7月28日

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好奇心が旺盛でない人間なので意識しないと実行できないため昨今できるだけいろいろなものを飲み食いしてみよう飲んだり食べたりしたことのなかったものを、みたいなモードが、あったっけ、って今打ちながら思ったんですけど別にないわ。ない。そうあれたらいいなとは頭の片隅では思っているけど実行しているかというと別にしてないわ。ない。
先日ペルー料理屋に行ったところペルー料理があったためペルー料理を食べるということをおこなったのだが、たぶんその一つの事例だけを取って「そういうモード」と言おうとでも思っていたのかもしれないが、食べたことのないものを食べる例はそれぐらいだからモードとまではいかない、のでモードではない、のだが、なんでペルー料理屋に行ったかといえばピスコサワーを飲んでみたかったためであり、そのため真っ先にピスコサワーを頼んだのは言うまでもない。するとピスコサワーが運ばれてきたためピスコサワーを飲んだところ「お、これがピスコサワーね、間違ってなかった!」となった。
間違っていなかったとは何か、といえばフヅクエではいつからだったろうな、去年の秋くらいからかな、ピスコサワーをお出ししていて、得意な顔をしてシェイカーを振り回してピスコサワーを製造してきたわけなんですが、飲んだことなかったんですよね、という話で。飲んだことなかったんですよねピスコサワー、だけどwebでレシピ調べて「まあこういうものだろう」というので作って出してたんですけど、作るたびに思い出していたわけでは全然ないんですけど飲んだことなかったんだよな実際ピスコサワー、ってなって、それであへえそうなんだピスコサワー、飲んだことなかったんだ、てっきり飲んだことがあっておいしかったから出してるのかと思ってたんだけど飲んだことなかったんだピスコサワー、っていうそういう話ってあるじゃないですか、って言ってへ〜ってなった、っていう話を今からします。
これ僕いますごい気持ちよくて、20時38分現在顔がニヤニヤしているんですけど、なんでニヤニヤできるかといえば20時38分現在でいま誰もおらっちゃらないからあ間違えたいらっしゃらないからなんですけど、なんで誰もおらっちゃらないあ間違えたいらっしゃらないんだろう20時38分なのにって思っているんですけどそれを脇においてでもニヤニヤできるくらいなんか気持ちよくなってるんですけど、上のパラグラフのモードが突然ぼくの大好きな演劇作品であるところのチェルフィッチュの『三月の5日間』のそれになった瞬間があって、なんかそういうモードで書き継いだから気持ちよくなってるんですけど、どの瞬間にそのモードに突入というかしたんだろうと振り返ってみると「ピスコサワーを製造してきたわけなんですが、飲んだことなかったんですよね、」のこの「飲んだことなかったんですよね」の瞬間に三月モードにふっと入っていって、その瞬間からたいへん気持ちがよい。これはたぶん「もう少しだけ渋谷」みたいなあの場面で、
ってまあいいやっていうかほんとにどうでもいいな、どうでもよくないし気持ちよかったからどうでもというかどうにもこうにもたいへんよい!という感じなんだけど。
まあともあれ、先ほどの話に戻るけれど呪いの言葉がたくさんの場所から発せられている。口から、指から、それは発せられている。主張の言葉であれ引用の言葉であれ特定の言葉が言われ、打ちつけられる、聞かれ、読まれる、その力をわたしはあまりあなどらないほうがいいように思う。怖さを感じている。言葉は実体化して強烈な力を振るってくる、ジワジワと音も立てずに蝕んでくる。そのことにわたしは敏感でありたい。呪いの言葉を発しまた取り込んでしまう前に、祝いのそれを、花束のような言葉を発しまた取り込みたい、とそのように思う。ってなんの話だったっけもともと。忘れちゃったし上を見たら思い出せるのは知ってるんだけどなんか見る気にもならないって書いているうちに思い出したのだけど「暇〜〜〜」って話だったわ。いや違ったっけな。腹減った〜〜〜。
なんか読み返してみたら「ピスコサワーを製造してきたわけなんですが、飲んだことなかったんですよね、」の「〜なんですが、飲んだ〜」の読点が気になるというか、ないほうがいいような気がしてきた。つけるとしたら「飲んだ」の前に「ぶっちゃけると」とかそういうなんかクッションを置いたほうがよい気がしてきた。って今打ちながらなんの反省会をしてるんだろうなと思って鼻息の三連符で笑った。なんで鼻息の三連符で笑えるかといえば21時19分現在でいま誰もおらっちゃらないからあ間違えたいらっしゃらないからなんですけど三連符っていうのが正しいのかどうかわからないんですけどまあ短く三回みたいな意味で捉えていただければそれでいいんですけど、