気持ちよいお金を払いたい

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写真は先月末から外の入口前のところにぶら下がっているおニューなペンダントライトの様子で、「新しくなったんです」というのを言いたいがためにブログが今、このように書かれ始めた。何を書こうか。
ええと、このペンダントライトは長野県の諏訪市に去年できたReBuilding Center JAPAN(長いので以下「リビセン」)がやっていたクラウドファンディングのリターンとして届いたもので、「愛知県・一宮市の織物工場の解体現場からレスキューしてきた糸巻きでつくった照明」とのこと。 「レスキュー」とあったけど、それはこんなふうに説明されている。
私達の理念は'ReBuild New Culture'。

それは「世の中に見捨てられたものに価値を見出し、もう一度世の中に送りだし、次の世代につないでいく」ということ。
いま、日本中で解体されている古い建物から、古物や古材、建具などをレスキュー・販売します。

私達は、こういった捨てられるはずだった古材の救済にいくことを「レスキュー」と呼んでいます。現場でいい表情の古材達に出会うと「良かったね、また暫く活躍できるねー!」と話かけたりすることそしてこの時、古材や古物はもちろん、その建物と一緒に育った人がもし、建物を壊してしまうことになくなってしまう寂しさや、守れなかったという後ろめたさがあるのなら、その気持ちも含めてレスキューできればいいな、とそう思っています。 ReBuilding Center JAPAN
なんていうか「すっごいいいな」って思うんですよねこれ。こーれはすっごいいいなーーーーって、いつくらいだったか、夏くらいだったっけか、Facebookでそんな感じのことやりますなクラウドファンディングのお知らせの投稿を見かけて、思って、「これはなんというかめちゃくちゃいいな!」と思ったためお金をポンすることにした、そうしたら糸巻きがやってきた、そうしたら「これは入り口に付けられるのでは?」と思ったため付けてみたら付いたのでぶら下がった、そうしたらなんか「いいじゃんいいじゃん」な感じになった。
なんかこう、クラウドファンディングっていいよな〜って思うときがたまにあって、なんかこう、とてもいいですよね。
それがある世界とそれがない世界で、それがある世界のほうが豊かだと思うし自分が生きたいのはそれがある世界の方だから、それがある世界の方を自分が生きるために自分がほんの少しでも手助けというか貢献というか参加できるのならば、したい、というのを手軽に実現してくれるのがクラウドファンディングかと思うのだけど、なんかこう、お金払うだけでこんないい気分になれるんだ、という気分がある。自分が払ったお金がなんか世界のよりよさにつながっているような実感があるような気分がある。そういうお金の払い方はとても気持ちがいい。
僕のクラウドファンディングでお金ポンの経験は今回のリビセンと映画『ハッピーアワー』のやつの2回だけで、リビセンは「いいーーーすごくいいーーー大賛成ーーー」な払い方でハッピーアワーは「絶対見たいー絶対絶対絶対見たいーーーどうかその映画をより満足いくような形で製作してほしいーーーー」な払い方で、参加する感覚は少し違うのだけど、どっちも参加してうれしいなーととても思った。なんかこのとてもいいなー感はわりと遅効性のものだったりするのかもしれなくて、『ハッピーアワー』のときはリターンで届いたチケットで見に行ったりとかしながらもしばらくのあいだは自分が見た明らかに偉大だろこれという映画とクラウドファンディングのことを紐付けて考える瞬間がなかったのだけど、あるときにふと「そういえばあのクラウドファンディングがなかったらハッピーアワーはあの形にはきっとなっていなかったんだよな、いずれにせよ偉大だったろうけれども少なくとも何かしらは別の形になっていたんだよな、多分」ということを思って(間違っているかもしれませんが)、そうしたらなんか「おーなんかうれしいなーこれは」という気がじわじわ強く押し寄せてきた。この感じはなんかね、うれしいものですよ。最近だときっと『この世界の片隅に』のクラウドファンディングに参加していた人はいい気分を味わったんじゃないかと思うのだけど、なんかこう、幸せ感ありますよね。微々たる額だし自分がそこになにかの影響を与えたはずだみたいな大きな意識はないけれど、でもなんか「そこには俺の何かが何かしらの形で貼り付いている」みたいな、大きな球体にピタッと手足広げてへばりついて宇宙空間で浮かんでいるイメージなんだけど、なんかこう気分いい。
こういう気持ちよさってクラウドファンディングだとわかりやすく感じられるのだけど、そうでない普段の買い物なりなんなりだって僕らはお金を払うことに気持ちよさや幸せを感じたっていいんだぜと、思うけれど、なかなか普段からお金を払うことで幸せみたいなことってそうそう感じられるものではないけれど、というかすべての支払いが気持ちいいものになったとしたらいちいち気持ちよすぎて痙攣して失神しちゃうんじゃないか、まっとうな市民生活を送れなくなるのではないか、と思うのですべてが気持ちよくなる必要も別にないとは思うのだけど、でもなんかそういう「あ、払うってうれしい」みたいな場面が増えたらいいし、「よろこんで払いたい」と思えるものやことに多く出会えたらたぶん、それは幸せなことだなと思う。思うし、こういうことを書いていて当然フヅクエのことも(フヅクエの店主なので)同時に考えているわけだけど、より多くのお客さんにとってフヅクエでお金を使うことが何かそういうよい気分をもたらす経験になったとしたら、それはウィン&ウィンなのでうぃんうぃんしちゃうよね、そうなりたいよね、と思う。
以上、「おニューのペンダントライトがぶら下がっています」のお知らせでした。あたたかくなったらリビセン行ってみたい。