『若い藝術家の肖像』を読む(39) あれはむねやけのせい

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昨夜、雨。読んでいた『カウントダウン・シティ』が終わってしまい、次に読む本がないために閉店したら蔦屋書店に行こうかと思っていたのだけど雨がやむ気配はいっこうになく、大きな苦渋を伴う決断だったが、諦めた。
でも諦めた以上は前を向こう的なあれで、せっかくだし、春の夜長、『若い藝術家の肖像』をちょっとがーっと進めてみるっていうのを試してみようかと、そうすることにした。
「おかあさんが両足を炉格子の上にのせていると、きらきら光るスリッパがあつくなって、あたたかい、いいにおいがして!ダンテはものしりだ。モザンビーク海峡がどこにあるかも、アメリカでいちばん長い川も、月でいちばん高い山の名前もおしえてくれた。アーノル神父様はダンテのことを、りこうな女でよく本を読んでるといっていた。食事がすんでからダンテがげっぷをして、口に手をあてがうのは、あれはむねやけのせい。」(P20-21)
僕はモザンビーク海峡がどこにあるかもアメリカでいちばん長い川も月でいちばん高い山の名前も知らないから、ダンテは物知りですね、と思った。はいはい、物知りですね、と思ったら続きを読む気が失せたため、他の本を読むことにした。(ちなみに物知りでなくてもググることはできるのでググったところそれぞれ「アフリカの下の方の右側の大陸と島のあいだのところ、ミシシッピ川、ホイヘンス山」が答え)
なんとなく、ロベルト・ボラーニョの『野生の探偵たち』を手に取った。ここ数ヶ月、再読したいと思っていた本で、でも上下あるしけっこう大変な本なので読み通すことはないだろうなとは思いつつ、昨夜はそれが開かれた。久しぶりにウリセス・リマやアルトゥーロ・ベラーノたちに再会した、再会、という気分。
この小説は第1部がリマやベラーノと大学で知り合った若い詩人の男の子の日記形式で、長い長い第2部は世界各地のたくさんの人々のリマやベラーノを巡る証言で構成されるのだけど、僕はわりとこの証言のところ読みたくて、早く最初のやつ終わらないかな、なんなら飛ばしちゃおうかな、とも思ったのだけど律儀で吝嗇な男なので最初から読んだ。
「はらわたリアリズムにぜひとも加わってほしいと誘われた」という一文から始まる。
随所に、ボラーニョの小説はなんというかなんともやっぱりいいんだよなあ、とうっとり喜びながら読んだ。
「人には詩を読むべきときと、拳を振り回すべきときがある」(P21)
人には詩を読むべきときと、拳を振り回すべきときがある。なんともいい。
はらわたリアリストたちのあれこれを読んでいたせいか、今朝は早く目が覚めた。画像検索をしたところ結腸のあたりであろうところがしくしくと痛んで、それで目が覚めた。
普段が健康体なので、ちょっとどこかが痛んだりすると「病気になって入院とかになったら店どうしよう…」とかすぐさま考え始め、そんなことを考えていてもしかたがないのでそのまま起きた。イチローが今日は2番左翼で出場、怪我から復帰の上原が3人でピシャリ、そんなニュースを見たり見なかったりしながら、胃腸炎とかだったら嫌だなあとか、胃腸炎ならまだしも、癌とかだったらどうしよう…とか思いながら朝を過ごし、昨日の夜、雨も相まってクソのように鬱屈した夜に決めた、今日は映画を見に行く、という予定を遂行するために家を出ることにした。
アレクセイ・ゲルマンの『神々のたそがれ』か、ウディ・アレンの『マジック・イン・ムーンライト』か、という、おかしな二択で、でも昨日の鬱屈モードの中でそりゃもう神々にたそがれてもらうっきゃないっしょ、と思っていたのでそのようにしたのだけど、晴れた日の午前中から見る映画としてふさわしいものだとは到底思えない。
「ただ長い、とにかく汚い、目を覆いたくなる、糞尿・ゲロ・はらわたのオンパレード」
周りの友人たちから聞こえたそんなネガティブ気味なコメントと、蓮實重彦がやたらな言葉でしていた激賞と、評価にやたらな振れ幅がある感じがして、ほとんど怖いもの見たさのような感覚で見に行ったわけだったし、ぼけっとした頭をシェイクしてくれ、揺るがしてくれ、俺を!みたいな、まあいずれにせよ何かの頭部への激突を望んで行ったわけだったのだけど、汚さも何も、存外に何も気にならず、そうしたら眠気に見舞われ、うつらうつらしながら、死体からはらわたが引き抜かれる様子などを見て「もっとやれ!もっとだ!」みたいにちょっと盛り上がってすぐにまたうつらうつらして、ほとんど楽しめないで終わってしまった。
こういうのはとても残念だけど、賛否ある作品だったので「自分が楽しめる人間か、そうじゃない人間か」をふるいに掛けてみたかったみたいなところもあったので、見たということが大事というかそれで満足という部分は少なからずあった。
と思いたい。
そういうわけでむねやけが原因だというダンテのげっぷから始まり、はらわたリアリストたちとともに夜更かしをし、はらわたの痛みに強制された早起きをし、はらわたがズルズルと抜かれたり落ちたりする映画を見る、そんな営業時間外を過ごして本日もはらわたが煮えくり返る思いで営業をおこなっている、という話でした。