読書の日記(9/27-10/3)

2021.10.08
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読書の日記(9/27-10/3)
多摩川に行く/ベランダで『スパイのためのハンドブック』を読む/今日は読書パーティーだ/ソファで『東京の生活史』/ベッドで『地上で僕らはつかの間きらめく』/「ちょっと私は言えなかったね」/宿題のプレッシャー/Janet Cardiff「The Missing Voice」/緊急事態宣言の解除、東京都の認証/蔵前、内見/エレファントファクトリーコーヒーを思い出す/ソルズコーヒー、結わえる、カキモリ、SyuRo、道具屋nobori、from afar、隅田川、Nui./福利厚生本、Yonda?/お店の学校の準備/不安の正体/斎藤佑樹の引退/ボーナストラックのオーナー会/『吉田健一随筆集』/2時満席、5時無人の休日/「自己啓発本」とマウント返し/

抜粋

9月27日(月) 

風呂上がり、またビールを飲みながら、今度はリビングの机に置いて『東京の生活史』の続きを読んで、次がバレーボール部の顧問をやっている先生の語りでこれがなんだかとてもよかった。
そんな理不尽なメニューもこなし頑張りもあって、高校二年生のときにメンバーには入れたんだけど。でもやっぱり最後使ってもらえなくて、メンバーには入れたけど、試合には出れなかったと言えばいいのかな。一応調査書とかそういう成績には、私が高二のときは団体で準優勝だったのかな、インターハイ。私もメダルとか賞状ももらってるんだけど、試合には出ていないからちょっと私は二位って言いづらくて、二位とは人に言ったことないかな。団体で。一応称号としてはもらえて、調査書とかには書かれてるはずなんだけど、自分では言ったことない。
高三のときに自分たちの代で三位に入ったから、自分が試合したりして団体戦。そのときは三位だったから、インターハイどこまでいった?って聞かれたら三位って答えるようにしてるかな。自分が出てないのに二位ってあんまり言えない。証としてはメンバーに入ること自体、それを目標にしてる人もいるから言ってもいいことなんだけど、ちょっと私は言えなかったね。 岸政彦編『東京の生活史』(筑摩書房)p.57
ちょっと私は言えなかったね。この言葉が妙にぐっときて、「私は二位って言いづらくて」「自分では言ったことない」「三位って答えるようにしてるかな」「二位ってあんまり言えない」「ちょっと私は言えなかったね」、この何度も何度も繰り返すこれがとても強く深く響いてくる。
読んでいると風呂上がりの遊ちゃんがやってきて、本当に辞書を読んでいるみたいだ、と言った。カバーを取ると表紙は紺色で、その感じもなにか辞書っぽさを強めているように思う。

9月28日(火) 

夜、正式に緊急事態宣言の解除が決定されたようで、9時までの営業が要請されるのだという。ツイッターとかニュースのコメントとかでもたくさんあったが、緊急事態宣言も蔓延防止重点措置も発令されていない中で、いったい何を根拠に営業時間の短縮を要請するのだろうか。ともあれ、東京都は認証された飲食店は9時まで営業でそれを守れば協力金ということで、もらおもらおと思いながら、そしてそれは都の飲食店約12万のうち9万とかが認証されているものということで、きっといろいろ出している中のどれかなんだよなと高をくくっていたのだが、改めて確認してみたら下北沢はその認証があって初台はなかった。え? と思う。これは、どういうことなのか。あてがわれているマイページというやつを見てみると点検結果のページに「伺いましたが不在でした」とあって、なにそれと思う。前に都の人たちが何かしに来てペラペラ話したりしたけど、あれとはまた別なのか。というか下北沢の点検というのは一体いつあったのだろうか、少なくとも僕はそれは受けていない。
とにかく、これはつまり、協力金をもらえないということなのか。であれば、初台については通常営業でやっちゃったほうがよかったりするのか、どうか。でもいきなりそんなシフトも、いまさら組めないし、というか9時までだってどうやって対応しようかというところでマキノさんに相談し、そうするとマキノさんがちゃっちゃかシフトを作り直してくれる、シフトが変わるたびに来る通知を見ながら、少し感動する。僕以外がシフトを、つくっている、というこの実感。助かりすぎる。

9月29日(水) 

残置物の片付けやスケルトン化はこれからの物件で、だからたくさんのものが置かれている、眠ってそのまま年月が経った風化した事務所という雰囲気だ、フロアを隔てている内壁や天井が解体されたら全然違う印象になりそうだ、3階に上がり、それから屋上に上がり、気持ちがいい。そこから路上を見下ろしながら、のどかだなあ、と思う。
10月の半ば以降に片付いてスケルトン化されるようなのでまた見させてもらうことにしてお三方と別れ、意想外の好印象だ。意想外というのは内階段だからフヅクエはやっぱり無理じゃないかと思っていたからで、階段を上がって扉があって中に入る、という形であれば全然話が変わってくる。窓が全面にあるわけではないにせよ、なんとなく気持ちのいい、なんだかいいヴァイブスがある感じがして、いやー、本当にやりたくなっちゃったらどうしたらいいんだこれは、と変な途方に暮れ方をする。そんな話をしながらコーヒーを飲みたい僕たちはソルズコーヒーに行き、僕はホットコーヒー、遊ちゃんはアイスのカフェラテをオーツミルクで。

9月30日(木) 

時間になって交代。福利厚生本のやり方を変えることにして、これまでみたいに渡すときに話を聞いて文字起こしをしてというのはやめる、リクエスト時にいくつかのアンケートに答えてもらってそれで月報をつくる。それでだからもう話を聞くのはいいかと思って録音しないで、リクエストされた『魔女の宅急便』の文庫本を渡して、だけど単純に「どうして読みたくなったの?」ということは聞きたくなるもので、これはなに、と聞くと表紙のイラストが100%ORANGEで、先日100%ORANGEの展示を見に行ってそれでこの本がほしくなったということだった、「これも」と言って見せてくれた腕時計の盤面にはかわいらしいパンダがいた、ヨンダです、懐かしいねえ! シール貼ったりあったよね、そんな話をして、やっぱりこういう話は面白かったし、聞いて文字に起こすことへの未練を少し感じもした。それにしてもヨンダ、Yonda? というのは改めて、ものすごく素敵なキャラクターだなと思った。復活しないのかな。

10月1日(金) 

12時前、電車は最近乗った電車の中で一番混んでいるかもというレベルで混んでいて、10月1日、みんなどこかで飲んできたのだろうか。イヤホンをして「超相対性理論」を聞きながら帰る。ラーメンを食おうと思って調布駅前をうろうろするが見た限りすべての店がもう閉まっていて、右往左往をしていたら耳元に流れているはずのいい話を全然聞けなかった。自分の頭で考えることとは実際なんだろうかということが多分話されていた。とにかく夕飯に困って、コンビニで肉豆腐と八宝菜を買って帰る。メイン&メイン。シャワーを浴びるとそれらを温め、ストレッチをしている遊ちゃんとしゃべりながらご飯を食べる。

10月2日(土) 

8時で閉店。あと1時間あればまた違うよな、と惜しく思う感覚もあって、しかし8時間、完全に立ちっぱなしの動きっぱなしで過ごして疲れた。寸時も休むことなく、体も頭もずうっと動き続けながらの8時間で充実したものだった。
片付けをすると事務的な仕事をいくつかポツポツと進めていってたらふく飯を食い、11時過ぎ、電車に乗って帰っていく。
『地上で僕らはつかの間きらめく』を店に置いてきてしまって、帰り道は仕事をするからいいけれど、寝る前、それから明日の出勤では何を読もうかと思う。吉田健一の随筆だろうか。吉田健一といえばずいぶん前に買った『本当のような話』をまだ読んでいなくて、いつか読むお楽しみというポジションを確立しすぎている。電車の中に酔っ払って前後不覚になっている人がいて、家に帰るの大変そう、とても愛おしい。僕はスマホでWorkFlowyでお店の学校のためのメモを取り続けていてWorkFlowyならスマホでも便利なままというか頭が同じように駆動する感じがあっていい。

10月3日(日) 

夜、ツイッターのタイムラインはひとつの話題で賑わっていて、というのは実際は嘘で実際はいろいろなツイートの中にその話題がチラチラと目につくというものだがあるアカウントが本をこのくらい読んだら上位5%になれる、みたいなマウントとともにおすすめの本を100冊挙げていて、それに対するリアクションをたくさん見かけた、「このなかのひとつも読んでいなくてよかった」とか「自己啓発本100冊読むくらいなら○○を読んだほうがいい」とか、ここに挙げられた100冊を貶めるものが多くて地獄だなと思う。
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