「知性を感じない」

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今日はおととい書きそびれた「いい時間とは何か」を考えたいような気がしているのだけど、この問いはこれまでも散々考えてきて書いてきたことのように思えるし、そもそも、トップページの文章がそれをあますところなく定義しているのではないかとすら思っているというか、このマニフェストというか何かと矛盾しているかどうか、それだけが問題なんじゃないのか、そのチェックだけ怠らなければいいのではないか、という気にも簡単に済ませようとすればなるのだけど、そうも言っていられない。
うそうそ。そうも言っていられないというのは嘘なんだけど、なんらの切迫感もないのだけど、ではなんでまたそういうことを考えるのか。
仕組みを変えるにあたって、先月、僕は何人もの友だちに意見を聞いたりということをしていた。
これ、今となっては「たかだか」という感覚なのだけど、当初は「お席料」という表現ではなく、店がお客さんに対して使う言葉として前代未聞じゃない?という言葉というか書き方が選ばれていたから、僕にとって大問題というか、「大きな変革だぞ!」という感覚でいたので、これ受け入れられるんだろうか…?といろいろ不安があったのだった。(「お席料」に変えてから一気にその大変革感がなくなって、言葉の違いってすごいものだなというか、大変革のつもりでいたものがマイナーチェンジになったので気分の調整がうまくいかないといういうか、さっきまでのすごいエンジンの回転音がまだ耳元で鳴っている気がするんだけどこっちはアクセルそんなに踏んでないんだけどこの状態ってどういう…?みたいな、うまく書けた気がしないがなんかとにかくギャップがあった、のでおととい書いた文章削ったりとかになったみたいなところもあり)
それで「これ、どう思う…?」みたいな感じで長大なテキストを友だちに送りつけ、読ませ、意見を聞いていたのだけど、「仕組みがやや複雑なのが気にはなるが阿久津の考え方がすんなり伝わってくるし店の内実が理解できるし面白いし違和感ないよ」という感じが多かったのだけど、「どうかと思うな、知性を感じない」ということを言ってきた友だちが一人いた。
僕は彼に反論したところで意味はないということは承知したうえで、まあまあ、そうおっしゃらずにさ、ほら、かくかくがしかじかでさ、みたいなことを言うのだが、彼は「変えようとしていることの是非は別として、そもそもの思考展開の筋が悪いよね」等々。
そこからも単純に話が噛み合っていないように感じたりして僕はちょっとイライラしながらも、「しかし何かしら得るものはあるのかもしれないし」と思いながらやり取りを続けて、「会って話した方がいいよねこういうのは。抽象度高い話だし」みたいになったので「いや俺は抽象度高い話だとは全然思ってないけどね。てかお前おれの意識の高さ低さみたいなところ測り間違えてない?大丈夫?俺ただの自堕落商店主ですけどそこちゃんとわかってる?まあでもそんだけ言うんだったらお前が言うそれを教えていただいてもよろしいでしょうかね、エグゼクティブの貴重なお時間をわたくしなんかがいただいちゃって恐縮至極に存じますけれどもね」みたいな、教えを乞うてるのか挑発しているのだかよくわからない気分で今度会うことにした。会って話を聞いてすっきりした気分で「はい即日で仕組み変更〜」みたいにしようかなみたいな気分が半分、残り半分はなんにせよいい考え方みたいなものをインストールできたらそれは単純に楽しいことだろうし視野広がったら儲けものみたいな気分だった。(僕はやり取りの中でそういった感覚と態度を表明していたので彼は「その半信半疑はよくわかるよ笑」と言ったうえで会ってくれた。「これが度量ってもんですかね」と思いました)
それで一週間後の昼ごろ、僕はコスメキッチンに寄ってハンドソープを買うと、面会に指定された場におもむいたのだった。静かな雨の降る日曜日だった。友人の到着を待つ間、ウディ・アレンのインタビュー集を読み進めていた。彼はこう言う。
「三十五年間白紙委任されてきたのに、僕には偉大な映画が一本も撮れなかったんだ。そういう力がないんだよ、僕には。それだけの広い視野がないんだ。それがわかっているから僕は自分に、今度は偉大な映画を作るぞとか、絶対に妥協はしないぞとか、必要なら夜を徹して働き、地球の果てまで行くぞ、なんてことは言わない。そういう柄じゃないんだよ、僕は。そりゃあ、偉大な映画は作りたいけど、あくまでもそれは僕の夕食の予約を邪魔しないでくれればの話なんだ。
僕は旅行は嫌いだし、長時間労働もしたくない。食事の時間に間に合うように家に帰って、クラリネットを吹きたいし、野球の試合も見たいし、いまは子どもの顔も見たい。僕はそういう状況の範囲内で最善の映画を作っているんだ。ときには運がよくて、いい映画ができることもあるけど、ときには運に恵まれず、いい出来にはならない。僕はけっして無責任ではなかったけど、怠惰であったことは間違いないね。」(エリック・ラックス『ウディ・アレンの映画術』井上一馬訳、P442)
なんかフィットするなーこの感じ、と呆けた顔をしていると、男が近寄ってきた。僕は起立し、「本日はお忙しいところお時間を取っていただき本当にありがとうございます」と深々とお辞儀をした。すると彼は……
みたいな、なんか面倒になったのでいかにも続きがありそうな感じでおしまいにします、という話でした。
写真はホットカクテルであるところのホットオレンジショコラ。熱いし甘いし酔うし重いしなんか寒い日に飲むには最強だなと思いました。