『若い藝術家の肖像』を読む(11) 本を仕入れた

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昨日から『アイルランド―歴史と風土』を読み始めたのだけど、「これはけっこうしんどいのではないか…?」という雰囲気がするというか、「さしあたって私は読者が古代ケルト文化についていくらかの知識があることを前提としたい」と言われてしまい、「さしあたりのハードル高っ…!」となってしまった。さしあたりの前提を持たない僕が第2章くらいまで読んでみた感じは、「なんの話をしてるのかわからなくて面白くないです」という不機嫌なものになっている。これは、どのような態度で読まれるべきか…そもそも、読まれるべきか…もう少し辛抱してみようか…
ちょうど昨日の「今日のダーリン」で、こんなことも書かれていたし…
「「ああ、あの古典の名作ね、おもしろくなかったぁ」/なんてことを言っていても、やっぱり、/買って、読んで、つまり本に対してはたらきかけたことは、/よかったのだと思う。/読みもしない目利きよりも、本を読んでおもしろかったり、/おもしろくなかったりの経験をした人のほうが、/よかったということになるのではないだろうか。」
働きかけること、そうだよね…すごいそう思う…でも、『アイルランド―歴史と風土』はそういう辛抱をするに値するというか、今回の目的からしてそんな辛抱をしてみるべきものなのか…これが本命というか元々のあれである『若い藝術家の肖像』だったら「耐えよう…」という動機を持てるけど、『若い〜』を読むために読んでいる本というかある種の資料としての本なんだから、そんな付き合い方は必要なのか…
そんなことを考えながらエドガー・アラン・ポーの短編集を読んでいたらとても面白いというよりは「なんか色々おかしくないですか?」というのでとてもよくて、「黒猫」とかすごいね、なんかやたらグルーヴィー。で、面白いな、ポー、とか思っていたらダンボールが届いた。
そう、いまだ開かれざる書物、『若い藝術家の肖像』を販売することにした。
版元の集英社に電話をして、「ブックバー的な店をやっておりまして…御社の本を販売させていただきたく…つきましては…ご担当者の方は…」と言って卸していただいた。
僕の中で「集英社に電話をかける」という行為はなんというか、大人の階段を一歩上がった感があってちょっと嬉しい、意味わからないだろうけど。僕もわからないのだけど。あ、わかった!こんなちっぽけな個人の店をやっている人間が大企業といっちょまえに取り引きらしきことをするみたいなポイントだ、きっと。それが俺の自尊心を満たす的なところだろうか、大企業を向こうに回し一歩も引かない俺、俺・孤軍奮闘、がんばってる俺、輝く、みたいな。ちっちゃいやつだねえお前はほんとと思いつつ、まあいいじゃないですかそういう楽しみがあってもと思いつつ。
そんなわけで売ってます。僕はまだ読んでいないにも関わらず、売ってます。(いや読みはとっくに始まっているとも言える、なんせこれすでに第11回だし)
ウイスキーを仕入れ、本を仕入れ、「『若い藝術家の肖像』を読む」、がぜん(一人で)盛り上がってまいりました。