fuzkueオーナーが語る読書の引力 | KODE

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「探究心や好奇心を刺激するオンラインのインスピレーション・カルチャー・マガジン」であるところの「KODE」にてご紹介いただいたというかインタビューしていただきました。
ラテンアメリカ文学について話を聞かせてくださいという取材依頼のメールを読んで、え〜〜〜www と思ったんですが、ほいほいと受けたんですが、案の定うまくしゃべれないながらも楽しかったですしなんだかかっこいいメディアに載っけていただいたものだなと公開されてから改めて思ったというか、インスピレーター、思ったんですが、KODE、思ったんですが、ところで最近思ったというかインタビューというので思い出したんですが、最近思ったというか人から「ブログでこういうのやってみたら?」と言われてそのまんま「あーそれは面白そう〜やってみたいかも〜」と思っていて温めているというか、思ったきり放置しているというか、そういうのがあるんですけど読書、読書が僕は好きで、趣味で、読書が僕は好きなんですけど、なのでよく読んでるんですけど、そうすると本って持ち運びができるものなのである読書の時間というかある一冊があるときのどこかの情景と特に意味なく結びついて記憶に残るということはよくあることだと思うんですけど、最近だと滝口悠生の『高架線』のことを、今度演劇行こうと思って、それでチケット取ろうとしたりしながらふとこの小説のことを考えていたら思い出したのは箱根に旅行に秋に、行ったんですが、着いた早々にお腹痛くなっちゃったのでどこにも寄らずにすぐに旅館に向かって、午後2時とか、晴れた日で、旅館の前には川が流れていた、川沿いは露天風呂に続く遊歩道になっていて籐椅子と机が何セットか置かれていた、そこに座って、頭上の百日紅の赤い花であるとか水の轟々と流れる音であるとかあるいは途切れることのない車の走行音であるとか、すっかり青い空と山の深い緑等々によるなにか清涼な空気であるとか、そういうものに包まれながら『高架線』を読んでいた、一時間以上はそこで過ごしたはずだから当然その場面だけではなかったが特にセットになっているのはうどん屋のあたりのくだりだった、それを思い出して、ナイスな旅行とナイスな小説が一緒に記憶に格納されたことを知って僕は喜んだのだけど人のそういう話を聞いてみたい。
別にナイスな記憶である必要はまったくなくて、例えば大学時代のことだった、梅本洋一の『映画旅日記パリ-東京』を読んだ、下北沢のミスドで読んだ、特に印象に残った一冊とかではなかったしなにか印象に残った一日だったわけでもないというか他のことは何も覚えていないのだけど、なんで下北沢にいたのか不明なのだけど、ただただ「あの本をあそこで読んだ」ということだけを妙に強く覚えているというそれだけなのだけど、なにかそれだけで僕はずいぶん面白い。
誰かがなにかの本をどう思ったかとかよりも、ある本をいつどこで読んだ、なんでかこの本を見ると思い出すんですよね、というそういう話のほうがずっとなにか人生みたいなものと接しているような気がする、時間のようなもの、物語のようなもの、そういうものがある気がする。そういうある場面だけでなく、その人の生活のなかのどこに読書の時間があるのかであるとか、どこで買ってどこで読むのかとか、暮らしと読書みたいなことも知れたらきっと愉快だと思う。読書と暮らし。読書と人生。人生と読書。読書と人。
そういう、だから、なんの話だったか、そういうインタビューみたいなことをやってみたい、と、思ったというかそういうインタビューをやってみたら面白いんじゃないか本の読める店的にもいいんじゃないかと言われて「たしかにたしかに。それやりたいかも」と思って、思ったきり放っていた。たぶん、インタビューなんてやったことないし、インタビューをしたいんですけどとか誰かに申し出てインタビューをしに行くというそのことを想像するととてもハードルを感じる、それで二の足を踏んだまま止まっているらしかった。いつかそういうことをやってみたい。と思ったということを思い出した。