、強まって、大きな手が部屋を優しく揺するようで、それはだから理学療法士のあのあえかなマッサージのようで、だけど中にいる人間にとってはその揺れは十分に大きな揺れだ、遊ちゃんは「初期微動継続時間はそんなに長くない」と言って、冬の地震のときはなんのうわ言だろうと思いながら聞いていた「ショキビドウケイゾクジカン」という音に今の僕は漢字を当てることができる、そのときのことを思い出して遊ちゃんも僕もぷーっと笑って、しかし揺れている、僕は前回と同じように意味もなく遊ちゃんに近づいて、今思い出すとそのときの僕は左手にお茶碗、右手にお箸という状態で思い出されるがさすがにそんなことはなくてそれらはテーブルの上にあったはずだ。それにしてもこうやって揺れていると、なんと物のない部屋なのだろうと思う。

10月8日(金) 

しばらくして店に行くと川又さんだった人物は山口くんに変わっていて挨拶をした、それからかぼすシロップをソーダ割りで飲んでみて、聞いていたとおり、これがめちゃくちゃおいしかった! うま〜と思ってそのままラウンジに戻りそうになって、違った、照明を取り付けるんだった、それで外に出てステップルで目印をつけたところに下穴を開けているとななえちゃんがやってきた、かぼすソーダを買っておいしいおいしいと飲む、あれこれおしゃべりをしながら下穴を開けていき、それから山口くんと協力しながら、ななえちゃんにディレクションしてもらいながら、設置していく。最初はコードを壁から這わせてひさしも這わせてぴっちりやって照明を垂らしだのだが、ひさしのところはちょっと弛ませてもいいかもしれないということになったのでそうした。ガラスシェードのエジソンランプのそれの場所が決まり、そして明かりを灯す。するとファサードが明るい! 消してみたら一気に暗くて大笑い。もともとこれはファサードが暗いよね、営業しているのに「やってますか……?」という声を聞きすぎるよね、改善しないとだよね、というところで導入したものだったが、明かりを付けてその明るさを目にしてから消すと一気に暗く、
「今までよくこれでやっていたなあ!」
とあっけにとられる暗さだった。フヅクエ下北沢、開店から1年半を経て、やっと開店しました! というふうになった。大満足だ。

10月9日(土) 

ガチャガチャと仕事をして終えると出る、パソコンは置いて出る、背中が軽い。駅のホームの奥行きのないベンチに腰を掛けて、それはたしかに腰を掛けると言う他ないものだ、吉田健一を開いて「ヴァレリイのこと」を読む。「ヴァレリイの詩集というのはないものか本屋に聞いた所が、普及版が前から予告されていてまだ出ていないということで」とあって、検索もなにもない時代、こういうなまのやり取りがあったんだよなと貴重な気持ちになって、しかし吉田健一は本当におもしろい、読者を置いていくことに一切の躊躇がないのがとても気持ちがいい、「ヴァレリイが死ぬ少し前に、après tout, j'ai fait ce que j'ai pu,……と書いていることを知った。それでいい訳である」とか、引用してまったく訳さずに進んでいくことがたびたびあってすごくいい。これはあとで翻訳させてみたら結局のところ、私はできることをしました、という意味らしくてそれでいい訳である。
そしてやってきた電車に乗って次の「不思議な国のアリス」がものすごく面白い、グリフォンとモック・タアトルに学校でどんなことを習ったのかアリスが聞くところが説明されて感嘆する。
「先ずリイリングとライシング、」とモック・タアトルが答える、「それから算術、―これはアムビションにディストラクション、アグリフィケイションにデリジョン。」
リイリングとライシングは、勿論、読み書きという言葉をもじったのであるが、同時にそれは、よろめくことと身悶えすることの意味を持っている。アムビションはアディションで足し算、ディストラクションはサブトラクションで引き算、アグリフィケイションはマルティプリケイションで掛け算、デリジョンはディヴィジョンで割り算のことを言っているのである。併し実際に用いられた言葉の、本来の意味を取れば、野心を抱くこと、何が何だか、訳がわからなくなること、人間が汚くなること、世間のもの笑いになること、という訳で、言葉の並べ方が或る一種の進展の形式を取っている。 中村光夫編『吉田健一随筆集』(平凡社)p.82
すっげー! と興奮しながらめちゃくちゃ楽しい気持ちになる。かっこよすぎる。アリスすげーのね。図画ではドローイングではなくドロオリング(ゆっくりと、気取った調子で話すこと)とスケッチングではなくストレッチング(手足を伸ばすこと)、ペインティング・イン・オイルスではなくフェインティング・イン・コイルス(体を幾重にもして気絶すること)、古典学の先生からはラトゥンとグリースではなくラフィングとグリイフ(笑うことと哀しみ)、いやーすごい、バキバキに興奮する感じがあってアディションとかサブトラクションとかを見ていたらNotionのフォーミュラを思い出した。

10月10日(日) 

結局忙しい日になってくれていい具合に働き続けて今日も8時間立ちっぱなし動きっぱなしだった、うれしい。今日はチョコのお菓子とピオーネをお持ち込みの方がいてピオーネにテンション上がった。途中、いろいろな仕込みが追いつかない感じになってあれもこれもだ、今日は疲れちゃったな、諦めて明日に回して、だけどそれだと明日の朝への負担が大きすぎるから明日俺も行って開店前に一緒にやって、とかそういうことを考えている時間帯もあったが、5時くらいに疲れのピークが来てそれを過ぎるとずいぶん楽になり、そこから一気呵成でショートブレッドの生地をつくり漬物をつくりなすと舞茸をビンダルーペーストで炒め人参とお揚げとしいたけをしりしりして旺盛に獰猛に働いた。だから8時で閉店してパタッと事切れたようになるのは致し方のないことであり座りこんでビールをつまみにビールを飲むようなビールの飲み方をしてその時間に救いがある。
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