読書の日記(9/6-12)

2021.09.17
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9月6日〜12日(全29,452文字)
時間割で働く/つつか、おおや、とのごう/9月からの新体制/蔵前、クラウドファンディング/『アメリカン・ベースボール革命』、バウアーの実験/ウェブサイト文言修正作業/整形外科、リハビリ/作り置きの規範/エスカレートする作り置き/3万返せ、いや50万だ/トリエ、くまざわ書店、『文學界』、『新潮』/コンシャスマーケットの調味料/『ライティングの哲学』、この話は忘れないでおきたい、WorkFlowyのインストール/河野多恵子『不意の声』、うきこ/メルマガ、Shopify、定期購入/9・11/無断キャンセル/『地上で僕らはつかの間きらめく』、ベン・ラーナー/ブルーハーブ問題とミスチル問題/『Number』、大谷翔平/高い偏差値の俺!/依頼原稿を書けない

9月9日(抜粋) 

コンシャスじゃないマーケットにも寄ってサランラップとかビールとか買って帰り、昨日は全部ビアリーだったからとても久しぶりにビールを飲む気分だ、ビアリーライフは本当に正しいかもしれない、プリン体だけ気がかりだが。それでご飯を炊いて、家にいると5合炊いてこれは僕の3食と遊ちゃんの3食くらいでなくなるようだ。
僕の1食というのはお茶碗大盛り2杯、たぶん400グラムくらいで、遊ちゃんの1食というのは、あれは僕には「え、一口?」というふうに見える、50グラムぐらいだろうか、さすがに一口は言い過ぎか、「え、二口?」というふうに見える、「え、米、ほんとにそんなんでいいの?」といまだに心配を感じながら小分けしている、とにかくだからそういう量になって、昨日のお昼ごはんのときに炊いて昼、夜、今日の昼、と3食食べたからもう小分けしているのはなくて、だからまた5合を夜に炊いたわけだ、それで昨日のおかずと一緒にまたバクバクと食べ、残った米をまた小分けするわけだ。
食後もう少し仕事を続けて、今週はうっかり休日をつくることを忘れたなと思うが、もう遅い、明日から3日間、初台フルタイムが待っている。3日間はちょっと重い感じ。重いといえばずっとキーボードに向かっていたためか首や肩がずいぶん汲々としてきた感じがして、それで鍼灸のときにたまにやられておもしろい気持ちよさがある、首の筋というのか、胸鎖乳突筋というようだ、その筋のところを引っ張ったりゆさゆさゆさと動かしてみたりするのを自分でやってみると、なんだかすぐに楽になるような感じがしてもう寝床に入っている遊ちゃんにも教えてあげようと張り切った。
ここ引っ張ってみてよ、気持ちいいよ、と言っても遊ちゃんは「怖い」「痛い」と言ってほとんどやってくれなくて、僕は「やってみてよ〜」と言いながら地団駄を踏んだ。ベッドで踏む地団駄は、ベッドマットの柔らかさが心地よくて、猫がふみふみするのはこんな感じだろうかと思う。結局やってくれなかった。
シャワーを浴び、今日はちゃんとストレッチをしようと久しぶりに「超相対性理論」を聞きながら取り組み、そうすると15分くらいは飽きずにストレッチをすることができた。電車通勤になってすっかりラジオを聞かなくなった。
で、ビアリーを飲みながら『ライティングの哲学』を読む。布団にまだ入らない、自室でこうやって読むのは珍しい時間で、どうも『ライティングの哲学』をしばらくここで読んで、それから布団に入って『アメリカの〈周縁〉をあるく』を読むという二段構えでやりたいようだった。だからそれに従って『ライティングの哲学』を読んでいく、今は4人がそれぞれ書いた文章が続いているところで4人目の瀬下翔太のところを読んでいた、ところで千葉雅也が「蓮實節も保坂節も感染力が強いので、真似すると毒されるというような心配の声を聞くが、気にしない方がいい。そっくりにはならない。最初は真似っぽさが目についても、だんだん自分の身体的傾向と融合して新しい文体が生じる。人間は必ず個性的なのであって、何を真似しても当人のスタイルに変換される」と書いていて、これを瀬下翔太のところを読んでいて思い出したのは最初の座談会のところで千葉雅也が「思ってるほど「順接の繋ぎ」って必要なくて、ふたつのことをごろっと繋げるだけで、人はそれをなんとなく読んでしまうんです」と言い、瀬下「連ツイのように、いくつかのツイートがただ隣り合っているだけでも、意外と意味は通りますよね」、千葉「そう、通る。人はそこで「繋がってねえよ」なんて突っ込まないんですよ、実は」、そこに瀬下翔太が「そこに自分で突っ込んでしまって、不安に苛まれることが多いです。この話は忘れないでおきたいなあ」と言う、この場面を思い出したからで、つまり「そっくりにはならない。最初は真似っぽさが目についても、だんだん自分の身体的傾向と融合して新しい文体が生じる。人間は必ず個性的なのであって、何を真似しても当人のスタイルに変換される」というのを読んで「この話は忘れないでおきたいなあ」と僕は思った、思っていたことに言葉を与えてもらった感じがあった。
僕は積極的に感染したいと思っていて読んでいる本にもろに影響を受けながらそれまでは使えなかった言葉や取れなかったリズムで初めての文章を打ち込む経験を何度もしたい、次第に内面化するものというか自分の体に残るものもあれば消えるものもあってその繰り返しで指の形を変形させ続けたい。そう何を真似しても当人のスタイルに変換される。そのためにはしかし、一定の量の経験が必要なんだろうとも思う。
それで、
なんでもここに書いてみること
躊躇せずに
体裁を気にせずに
9月10日0時20分、煙草を吸いに出る
Workflowyを導入することでなにかが変わるような気がしている、ワクワクしている
add note はどういう機能だろう
なるほどノートというのはこういうことか
あ、いつまでも続いてしまう
どうやって離れるんだろう
うーん、もっと、少し直観的でないか、そんなこともないか
ショートカットが難しそう、
オープンクローズはしたいし戻りたい
今までスマホで書く場所が難しかったのかも
Ulyssesは同期がもたつくから、日記用のメモ、それはGmailで自分宛に書いていた
Ulyssesはまとまった文章を書くところ
notionにもフリーなメモはしづらかった。
それは人目につくということではなく、
検索に入ってきちゃうことを考えると少し躊躇した、邪魔で
メモアプリもコピペ下書き以外で使わない
つまりやっぱりなかった
スマホに関するのはUlyssesの同期だけで、だからパソコンでも同じだったわけだ
そうだからなぐり書きをする場所がなかった
もうちょっと文字が小さいといいのだが
首の筋を引っ張ると楽になる
そうだから、瀬下翔太のところを読んでいたら、それは「「メモ」に貴賤はない」という小見出しが決定的だった気がする、そうだ、今まで賤のものを置く場所を自分は持てていなかったというか、整形する必要があるところしか書く場所を持てていなかった、と思い、まんまとWorkFlowyをインストールしていた。なにかいい予感がしているが、どうなるか。
寝室に移り、ノースダコタに行く。
・・・
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