人の読書離れを憂うな

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先般話題になっていたNHKの「クローズアップ現代」の「広がる”読書ゼロ” ~日本人に何が~」という特集の、元ネタになっている調査というのをインターネットで教わったのでそれを読んだ。
国語に関する調査なのか、というところで目次を見てみると2つ目の項目に「人とのコミュニケーションについて」というのがあって、そこって国語の管轄領域なんだ!というのがいちばん驚いた。
ところで1ヶ月に本を1冊も読まない人が全体で47.5%いる、とのことで、10年前の調査と比べても10%高くなっている、読書離れ、由々しい、という話なんだと思うのだけど、なんで読書っていつもこういう問題の立てられ方をするんだろうと僕はわりと思ってしまうのだけど。 人の趣味とか別にどうだっていいでしょというか。僕にとって問題があるとしたら本が売れなくなることでこれまでだったら出版されていた本が出版されなくなり僕が読めなくなる、ということが起きたら問題だなとは思うのだけど、そうじゃない論点については「別に読まなくてよくないですか」と思う。
「読書」というのはちょっとマジックワードすぎるというか。 大切なものとしての読書っていったい何ですか、教えてくださいよ具体的に、というか。
たとえば今僕が読み途中だったり買ってまだ開いてなかったりする本(つまり書店のカバーがついている本で、読み終えてカバーを外して本棚に差す瞬間がとても好きで)というのを列挙してみると、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』、トム・ジョーンズ『拳闘士の休息』、岡田利規『現在地』、鈴木涼美『身体を売ったらサヨウナラ』、ダフネ・デュ・モーリア『いま見てはいけない』になるのだけど、これらのどれも必要のない本だと僕は思っている。
問題なんかないんだよこんなもん読まなくても。読まないことの何が問題なんだ。あるいは何を読めば満足するんだ。
若者の読書離れを憂う大人、高齢者こそ読書離れが加速しているのにそれは無視して若年者を憂う嘆く責める嗤う見下す大人たちは、何を読んでいたら「OK」と思うのだろう。なんか新書とか?ビジネス書?思想書?雑誌は?それともなんか立派な感じがする文学的なもの?夏目漱石とか?トルストイとか?舞城王太郎でもOK?ソローキン読んでるやつ見て「本読んで偉いな」とか言うわけ?そして偉そうな口きくお前らはいったい何を読んでるの?
と、僕もまた、対象の見えない、仮想された「大人」みたいな存在に向かって妙な憤りが生まれて高ぶってしまったのだけど、なんだっけ。 そう、だから、対象の見えない、仮想された「読書」なんていうものを相手にしていても何も意味のあるものは生まれないでしょう、ということか。
なんか腹立つなー。どんどん腹立ってきた。何に対してだろうかこれしかし。
読書は大切なことという信仰でも神話でもいいけれども、調査の問13「読書をすることの良いところは?」という問い自体が神話によって発せられている感じがするけれども、その答えが何よりで、61.6%という最も多くの人が選んだ答えが「新しい知識や情報を得る」っていうやつで、これはやっぱり国語教育のたまものというか刷り込みの結果だろうか。
少なくとも今俺が読んだり読まなかったりしている本読んでも「新しい知識や情報」と呼べそうなものなんてほとんど得られないし、「読書とは新しい知識や情報を得るためのものだ」と認識されている/させていることこそが、人から読書を離す最大の要因なんじゃないか?だったらネットでいいですわ、となる。
そうかなんか腹立っている原因がわかってきた気がするんだけど、要はそりゃ国のやっている調査だしというかそもそも調査だしそんなものを求めるのも完璧におかしな話なんだけれども、この調査の中には本を読むという行為に対する愛情や敬意が一つも感じられないんだきっと。だから腹立つんだ。本を読むことが好きで仕方がないやめられない理由なんてわかんないけどただ読んでいたいんだそれだけなんだっていう気持ちがどこにも感じられない奴らが仮想された大切な読書なるものについてあれこれ質問してその上で嘆く振りとかしてんなクソが、引っ込んでろ、みたいな感じだろうか。
しかしそれにしたってどうしちゃったのという怒り方だなこれ。