xxxを知ってしまった以上、もうxxxなんてできない

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日曜、昨晩わりと遅かったこともものともしない華麗な早起きが実行され、店ある日だけど好きに使っていいまとまった気味の時間、というものを久しぶりに得られたためにどこかで朝飯でも食いながら本でも読まんとす。
それで近くのきっちゃてんに行ってモーニング的なものを食いながら本をしばらく読んでいたんですが、川上量生の『コンテンツの秘密』を読んで「ふ〜む」とか思っていたんですが、なんか全然集中ができなくて、意識がとっちらかる。
横のおじちゃん二人がFIFA会長の退職金19億だってよ、19億だってよおい!みたいなこととか、西武の中村がどうとか中田がどうとか話してて、そっちが気になるというか。ホームランバッターの話をしていたのか、大阪桐蔭の話をしていたのか。
というこのとっちらかった感じは前回の休みに『野生の探偵たち』をやっつけちゃおうと入った飲食店のときと同じで、その前の休みも同じ感じで「う〜む」となった。
環境がガヤガヤというかガチャガチャしている感じに耳と意識が引っ張られるというか、「ガヤ」はいいんだけど「ガチャ」の方が問題というか、この「チャ」がなんか耳にツーンと来るというか、「チャッ!」みたいな、意識がこの音と一緒に横に向くというか、情報が鋭利だな〜みたいな、よくわからないけどまあなんでもいいんだけど。
単純に自分のモードが読書と合っていなかっただけだったりするのかもしれないし、わからないのだけど、ふと、「俺はもしや、フヅクエでしか本を読めない体になってしまったのではないか!?」と思ってぞっとしたというか。
なんかよくあるじゃないですか各分野で、「xxxを知ってしまった以上、もうxxxなんてできない」みたいな感じのやつ。
ワインとかコーヒーとか嗜好品の世界ではとてもありそうだし、他はなんだろうな、小説や映画はそういうものでもないかな僕にとっては。わからないけど。まあいろいろあるだろうけど。S.L.A.C.Kの「 I Can Take it (Bitchになった気分だぜ)」でも、「あがらないのよもう彼なしでは」って、あの曲すごい好きなんですけど、「【彼】を知ってしまった以上、【もう他の男であがる】なんてできない」とか。
それでいくと「【フヅクエの快適さ】を知ってしまった以上、もう【他の場所で本を読む】なんてできない」みたいな症状というか、こういうのをフヅクエ症候群って言うんでしたっけ、忘れたけど。
とか言って上述のやつわりと嘘なんですけどね。少なくとも僕はお客さんとしてフヅクエを体験したことがないから、「フヅクエの快適さ」なるものは僕は本当のところは知らないんですけど、でも少なくとも、本を読みたいときにこういう場所がほしい、超ほしい、という僕の希望というか願望というか熱望というかを詰め込んだものがフヅクエで、その様子を見てはいるので「あ〜こんな感じになるよね、きっとこれ素晴らしいよね、度し難く」というのは知っているので、間接的には知っているというか。
という中で、そうじゃない環境で、読めないぞ、俺、今、コーヒー飲んでもイヤホンはめてもなんだか全然鳴り止まねえ!というか、もっと、もっと、もっと、もっと、くれよ!というか、なんでいま神聖かまってちゃんがでてきたのかわからないんだけど、激している感じを表したいというか。まあなんでもいいんだけど。
という、そんなふうになった自分を目の当たりにし、贅沢とは代償というか反作用というか副作用というかを伴うものかもしれないな、こんな感じの症状に陥る方が増えていったら店としては「ラッキー!ラッキーラッキー!ラッキー!!!」という感じだろうけど、依存症ビジネスみたいなタイトルの本あったよねそういえば、それはそれでしかし不自由を与えてしまうようで申し訳ないなァみたいな、幸せな思い上がりに拠って立った謝罪みたいな、大丈夫大丈夫誰もそんなことになってないからと失笑されるパターンの、ということを思った日曜の朝でした、というか一番有力なのは今の僕のモードが読書のそれじゃないがゆえ、というところなんだろうけど、という話でした。
photo by 東間 嶺