オープンから2年

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オープンから丸2年が経ったということらしかった。
2014年の10月17日、2年後の状況がこんなものだと知ったら、僕は何を思っただろうか。「え、どうなってんの…全然じゃん…」そんなところだろう。「ね、ほんとに」と今の僕は答える。
2年。こんなに難しいものなんだな、と感じながら迎えることになった。思うようになんて本当にいかないものだな、なにもかもが、と実感しながら迎えることになった。
2年前に思い描いていた2年後の状況にはまるでならなかった。道半ば過ぎてクソワロタ、というところだ。
と、書くと、暗いんですが、昨今の僕は全然暗い気持ちではなく、むしろ1年前なんかよりよほど明るいんじゃないか。店をもっとこうしていきたい、という欲望の声めいたものが新たに少し聞こえてきた感じがして、それが僕を本当にうれしくさせている。退屈じゃない、というのが何よりも大切なことだと思っている。たとえずっとずっと遠くであったとしても、こうありたいという姿が見えるとしたら、あとはそこに向かうだけだと、そしてそこに向かうのは楽しい作業だと、今はとても思っている。時間は思った以上に掛かっているけれど、余裕でそこまでいくつもりで、今はいる。なので楽しい。
しかし2年。2年な〜、と思う。まだ2年しか経っていないのか、ということに驚く。
2年前まではフヅクエで日々働いていなかったのか、ということに驚くし、それよりもなによりも、2年前まではこの世界にフヅクエという場所がなかったのか、ということに驚く。それはなんて貧しい世界なんだろう、とか思う。フヅクエがない世界、フヅクエがある世界、後者のほうが100倍豊かで、だから2年前までの世界は今の豊かさの1/100しかなかったわけだ。想像したくもないような貧相な世界ですねそれは。本当に。フヅクエを作ってくれてありがとうと、フヅクエ好きの人々にかわって僕から僕に伝えたい。
2年、全然うまくいっていない、と書いたけれど、どうにか2年もった、という感覚はない。ただ続けていくということであればこんな小さな店だったら2年なんて余裕だろ、とやはり思っている。ただ、これは僕にとっては5年でもあって。
その5という数字に対しては何か少し、誉めたいような気持ちがある。5年、25の歳から5年、個人事業主という立場になって、自分の足で立ち続けてきた、ということは一つ、誇っていいことのように思う。そんな生き方ができるなんて、そうやって生きるようになるまでは思ってもみなかった。
これは、いろいろなことに安いつまらない絶望をしている高校生のときであるとかの自分に知らせてあげたくは別にないけれど、彼が知ったらきっと喜ぶだろうと思う。「え、そんな生き方を俺がするの?そんな選択肢ってあるの?いい大学行っていい企業入ってそれなりに上手に生きていくんじゃないの?」と言うだろう。「そうなりそうだったけど、そうはならなかったね」と今の僕は答える。「これが賢い選択だったかは全然わからないというか、きっとそうでもないだろうなとは思うんだけどね」と今の僕は答える。「ある種の諦めみたいなものと一緒に、人生って賢く生き抜いた者が勝ち、みたいに今のお前は思っているよね。でもどうやらそれだけでもないみたいだ、というくらいのことは思うようになったらしいよ」と今の僕は答える。「苦労はまるで絶えないけれど、クソみたいな状況だけど、それもまあエキサイティングとかスリリングとか言い換えてしまえばいいのかな、くらいのことは思うようになったらしいよ」と今の僕は答える。「朗報があるよ」と今の僕は答える。「この別に賢くはない選択をした僕は何一つ、驚くほど何一つ、後悔という感情を持たずに生きているよ。それはきっと、もしかしたら、幸せと呼んで差し支えのないことだと思うよ」と今の僕は答える。いや答えない。教えてあげない。グジグジ悩み続けたらいい。グジグジ悩み続けた先に見える景色があるから、だから今は何も教えてあげない。と、「いやいや」と言う彼の声が聞こえてくる。「いやいやいやちょっと待ってちょっと待って」と彼は言う。「全然稼げてないんだよね?30だっけ?30でそれやばいとか思わないの?」と彼は言う。「知ってるよ俺、あんたはクソみたいに働きながらクソみたいな額しか稼げてないんだ。完全にただのワーキングプアだよあんた。頼むから後悔くらいしてくれよ。後悔と引き換えに頼むから普通に安定を買えよ」と彼は言う。苛立たしげな、信じられないという声で彼は言う。「マジでさ、どういうことなの?なんで俺がそんな生き方しなきゃいけないの?頼むからせっかく乗ったレールから外れるなよ」と彼は言う。「いやレールとか安定とか普通とかさ、そんなのあるようでないんだって」「うるさいよ」と彼は言う。「いやほんとちょっと何そんな怒っ」「うるさい」と彼は言う。今の彼には何を言っても仕方がないかもしれない…
ところで先ほど自分の足で、と書いたけれどもちろん、多くの人に支えられまくってのことではあって、それは僕の仕事を価値のあるものだと認めてくれるお客さんたちであれ、一緒に働いてくれる/くれた人たちであれ、いろいろと唐突な相談事に忙しいなか対応してくれる友人たちあるいは友人と呼んでもいいのかはわからないながらも慕わせてもらっている知人か何かの人たちであれ、東京で店を始めてから距離がずいぶん縮まった感があってよい関係だよねと思う家族の人たちであれ、まあほんと大助かりというか超サンキューというか本当に一人だったら絶対無理です、というのはとても思っている。僕はさみしがりやなので、とてもじゃないけど余裕で無理です。いつもありがとうございます。
そして誰よりも、どれだけ苦しくてもどうにか踏みとどまり、可能な限りユーモアを保持して笑いを絶やさないよう努め、だるかったり眠かったりしながらもなんやかんやと日々働き続けてきた僕自身に深い謝意と大きな敬意を表したい。お前は最高にクールだ。
photo by 齊藤幸子