読書の日記(8/29-9/5)

2021.09.11
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8月25日〜9月5日
写真を撮る/つくりおき三昧/『アメリカの〈周縁〉をあるく』/お客さんゼロ/『アメリカン・ベースボール革命/『ザ・ファブル』を一気読みしたい/ワクチンの日/ツタヤ、『ザ・ファブル』一気借り/整形外科とリュックサック/佐藤たち/ラーメンを食べたくて来た人にラーメンを提供したいというそれだけ/『ライティングの哲学』、書きながら生きる/店と文章の閾値/西荻窪、インタビュー(全23,921文字)

9月5日(抜粋) 

西荻窪に着いて、同じ轍は踏まないようにとまず腹ごしらえで富士そばに入る。前回は空きっ腹で酒を飲んだためかずいぶん酔っぱらってしまった。それでミニかき揚げ丼セットを待ちながら野球の記事を読んでいると、隣のテーブルの男女の男がすごい速さで食べている。ものすごい速さ。僕は視界の端でそれを見ているというかその動きが視界の端に否応なく入ってくるわけだが、それだけで酔っ払いそうになるようだ。腕が4本くらいありそうなそういう動きが卓上で繰り広げられていて、ほんとすごい速さ。箸とかレンゲとかも意味なくカンカンカンと丼を叩き、カンカンチャッ、口を拭く動きまで速い。伝説のそば食い職人とかだろうか。
僕はゆっくり、菅野智之の記事と栗山巧の記事を読みながら食べる。
6時過ぎで、閉店の8時まで時間がある。先にフヅクエに行って客席で赤入れをして待とうかなと考えたが、いや、赤入れはこれは読書ではないよな? これはやっちゃダメなやつだよな? と思ったので念のために案内書きを参照すると、「こちらは、前項の通り、「ペンを使い続けるものについてはご遠慮いただく」というところです。具体的には、「常にノートが開かれていて常にペンが握られている」であるとか「資料なりゲラなりに常に書き込みをしながら読む」であるとかが該当します」とあり、ここに抵触することがわかったので諦めてドトールに。
ドトール、はかどーる。
西荻窪に行くとき僕は北銀座通りは使わずに、そのひとつ横の細めの道を歩いていく。車もめったに走らないし静かでこちらが好きだ。ずうっと歩いていくと車通りが見えて、それが女子大通りで斜向いの自転車屋さんが印象的だ。
そこから女子大通り沿いを歩けばいいのだが、なんとなくぐるっと大回りしてコンビニにも寄って行こうと思い、そのまままっすぐ行って住宅街に入っていった、一本目を折れるとすぐに元の通りに戻ってしまう、次の角を曲がればきっとあの道になるのだろう、と思ったその道を歩いていったら突き当たったのはまったく知らない景色で、すっと気持ちが広がるような、何をもってそう思うのか自分でもわかっているようでわかっていない「東東京の車通りみたい」と思う景色があった。通りは片側2車線の、だから北銀座通りよりも大きな通りで、車のディーラーとかもある、この車のディーラーの感じは僕が思う東東京のそれとはまた違うから、これはやはり西荻窪なんだろう、しかしこれはいったいなんなんだろう、いったいどこに出たのだろう、と驚く。きっと青梅街道とかなんだろうけれど、びっくりした。すぐに目指していたコンビニにも行けたが、それもどこかで通るべき道をすっ飛ばしていないとこういうこういう辿り着き方にはならないんじゃないかといういびつな感触があって、その不穏さが愉快だった。ロング缶、普通の缶、それからビアリーを2本ずつ買って店に入る。
酒井さんがいて、金の音がする。レジ締めの最中だ。あとはレジ締めと少し洗い物をやれば終わるということだったので席で待って、今日は僕はまだ酒は飲まない、前回はなんでなのか変に酔っぱらってしまった、その反省を生かしている、今日は僕はあまり口を開かない、前回はおしゃべりをし始めたらインタビューそっちのけで話に花を咲かせてしまったので、安易に仕事の話をし始めたらいけない、その反省を生かしている。
しばらくすると酒井さんがやってきたのでロング缶で乾杯し、僕は口数が少ない、しかしうっかり店の話をし始めてしまって、ああ、いけない、いけない、強制的に録音を開始し、話し始める。読書についてのインタビューというよりは読書をトピックの中心に置きながらも、なんかどうやって真剣に生きるかね、ということについての対話になっていた感じがある。尽きないもので、気がついたときには終電まで20分くらいの時間で、やばいやばい、急いで帰る。並んで歩きながらまだ話は続いて、もしかしたら僕には友だちができたのかもしれない、と思う。
帰り、今日はだからその、アルコールは2缶、そこからノンアル、という作戦はけっこうよかった気がして、ビアリーのあとは西荻窪で出している常陸野ネストのノンエールをいただいてこれもとてもおいしかった、だから酔っぱらってはいない、平気な顔で歩いている。新宿駅では酔いつぶれて座り込む人とそれを取り巻く人たちがいたり、なにか苦々しそうな顔で早足で歩いていく人がいたり、改札前で強い高いハイタッチをして別れる二人がいたり、気持ちが安らぐ。
電車ではパソコンを開いている。駅からはビールを飲みながら帰り、これは余計な一杯だったような感じがあった。体が必要としていなかった。家に帰ると冷蔵庫にワインがあったので一杯飲むが、ぶどうジュースみたいなワインだった。布団に入って『アメリカの〈周縁〉をあるく』を続ける。チャンプの家族から電話を受けたことをきっかけに、ふたたびニューメキシコに行った、祭の日だ。広場で祝祭が始まる。鮮やかな衣装に身を包んだ50人ほどの男たちが「一ヶ所にかたまり、経を唱えるようにして低い声でうたう。幾人かはドラムを叩き、低音で一定のリズムを刻んでいる」。男女混合の踊り手たちは、手にマラカスや枝を持って踊る。広場に集まった300人ほどの観衆は、椅子に座ってじっと聞き、見つめる。
誰もが踊りと歌に集中していて、写真を撮る者はいない。ひとつの曲が終わっても、拍手する者すらいない。ほとんどの人がただその場にいて歌と踊りをじっと見守っている。静かな広場に、低音のドラム音と肉声がうねり、踊り手の身につけた赤や白やターコイの鮮やかな色彩がうごめいていた。時間が沈んでいって日常とは異なるテンポが打ち立てられ、空間が引き裂かれひろげられたうえで、人の肉体の壁によってあらたな境界が制定されたようだった。東京の喧騒を離れて約四〇時間後、まったく異なる時空間を見慣れない色彩と聴き慣れないリズムとが舞っていたのだった。乾いた空気に混じって嗅ぎ慣れないハーブのような匂いが漂い、ときおり鼻腔内をやわらかく刺激した。
一時間ほどが過ぎただろうか。じきに歌い手と踊り手は建物と建物のあいだを抜け、プラザから姿を消した。その後もしばらく音楽はつづいたが、やがてそれもやむと、座って見守っていた人びともひとり、またひとりと黙ったまま立ちあがって帰っていった。騒ぐ者も笑う者もいなかった。静かだった。戸惑っている僕らに通りがかりの女性がひと言、「ランチタイム(お昼休みよ)」と言葉をかけ、微笑みを浮かべて立ち去った。
中村寛、松尾眞『アメリカの〈周縁〉をあるく 旅する人類学』(平凡社)p.137
そのあと「身うごきせずに近くから遠くから静観する人びとのあいだにいると、降りそそぐ陽の光がその瞬間の持続を照らし、彼らの凝視なり注視なり看視なりがこの村の生きた記録であり記憶であるような気がしてきて」とあって、そんなふうに僕も見たい。
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