「わからなさ」を知ること

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オープンから半年のあいだ、ずっと僕はデニムのハーフパンツというのかな、を履いていて、それがちょうど半年経ったところで破れてしまい、今度はデニムの長いやつ、ジーンズというのかな、を履いていた。その格好で2ヶ月ほどが経った。
昨日、「よっこらせ」と勢いをつけて椅子に座ろうとしたところ、「ビーーーー」という、気持ちいいくらいに生地が破れる音がして、お尻のところが非常に広く開いてしまった。大変なことになった、と僕は思った。
買わないといけない。新しいやつを。
僕はこと衣服というのかな、衣類っていうの?洋服?それともシンプルに服?ともあれ、そういった、着用するものに対して非常になんというか、なんでもいいとは思っていないのだけど、考えるリソースというのかな、を割く気が一つもないようにできていて、ずっと、なんならハリーポッターの役者の人だったかな、のように同じ服を何枚も何枚も買って毎日同じ格好でもいいくらいの感覚でいて、だから、だからというにも度が過ぎる気がするのだけど、着用するものを購入するという行為に関してなんというか全然わからなくて。
どこ行ったらいいんだろう、そしてそれはいくらくらいで買えるのだろう、しかしいったいどの面下げていけばいいのだろう等々、着用するものを購入することを考えただけで恐慌をきたすと呼んでもそう過言でもない気分になり、わからないので、別におしゃれとも思っていない友だちに向けてすがる藁か何かのつもりなのか「やあ。ちょっと教えていただきたいんだけど、長スボン?がほしいんだけど私はビームスとかに行けばいいのかな?」というLINEを送ったほどだった。返答は「もうざくっとしすぎててどう教えればいいか全然わからないけど、まあビームスとかいいんじゃないかな笑」というもので、さぞ買い物し慣れたふうの言い方だな、と思った。
しかし、ビームスに行って僕は何を探したらいいのか。あ、そういえば、というので思い出したのが、昨日のフヅクエ作ってる日記でも触れた、友人が作っている「FAVRICA」というファッションに関したアプリで、「あれを見れば行動の指針が得られるのではないか!」となり、開いた。ややステマ気味な気がしちゃっているけど、実際そういう行動をとったのだから仕方がない。
で、開いた。すると、「ボトムス」という言葉を知ることができた。聞いたことはあったし、一度や二度くらい口に出したこともあったかもしれないし、それはないかもしれないが、僕が言っていた「長ズボン」というのはきっと「ボトムス」なのではないだろうか。しかし、「パンツ」という言葉もあって、「パンツ」と「ボトムス」はどう違うのだろうか。なんで「ボトムス」は複数形なのだろうか。「パンツ」も複数形なのかな。「あ!」と発見する。「ショーツという言葉を聞いたことがあるけれど、あれはshortの複数形ってことなんじゃないのか!」等々。
それでまあ結局、ビームスに行けばいいのかなとりあえず、というところなので、明日ビームスに行ってみます、という話でしかないといえばないのだけど、なんというか、この「わからなさ」ってちょっと貴重だし大事だなと、「それにしても何もわかってないな俺は」と思いながら思ったというか。
なんというか、普段の生活ってそれなりに自分にとってわかるっぽいものが多いというか、わかるっぽい気分で暮らしている気がするのだけど、本を買うとか映画を見るとか音源を買うとか、どこ行ってどんなふうに探したらいいかとかなんとなくわかっているつもりだし、わからないときにどうしたらいいかとかなんとなく取るべき行動(誰にどう聞けばいいみたいなやつとか)はわかるような気がするし、この料理作りたいならどこで何を買えばいいのか、だいたいわかるけれども、「わからない人」のわからなさっていうのは「わかる人」の想像をはるかに越えるわからなさだったりするんだよな、ということは知っておいていいというか。問うべき問いすらまったくわからないんだよなというか。
人と接する商売だし、この「わからない人」のわからないっぷりを知っておくのは大切な気がするというか。
とは言ったもののフヅクエの仕事だとどういうケースがありますかなーというのがあまり浮かんでこないのだけど、なんだろうな、例えばお客さんが「アイスコーヒーください」とおっしゃった時に「深煎りと浅煎りどっちでお作りしますか」と聞くのだけど、「どう違うんですか?」と返ってきたときに「今日の深煎りはブラジルのカショエイラ・ダ・グラマ農園のやつでナッツのような香りと優しい甘さのあるコーヒーです、浅煎りはエルサルバドルのサン・ホセ農園ので黄桃の果実味と、優しくまろやかな甘さがあります」とか答えたら最悪というか。や、なんか違う話かなこれ。最悪は最悪だと思うんだけど違う話かもしれないな。違うかもしれない話ついでにいちおう書いておくと僕は「苦くてしっかりした感じかさっぱりすっきりしている感じのどっちがいいですか」と答えている気がするのだけど、まあなんだろうな、教訓とか学びとかっていうよりはこの直面するわからなさに思いを馳せてみたらなんか新鮮でしたというのと、とにかく明日ビームスかどこかでボトムスかパンツかショーツかわかりませんが買ってきます、という話でした。
photo by 斉藤幸子