看板を新調した

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看板を新しくした。とってもいい看板ができた。どういう店なのかが前よりもちゃんと伝わるようになった、はずだ。
看板を出したのは1年半前のことで、それ以前の看板なしでの営業も1年半だったようだから、看板をめぐる動きというのは1年半周期で起こるのかもしれない。1年半後、なにを思うか。
去年の春、スタッフのひきちゃんと屋上でせっせと作った初めての看板、ダメージ加工とか言いながら燃やした紙をくべて焼き色をつけたりぶっ叩いて傷をつけたりして愉快に作った初めての看板、それを路上におろしたときも、なにか世にパブリッシュされた感じがある、そう思ってそう書いたけれども、今回はとてもきれいなものになって、それを見ていたらいよいよまるでお店みたいだ、と思った。なにか、ちゃんとおおやけに開かれている感じがする、まっとうな存在によって営業されている感じがある、凸版文久明朝フォントの整った文字が、大丈夫ですよ、外に向けて開かれた店ですよ、内輪の店とかじゃないですよ、怖いことはないですよ、ということを担保してくれている感じがある。
これはすり寄りだろうか、あるいはそうかもしれない。ただ3年という時間を掛けてフヅクエはなんというか、守るべきものを守るだけの、実現するべきものを実現するだけの、ちゃんとした強さみたいなものを獲得したというか、十分に強い店になっている、どんどんなっている、という自負はあり(あれれ、上の記事で同じこと書いてた。常にそういう自負は伴っているらしい)、だから見せ方がなにか変わっただけでなにかが損なわれるなんていうことはないはずだ。(ところで前の時も「看板を出したところでなにかが損なわれることはないのではないか」と思いながら、その一方で「平均滞在時間が短くなるのではないか」という懸念というかネガティヴな予想をしていたが、変わらなかった)
それよりも僕は、この店が提供するものに対するニーズを持っている人にもっと声を掛けたい、届けたい、ここにあなたがほしかったそれがありますよと知らせたい。ということだろうか。
いや、とか言って、それはあとづけでして、看板を作り変えようと思ったのはここ数週間のいろいろをなんだか再構築するぞ〜という気運に乗じてポッと思いつかれたためだけだった。「よし、この際だから看板も」みたいな妙な勢いでデザインを考えてみたらあんまりグッドデザイン賞なものができたものだから、これはもうやるでしょ、というところでしかなかった。11月13日に思いついて15日の午後には看板とカッティングシートを注文していた。23日、届いたその日の夜中にカッティングシートを貼りつけた、その作業は度し難く楽しく、ペリペリとめくるたびに現れる文字の美しさに感嘆し、狂喜した。僕がやりたかったのは「とっても楽しい看板作り」みたいなことだったのかもしれない。
ところで「看板、新しいのにするのもいいかもなあ」という欲求の出芽自体はとても新しいものではなく、野方のDaily Coffee Standに、あれはいつだったか、オープンからそんなに間のない時期だった気がするからもう一年くらい前にはなるだろうか、行ったときに看板を見て、ほーこれはよいなあこういうのにうちもしたいなあと思った。
店主の小川くんは、というか優くんは、(たちまちくんゲシュタルト壊れた)、僕にとって極めて希少な「店をやっている友人」という存在で、それで優くんに「僕はこれにしたいと思うんですけどこれはどこで買えるんですか?」と聞いて教えてもらい、その「A型ブラックボード」とやらをオンラインで買えるページをブックマークしていた。それ以降はすっかり意識から消えていたということだった。
それでやっと作ることにした今回も、カッティングシートを発注するにあたって優くんに「僕はあれにしたいんですけどどこに頼んだらいいんですか? 文字はマットホワイトでいいですか?」と質問を送り、それで教わったとおりのところに注文をした。デザインしているときも画像検索をして見ながら、ふむふむ、上が店名とあれで、営業時間とURLを下にね、なるほどね、あーそっかこういうやつは全部中央揃えで配置しちゃえばいいのか、あーはいはい確かにきれいですねーおさまりますねー、という感じで、どんなプライドも持っていない様子で作っていた。つまりフヅクエの新しい看板は「だいたいDaily Coffee Stand」みたいなことになっている。ぜひ両方の店に足を運んで見比べ、「フヅクエwww」と思ってほしい。
秋。去年の秋はWebの作り直しに狂っていて、その前の秋はメニューを作り直すことにドハマリしていた。今年は看板に限らずもうなんというかもりだくさんで、秋はどうやらなにかと仕切り直しの季節らしい。