「「曜日が深まっていくほど僕の気分は軽くなっていく。
月曜、火曜、そのあたりが一番きつい、というのは前に書いたとおりだけど、水曜くらいから終わりが見えてくるというか、仕込みの話なんですけど、それで今日なんて金曜日じゃないですか。フヅクエでお出ししている定食は定食屋に場所を貸す見返りとして提供してもらっているのだけど(だから場代はもらっていない)、今日は昼のが何食分か残って夜にスライドさせることができるため(スライド登板)、仕込みをしなくてよい!ということになり、なんという気楽さ!というあれだった。
月曜から木曜まで4時から6時の時間で必死こいて定食作るわけだけど、今日は幸運にも作らなくてよいっていうので「あっそう」とか思って、それでコーヒー屋さんにおもむいてアイスコーヒー飲みながら本読んだ。花の金曜日っていうのはこういう状態を指すっていう認識で合っているでしょうか。喜ばしい。
それはそれとして、平日の開店時間をずらした、4時から6時の2時間を削った、つまり営業時間を減らした、そのことは
魂の不正売却に当たるのではないか、そのような問いがある。定食屋にうつつを抜かして、フヅクエを疎かにしているのではないか、そんな糾弾の声が聞える。いずれも僕の内なる声なのだけど、そういうふうに見えてもしかたがない気はする、しかし、どうか。
売却には当たりませんというのが弊社の公式見解です。客席にございます資料の最後のページをお開きください。12時じゃなくて夜中の2時くらいまでやってくれたらいいのにというようなご要望があったときのお答えで、「営業時間についてはこれからあれこれ見極めながらというところかなと。夕方開けても意味ないやこりゃ、みたいになったらもしかしたら後ろにずらすかもしれません。」と書いている。これを答えているのは周辺の問答からもうかがえるように最初期で、つまり、開けた当初から「その2時間に対するこだわりは別にないんですよね」という姿勢を見せていたことがここからうかがえる。実際オープン時間を決めた時も、クローズが12時ということを決めて、まあ8時間かな、とか思って「12-8」の引き算を暗算でおこなったら「4」という解が導き出されたので4時っていうくらいで。
必死に弁明しているふうになっちゃった。まあなんでもいいのだけど。
まあなんでもいいのだけど。ただ、二人の方の顔が浮かぶ。そのお二人に対してのみごめんなさいという気持ちになる。月1くらいの頻度で来てくださってその時間帯の確率高めで過ごされていた方々だ。
平日のその時間帯の集客状況を考えれば判断としてはまったく問題ないと言えると思っているのだけど、あの人を切ったのだ、あの人からこの場所で過ごす時間を奪ったのだ、と思うとなんかわりとけっこうな罪悪感というか、すいません〜という気持ちになる。そこ以外の時間帯でも来られていたから考え過ぎかもしれないけど、」
と、ここまで書いて1時間以上経った。なんと続けたらいいかわからないというか、この申し訳なさは」
と、ここまで書いて一週間近く経った。
どんどん変わっていけばいい、いいように変わっていけばいい、それはいつでもそう思うのだけど、変化っていうのは往々にして誰かにとって暴力として作用することがあるというか、誰かを排除することがあるというか、ということは認識しておきたいなというか、そんな話がしたかったのかどうか、わからないのだけど。