町の人との関わりといったら同じビルに入居している床屋さんと居酒屋さん、それから八百屋さんとお花屋さんくらいなもので、近隣の飲食店の方とかの知り合いは一切いないまま2度目の春を迎えようとしているのだけど、「あそこスタバになるらしいよ」という話はどこからともなく聞いていた。
人々が寝静まる頃合い、小人たちが噂を高いところから吹き下ろす。山尾悠子の最初の短編にあったような感じで、風に乗って噂はなんとなしに届いてくるものなのか。
そういうわけで現在鋭意施工中で、日々、工事の方々があれこれをしている。中を覗くとけっこうな数の人がいるため、1人工(にんく)2万5千円だとして一日あたりいくらで、うんぬん、みたいなことをまったくの不明瞭な手つきで考えて、「ま、いずれにせよいっぱいお金は掛けられるってことだよな」みたいなことで済ませる、日々。
スタバ不毛の地だった京王新線に初めてお目見えするスタバが初台になるとは、となんとなく意外で、笹塚がもっともらしいような気がしたのだけど、ともあれ、初台の、こっち側の、通りを進んでセブンを越えて、インド料理屋さんの隣あたりにできる。この通りにスタバというのは不思議な感じで、暗くなったら人通り少ないし、日中だって別に多くないし、大丈夫なのかなと思うのだけど、大丈夫と判断されたということなのだろうから、じゃあフヅクエも大丈夫ってことかな、みたいな飛躍のもとにスタバの出店を歓迎している。
とはいえ現在の僕の暮らしのなかでスタバは本当に影の薄い存在で、安価でダラダラしたかったり煙草吸いたかったりしたらドトールに行けば済むし、おいしいカフェラテが飲みたければ自転車でちょっとだけ走れば済む、なので、スタバ行って俺どうすれば?というところがあるので、できたところで滅多に行かないか意外に行くようになるかのいずれかだろうけれど、スタバという存在自体は僕はけっこうなところ好きというかちょっとした感情を伴って思う対象で、大学時代の最後の1年と2,3ヶ月だったろうか、僕はスタバでアルバイト活動をおこなっていた。
で、まあ、そこで働くのが僕はすごい好きだったという。あーなんかこう、仲間って、いいよね、みたいな、にんげん、あたたかい、みたいな、ほんと、入る前はもっと斜に構え続けるかと思っていたのだけど、自分でも意外なほどに愚直なまでに、いいよね、仲間、みたいな感じで、にんげん、わっしょい、最後の日とか残り1時間とか働きながら頭おかしくなるんじゃないかっていう程度に苦痛で、こみ上げまくる涙を我慢し続けなければいけないから強烈に苦痛で、泣きそうすぎて吐きそうみたいに激烈に苦痛で、晴れてタイムアップでバックルームに入った瞬間にわたし号泣みたいな、そういったあんばいで、大好きな仕事場だった。一瞬「スタバに就職とか」と考えたかエントリーシートぐらいは出したりもしたかもしれない。忘れたが。
スタバで働いていたときの自分のメンタリティを見ると、自分は自分が思っているように性根が腐った後ろめたさしかないろくでもない人間なんかではなく、実に素直で明るい健全な精神の持ち主なのではないかとすら思えてくる。
という思い出話を書いていたところ、「はて、いざとなったらスタバでバイトとか!」とかふと思ったところ、「自分の店の目と鼻の先のスタバ初台店でバイトし始める俺」を想像しちゃって笑いが落ち着かないという状態におちいった。
「あのひと昼間の短時間みたいな入り方してるけどいい年いってそうだけどなんかいろいろどうなってんのかな」「なんかすぐそこのバーだかカフェだかよくわかんないやつやってるっていう話」「やってるというのは」「店長?オーナー?的な立場で」「オーナーがなぜここで」「売上ダメすぎて昼間バイトすることにしたんだってウケる」「クソワロ」