抜粋
9月20日(月)
体が疲れている。3連休、それなりに身構えながらそれなりに高を括ってもいて、初日は「今日を終えたらあと2日だけだから走りきれる」と思って2日目は「今日を終えたら明日だけだから余裕」と思って昨日の夜の時点でもそう思っていたが、3日目の今日を迎えたらどっと疲れが出てきて、開店直前に、閉店後に今日は打ち合わせがあった、と思いだしたらちょっと怯むような、そういう体感があった。
で、開けたら今日も、僕は心底うれしい、今日も忙しい日になってそのあとの予約も入れると12時半に満席になって、それから6時くらいまではずうっとほぼ満席という状態が続いた。ただ昨日ほどヘビーな感じでもなく、これならこなせるんだよな、と思いながら、とにかく今日もずうっといい時間が続いていて分厚い本を持つ人、革のブックカバーで巻いた文庫本を開く人、着くなり4冊くらいわきに積んで読み始める人、書見台にiPadを置いてKindleで読む人、本屋さんのビニール袋から買ってきたばかりの本を出す人、僕はけっこう本当に、今ここにいる人たち全員を好きだと、けっこう本当にそう思える。こんなに屈託なく、こんなに真剣に、こんなにまじりっけなしに、自分の商売の相手を本当にいいねと思える、この感じに改めて感心するというか、この感覚が7年もまったく衰えることなく、なんなら強化されながら続くことになるなんて、始めるときはさすがにそこまでは思っていなかった。
いい仕事を見つけたものだなと思う。
9月21日(火)
帰り、ビール、俺は飲む。
ぼやーんとしたり武田さんとLINEでApple Watchのこと、調布や府中のことをおしゃべりしたりまたぼやーんとしながらツイッターを延々と見たりしていたら3時近くになっている。オレゴン動物園のツイートが目に入るとウキウキキュンキュンする、ビーバーがロメインレタスをくわえながら泳いで陸に上がり、ひょこひょこと歩いて自分の部屋に帰っていく。画面の端々にチラチラと映り込む、見守りカメラを向ける職員たちの姿を見て、ふと、これってトゥルーマン・ショーの世界じゃないか、と思う。ビーバーもまさか、僕に見られているなんて思ってもいないだろう。
それにしても3時だ、ふとカレンダーを見たら明朝10時半からミーチングが設定されていて、まったく認識から抜け落ちていた、明日は休みだ、だから今日は存分に夜ふかしだ、とばかり思っていた。
大慌てで布団に突入し、床にまっすぐ4冊の文庫本が並んでいて『るきさん』が3冊に増えている。もうひとつは斎藤美奈子の『戦下のレシピ』だった。僕は『不意の声』を開く。酒井さんの本なのでページを折れないことがわりともどかしく、それにしてもこれはなんなんだ、すごい小説だ。
「孝行娘ねえ」
折柄、母が洩らした。彼女に対する優しい言いかけのようでもあり、彼女がその言葉に見合うだけの資格があるかどうかを吟味するはずみの独りごとめいているようでもあった。が、彼女はそれを肯定的に言われたものと受け取ることにし、母の最後の言葉にしようと思う。
河野多恵子『不意の声』(講談社)p.110
母の最後の言葉にしようと思う。鳥肌が立つような感じがある。娘は母に歯を見せてくれと言う。母はすると「わたしはお陰で割りに」と言って、だから「孝行娘ねえ」はたちまち母の最後の言葉ではなくなるが吁希子は気にする様子もなく「ええ、だからそれを見せて」と再度言い、「もう少し大きく」と促す。
9月22日(水)
10時ごろ起きてミーチング。マキノさんが発注時に便利そうなページを開発していて唸った。それから米俵を買いにスーパーマーケットに行き、納豆とトイレットペーパーも買って抱えて帰る。『Number』を食いながら飯を食い、さすがに体に疲れが溜まっている感じがして重い。
さっきのミーチングで出てきたいくつかのことをクリアして、仕事をポチポチ進めていって3時、今日は休みのはずだが……と思って夜ははんぞーと打ち合わせがあった。それまでにやりたいこともあったけれど、そのあとでいいと思い寝室に行き、遊ちゃんは今日もすごく忙しそうというか矢継ぎ早に打ち合わせをしている様子。布団に寝っ転がり、『不意の声』を開く、吁希子は追い出された家に帰り、それから友人が勤めている保育園に行く。殺人のあとの不思議な平安な時間かと思いながら読んでいたら、その保育園にはかつての恋人の子どもが通っている、ときおり変な言葉が出てくる、「特にその子に会うために、わざわざ出掛けて来た」「一途に目指し続けてきた彼女の気持が弛んだわけでは決してなかった」「彼女の胸には、目指すものへの対峙感が生じはじめてきた」、不穏さを感じていたら……
9月23日(木)
たとえばメルヴィルなんかも、最初は海洋小説の売れっ子作家だったけど『白鯨』、『ピエール』と評判が悪くて落胆したと言われている。『ピエール』は僕は好きじゃないんだけど、それにしても落胆なんかしないと思うんだよね。それはわかりやすい世間の目でしょ。落胆なんかしないんだよ、メルヴィルは。少し計算から外れたとしても、落胆とは全く違う何かが湧き起こったり、亀裂が入ったりしてるんだと思うけどね。
『文學界2021年10月号』(文藝春秋)p.157
準特急を待ちながら『文學界』を読んでいたらなぜか乗り過ごして悲嘆に暮れた。
9月24日(金)
やはり月曜木曜とフルタイムで店にいると仕事が逼迫される感じがあっていろいろと慌てる。がーっと仕事をして遅れを取り戻そうとする。おおかた済むとご飯を食べないとと思い、今日はさっぱりしたものを食べたい、やさしいものを食べたいとずっと思っていたのに豚キムチをつくり始めて呆れる。しかも野菜は人参だけで、冷凍していた肉が思ったよりもたくさんの量で、これはほとんどなんというか、キムチ風味の豚肉炒め、キムチ豚だ。バクバクたくさん食べる。満腹。
1時過ぎに働くのをやめて寝支度。『不意の声』は終わった、『アメリカン・ベースボール革命』も終わった、今日からはなんだろうと思って『スパイのためのハンドブック』を取って寝室に。そういえば先日ツイッターで、ちくまのアカウントで見た『戦争における「人殺し」の心理学』というやつが気になっていて読みたい。2004年刊行の本だが、「#ちくまくら365「本」ノック 」という企画の2021年のツイートで僕はその存在を知って、急に読みたくなる。どんな本も誰かにとっての新刊にいつだってなり得るんだよなと思う。
9月25日(土)
ここのところすぐに満席になって一日何人かは帰すことを繰り返しながら、果たしてどうなのだろうかと思っていた、それは席のことで、1番と2番のあいだ、それはカウンターの一番奥のところだ、あそこはもうひとつ置けるんだよな、と想う、なんなら3と4と5がある真ん中の島ももうひとつ行けるだろう、でもひとまずは1と2のあいだだ、ここは欠落しているように見えるほどに距離が空いている、初めて来たお客さんが「え、ないの」という顔をするのを何度も見たことがある程度に距離がある、ここに一席つくること。どうなんだろうと思う、もちろん今の1番2番の距離感がすごく好きな人もいるに違いないとは思うけれど、この場所で過ごしたかった人が過ごせないで帰ることを防ぐほうが、いいことというか、全体の福祉にかなうのではないかという気がしてきていた。
9月26日(日)
しかし今日は予約も少なく、あ、そうか、と少し拍子抜けでもあって、店を開け、ぽつぽつとやっていく。今日も『東京の生活史』を持っている方がいて昨日もいた。毎日誰かしら『東京の生活史』を運びこんで開いている人を見かける気がする。それは大きく、分厚く、重そうだ。そしてかっこいい。みなその本を大切そうに読んでいる。どでかいからそう見えるところもあるだろうが。見るたびに僕も読みたい気持ちが募っていったが今日の一冊で一線を越えたらしく、佐藤くんが来たらくまざわ行って買ってこようかな、と思う。