『若い藝術家の肖像』を読む(56)ベッドでやすむほうがいい

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休日。雨降り。寒くなる季節に備え、ということが僕の中でいろいろと始まっており、先日のホットウイスキー用のホットグラスもそうだったが、上着の季節に備え、ハンガーラックを買う必要があった。これまでは入って右手のハンガーが掛けられるところに掛けていたが、それはとても高い場所にあり、「自分で取りたい」という方にとって迷惑な高さだったりもしたから、ハンガーラックを買う必要があった。だから雨降り、今日それを買いに行った。
そしてそれは運べる重さだったため、プチプチで梱包してもらったそれを僕は肩に引っ掛けるようにして、飛脚のような格好をして持ち帰った。大変といえば大変だった。特に渋谷駅の人混みの中では。
その「ハンガーラック - 初台」の道のりの途中でコーヒー屋さんに寄り、豆を受け取ってきた。
帰ると、定食屋は今日は惨憺たるものだったとのことだった。これだけ雨だとしょうがないですよねと話し、しかしそれにしても雨で、今3時、7時から取材の予定があり、4時間の時間をどう使うべきか、本当はハンガーを買いに行きたかった、しかし行こうとしている店は徒歩だと少し遠く、雨脚も強まった。諦めた。ずっと事務仕事をして時間を潰した。
取材があり、それはいい対話の時間となり、僕はペラペラと言葉を連ねた。
しかし話すのは苦手というか、端的な言葉というものを僕は一つも持っていないように思う。問われ、それに対して「Aです」と答えることがいつも難しい。いつもではないかもしれないが、問いによってはとても難しい。僕にとっては「AというかBというかCというかDというかというようなものです」という答え方がいちばん合っているような気がしている。逡巡や否定や回避を重ねることで輪郭をあぶり出していくというか。 そう、多くの物事が僕にとっては「というか」でしか言い表せない。これは欠陥なのか、あるいは一つの倫理的な姿勢なのか。
取材が9時過ぎに終わり、どうするのか。どこかに行きたいけれどどこにも行けない。雨は僕のすべてを停止させる。初台でどこで飲めばいいのか僕は知らず、本も読みたく、そのときふと「ハブ?」と思う。喧騒の中で匿名になって飲む、それがいいような気がした、そのため営業時間を調べると「日本VSアフガニスタン」といった文字が見える。9時25分キックオフらしい。
たしかに、ゴールとか見たいかもな、と思った。そのためビールを飲みながらサッカーでも見ることにしようと思い、オペラシティのハブにおもむいた。
すると、人が大勢あり、人が大勢あるだけ席は少なくなるというのは道理なので、席がなかった。そのため、窓の方を向くスタンディングの場所に行くことになった。サッカーを見にきたら、視界にテレビ画面はなかった、という格好だった。そうしたらもう、というところで本が開かれた。
「ベッドでやすむほうがいい。礼拝堂でお祈りしてそれからねるだけ。彼は身ぶるいし、あくびをした。シーツがすこしあたたかくなってからのベッドのなかは、いい気持だろうな。はいってゆくと、はじめはつめたくて。はじめはシーツがどんなにつめたいかを考えて、身ぶるいした。しかしやがてあたたかくなり、そのつぎには眠ることができる。」(P32)
たしかに肌寒い晩だった。僕も当初冷たい布団のなかにもぐりこみ、次第にあたたまるそのあたたかさを感知しながら眠りにつきたかった。スティーヴンが言うように冷ややかさから温かさへのあの移行は素敵なものだった。
と、そのとき、店員の方が「席が空きましたが」と言う。「一人なんですけど席とかもらっちゃってもいいんですか?」と妙な律儀さで確認し、通された席についた。すると、テレビ画面が向こうにあった。サッカーを、やっと見られる。
そう思った瞬間にサッカーはどうでもよくなった。そこでレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を開き、3/4パイントのビール、フィッシュ&チップス、3/4パイントのビール、ハーフサイズのピザ、それらを飲食しながら読んだ。最終章だった。僕のその書物への興味はどんどん薄れていった。ただ終わりにしたい、それだけだった。そうやって僕は本を消費していく。無駄な読書がこうやって横行する。頭になんてほとんど入らず、ただ文字を追う。そうやって僕の読書は遂行されていく。ぜんぶ無駄だ。
音が聞こえる。プァーーーーという間抜けな、スタジアムで鳴らされているらしい持続音。綿矢りさの『蹴りたい背中』だったかでもあった擬音語。それを思い出す。それからエキサイトしがちな実況。ときおりその実況が叫ぶように聞こえてテレビ画面の方を向くが、それは幻聴だった。「エキサイトしがちな実況」という偏見がその幻聴を僕にしばしば聞かせるらしかった。
店内の人々のいっしゅん息を呑む気配、それから拍手、すると僕はそれがゴールの合図だと知り、テレビ画面を見る。ファーサイドからのクロスに反応した香川のシュートは惜しくもポストを直撃し、そのこぼれ球を岡崎がヘディングで押し込んだ。嘘だ。僕の知っているサッカーの単語を並べただけで、たぶんそのシーンは今日の試合にはなかった。あろうがなかろうがどうでもいい。
喧騒の中、読み終えられた。『悲しき熱帯』、その「悲しき」にあたる単語はもっと陰鬱なニュアンスだという、ということは以前どこかで書いた。憂鬱な、やりきれない。そんな意味だと。この夜の僕は憂鬱で、やりきれなさだけしかなかった。
何が僕をそれだけの憂鬱に持ち込むのかはまるで判然としなかった。
「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。」「ともあれ、私は存在する。」