その本をどこで読むか

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昨日が度し難く暇な日で、「これは激しいぞ」と思ったため明けて本日、本屋に行くことにした。いつ降りだしてもおかしくない空模様だったが背に腹をかえたところで仕方がないので自転車で渋谷のジュンク堂というか丸善というかに行った。
ちきりん『マーケット感覚を身につけよう』、池内恵『イスラーム国の衝撃』、ハリ・クンズル『民のいない神』の3冊を買った。
なんでこの3冊なのか自分でも説明がつかないし、特にちきりんのやつとか「え、何をいま学びたいんですかあなたwww」という感じがして我ながらニヤニヤしてしまうところもあるのだけど、この買物によって昨日の売上のだいたいを本に変換することができたため、満足だった。
あまりに売上がないときは、ほとんど営業そのものをなかったことにするかのようにお金を使ってしまいたくなる。悪癖。
それであまりに暇だった翌日なのでたいしてするべき準備もなく、掃除などを済ませると時間がずいぶんとあるので、さっそく読もうと思った。
ここで問題が発生する。フヅクエ内で美味しく淹れたコーヒーとともにそれはなされるべきか、あるいはすぐ近くのドトールでそれはなされるべきか。
快適に本を読みたいというときの快適さとは何か。
フヅクエで淹れた方がよほどおいしいコーヒーが飲めるわけだし、よほど静かに過ごせるわけだし、開店前だし煙草は勝手に吸えばいいわけだし、特にフヅクエで過ごすにあたって困ることはない。
のだけど、やっぱり何か違うっていうのがありますよねっていうのがなんとも言えず今日はあって、だからドトールに行くことが選ばれた。
外で過ごすことで一日に切れ目を入れたい、というところもそうだし、他人の気配の中にいたい、というところもとても大きくて。
本読みたいんだけど、ひっそりと孤独に過ごしたいわけではない、みたいなところで。(同じようなことを何度も書いている気がするけど。これとか。「百年の孤独、疎外と叛逆 | fuzkue」)
とか言って、大勢の中のぽつんと独り的な虚しさの方が上回りがちだったりするのか、ここのところはずっとチェーン店的な店で過ごすことを避けてきたようなところがあったのだけど、今日はその懸念を上回る何かがあったのか、いずれにせよ、ドトールにて、ブリオッシュショコラとコーヒーを飲み食いしながら、煙草をプカプカ吸いながら、イヤホンをして音楽を流して他の音は遮断して、大半が休憩か何かをおこなっているスーツ姿の人間たちの中でうつむいて『民のいない神』を読みながら過ごし、そして気を滅入らすことなく済んだ。小説が面白かったおかげかもしれない。
これはこれであり、と思うとき、「あれ?そしたらフヅクエはいったい何で差別化して誰にどうやって訴求するわけ?」と思って、それはもちろん、指折り数えながら挙げていくことはできるとは思うけど、それでもなお「ほんとに大丈夫?」と不安になったりしないでもなくて。そのためこれからマーケット感覚でも身につけてみようかなと思いました、という話でしょうか。まさかの。
photo by 斉藤幸子