転勤を知らされたら楽しくなった

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本質という言葉に対してどうにも苦手意識があるというかどう使っていいかわからないところがあるのだけど(多分ナンバーガールの影響)、今というか今日というか数時間前から僕がうんうん言いながら悩んでいることはびっくりするほど非本質的な悩みという感じがしてクソワロ。
ただそのクソワロの中にもなにかキラリと光るものというか、キラリと光るものではなくて、あーたしかにそこは考えないといけないんだよねいずれどのみち、というものがあるような気もしないでもなく、だから悩むというか、ノートやExcelとにらめっこして笑ったら負けという試合をおこなうが案の定わたしは一瞬で笑ってしまった。敗者。
そのようにいろいろと日々、考えよう考えようと思って「さーて何かを考えるぞ〜」ということだけ考えているような、そういう感じではあるけれど、そんななかでも救われる瞬間、ふっと浮き上がる瞬間というのはいくらでもあって、ちゃんとそういう瞬間を見逃さず、捉えたい。できるだけ忘れず、留めておきたい。
たとえば昨日、よく来てくださる方が書き置きを残されていて、「あ、なんか置いてある…よく来てくださる方が書き置きを残された…今日なんかダメなところあったのかな…これまで気に入って来てましたけど今日で失望しました、もう来ません…とか…」とか不安に駆られて出られてすぐにそれを読んだところ、そこにはうれしいいろいろの言葉とともに転勤になる旨が記されていた。僕は「あっ」と思って外にいそいでおり、姿を探したけれどもう見当たらなかったのでさっさと諦めた。
なんというか、「ええと、あの、いってらっしゃい」とでも言いたかったような気がしたのだった。
でも書き置きチョイスという時点でそのコミュニケーションが欲されているわけではないだろうから、見当たらなくてよかったのかもしれない、とも思った。
なんというか、「カレー辛いの大丈夫でしたか?」「なんとか」くらいのやりとりはあったけれど、お帰りの時に話したりとかそういうことをするお客さんではなかった、そういう方が転勤というライフイベントを知らせてくださったことというか、というかが、なんだか僕はけっこうなところうれしくて、わーすごいなというか、もうなんかこの空間と時間を通しての超ノンバーバルなコミュニケーションがビシビシ成立してた感じじゃないですかまさにみたいな、いやなんというか、スピったことを言うつもりもないし、ラブ・コミュニケーション、みたいなそういうあれでももちろんなく、あでもバーバルでないコミュニケーションはなんかこう超いいよねというかラブだよねというか、あ、はい、むしろこれこそがコミュニケーションですねみたいなところありますよねというか、もうなに書いてるかもちろんわかってないですよ、わかってないんですけど、あいいね、これ、とても、と思ったのだった。
読まれているかどうか知らないですが、いってらっしゃい、お元気で、またいつか。ひとまずすてきな春を。