『若い藝術家の肖像』を読む(49) ヨーロッパ 世界 宇宙

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夕刻、16時の回のD5あたりの席をインターネッティングを駆使して確保した。水曜日でレディースデイだか何かで混むことが予想されたためだ。いつかのどこかでメンズデイがあって知らずに前売り買っていて損をしたというようなことがあったけれど、多くの映画館ではレディースデイの印象で、なんでなんだろうな、これは、としばしば思う。どうにかしてくれよ。
そのため、前評判というか周囲というか人々の熱狂を見るにつけ、これは先日の『ストップ・メイキング・センス』のように終始ひたすらに興奮させてくれるたぐいの映画なのだろう、そうであるならばビールを飲みたい、そのように思いはしたものの、ポップコーン等を販売しているあの場所でビールって売っているものだろうか、これまでチェックしたこともなかった、と思い、念の為に1階にあったバル的な店的なところに入り、ビアーを飲する。尾張千種というビアーであった。さっぱりしていた。
そのため、飲み終えたので店的なところを出て映画館へ向かうのだが、TOHOシネマズ新宿のエスカレーターはなんだかこれから違う場所に連れてってくれそうな感じがしてなんか好きで。
それで『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』を拝見することにして、暗いメガネを受け取って4番スクリーンに入った。予告編が流れ始めたが場内は明るく、「あ、せっかくだし、久しぶりに」と思って本を開いた。ちょっと長いですけど、けっこうパンチラインだらけというか、何かととてもいい。
「四角のたまりのどろどろしたものが体じゅうを包む。鐘が鳴り、三つの組が遊戯室から列をつくってでてゆくと、服のなかに廊下と階段のつめたい空気を感じた。あいかわらず、正しい答は何なのだろうと考えようとしていた。おかあさんにキスをするのは正しいだろうか、それともまちがいだろうか?どういう意味なのだろう?キスするというのは。あんなふうに、おやすみなさいといって顔を上に向けると、おかあさんがうつむく。あれがキス。おかあさんが、ほほにくちびるをよせてくれる。おかあさんのやわらかなくちびるが、ほほをぬらす。そしてくちびるがかすかな音をたてる。キス。どうして人間は二つの顔でああいうことをするのかしら?
自習室の椅子にこしかけると、机のふたをあけ、内側にはってある数を77から76にかえた。でもクリスマスの休みはずっとさきのことだ。それでもいつかはやってくる。地球はいつもぐるぐるまわってるわけだから。
地理の本の最初のページには地球の絵がある。雲のなかにある大きな球。箱いりのクレヨンを持ってるフレミングが、いつかの晩、自習時間のとき、地球をみどりに、雲をくりいろにぬった。ダンテのたんすの、ふたつのブラシみたいだ。みどりのビロードがついているパーネルのブラシと、くりいろのビロードがついているマイケル・ダヴィットのブラシ。でもぼくがこのふたつの色でぬってくれとフレミングにたのんだわけじゃない。フレミングがじぶんでそうしたのだ。
勉強しようとして地理の本をあけたけれど、アメリカの地名は頭にはいらない。それでもこういうのはみんなちがう土地で、だからちがう名前がついている。こういう土地はみなちがう国にあって、そのいろんな国はいろんな大陸にあり、いろんな大陸は世界のなかにあって、世界は宇宙のなかにある。
地理の本の見かえしをあけ、いつかじぶんがそこに書いたのを読んだ。じぶん、じぶんの名まえ、そしてじぶんのいるところ。
《スティーヴン・ディーダラス
初等科
クロンゴーズ・ウッド・コレッジ
サリンズ
キルデア州
アイルランド
ヨーロッパ
世界
宇宙》(P27−29)
相変わらずスティーヴンは飛翔するなーと。体に感じる冷たさの具合も「あれがキス。」も、いやほんと何かととてもいい。
何より帰宅の日までを書いた数字を減らすところから地球の回転に思いが馳せられて、そこから縮尺がぐんぐん変わっていく感じがすごくいい。地球が教室で読む地理の本までぐっとズームされ、教室の地理の本が実家まで飛ぶ感じ。フレミングがじぶんでそうしたのだ。
そして本の中の小さな地図から宇宙へ!という「わーーー」という感じ最高に気持ちがいいですね。未来へ!という相米の『お引越し』を思い出したのは「宇宙へ!」といま打ったからだけど、思い出したのはフィッシュマンズとともにDJ KrushとThe Blue HerbのBoss the MCの「Candle Chant」の「一瞬の1ミリが地球の一生 地球の1ミリが人間の一生 人間の一生の1ミリが今日一日 今日一日の1ミリがこの瞬間 その瞬間に1億の細胞 1個の感情 1個の感情は今日一日の1ミリ 今日一日は一生の1ミリ 一生は地球の1ミリ 地球の一生は宇宙の1ミリ 宇宙の1ミリが地球の一生 地球の1ミリが人間の一生 人間の一生の1ミリが今日一日 今日一日の1ミリがこの瞬間」というやつで、ともかく、縮尺がどんどん変わっていって認識が追いつかなくなるグワングワン具合がたいへん好きです。それを思い出した。
そういったことを思い出しながら二度ほど引用箇所を読んだところ、光が消え、映画が始まった。『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』を見た。たいへん面白かったです。
そのあと友だちと飲みに行く約束があったが時間が定かでなかったため本を読みながら待つことにしてルノアールに入った。カフェオレを飲んだ。
今読んでいるのはジョン・ファウルズの『魔術師』で、上下で900ページくらいにはなるのだろうか、けっこうな大物で、あとちょっとのところまで来た。語り手の認識が魔術師の策謀の中でグワングワンと更新され続けていく。なお最近は小説はもっぱら『魔術師』で、他にここのところで読んだのは武田砂鉄の『紋切型社会』と岸政彦『断片的なものの社会学』で、どちらも朝日出版社のやつだったのは偶然だったのだけど、どちらもべらぼうに面白かった。それから現在は『魔術師』と並行してデイヴィッド・フィンケルの『帰還兵はなぜ自殺するのか』を読んでいるが、こちらは暗く重いためなかなか取る気にならなくなっている。
ルノアールに入ったのが6時半ごろで、何時頃なのか問うたら9時という想定以上に遅い時間が告げられたため、ブレンドコーヒーを追加して『魔術師』をとにかく読むことにした。
近くの席の若い男性数人のグループは雨等にケチをつけながら随所で野球の話をしていた。「西武打線最近だめだな/砂田よすぎじゃねえか!/最初の2点はしょうがないけどそのあとの3点が余計なんだよ/あいつマジ今年覚醒したよな」
近くの席の柱の陰でこちらからは見えない女性二人のうち一人が途中で煙草を取り出したらしく、もともと吸っていた女性がそれを歓迎した。「やったータバコ仲間じゃんいいじゃんいいじゃん様になってるよーうれしーよろしくーえーなに吸ってるのー攻めるねー結構強いの吸ってんじゃんいつから吸ってるのー超最近じゃんどうしたのー酒弱くなって吸い始めたんだー吸ってるところ初めて見るよーほんと吸ってるーわーすげー吸ってるーかっこいい様になってるよー吸ったら様になると思ってましたー」
歌舞伎町の中華料理屋で友だちと会った。大学時代の友人で、立派な会社につとめている。「毎月いくらくらい貯金してる?」と僕は聞いた(最近勤め人ってどのくらい貯金しているものなのかが妙に気になっている)。彼がいくらしているのかは忘れたが、例えばひと月に15万だとするでしょ、ということを彼が言った。1年で180万2年で360万。「2年で360万もの」と彼はこちらを見て笑った。僕は「もう一回言うぜ」と言って、二人して笑った。期せずして、再びここでブルーハーブが登場した格好だった。(こちらの動画参照)