特に鬱屈していた夜だったというわけでもないが昨夜の閉店後の1時過ぎ、ビールを1杯だけ飲み、読んでいた本も終わり、ぽやぽやした気分でツイッターを眺めていたらすぐ近くにバーの屋台がやって来ているということを知って、気分よくなりそう、と思って出た。
初台交差点の吉野家の横の緑道の入り口付近のところにそれは出ていて、白い屋台だった。先客が2人あり、中に立つ男性はすごくかっこいい雰囲気の方で、葉巻をくゆらせていた。昔の知り合いを思い出した。
僕は端っこに立ち、スコッチをお願いした。煙草を吸いながらちびちびと飲んでいると客は僕一人になり、一つ質問をした以外は何も話さず、ただぼーっと酒を飲んだ。
そうしていると背中から聞こえてくる甲州街道と山手通りと首都高を絶え間なく通る車の走行音があまりに素晴らしいBGMに思えてきて、途中から道路の方に向き直り、流れる車を見たり、頭上の首都高を見上げたり、そうやって過ごした。
最高のアンビエントっすなー、ゆらめきインジエアーっすなーこれみたいな、なんて気持ちがいいんだこの場所、この時間は、と陶然とながら。
人間たちのわめきたてる声の重なりよりもよほど車の走行音の方が美しいなと。そして人間の見当たらない、ヘッドライトなりテールライトなりをまといながらひたすらに車が通っていくこの景色はなんて心が落ち着くのかと。
2杯めにアブサンを頼み、するとあのなんていうの、アブサンってこれだよねーって飲み方、アブサンスプーンの上に角砂糖でそれアブサンで濡らして燃やして溶かしてっていうあれで出てきて、僕はその飲み物をとても懐かしい思いで飲んだ。大好きだった店であの飲み方でよくアブサンを頼んでいたのは、もう何年前のことだろうか。さっき思い出した昔の知り合いとも、その店でアブサンかアブサンじゃないものを飲みながら話したことがあったはずだ。そういうことを思い出した。
そういうわけで、たぶん20分くらいだと思うけれど、あたたかな3月半ばの夜中、じわじわと僕の体と気持ちは芯から喜ぶような感じで、この時間ほんと最高にエナジーチャージっすわーと静かにテンションを上がらせまくりながら帰途についた。
なんというか、誰しもが何かしらの鬱屈や鬱憤や何かしらを抱えながら日々を送っていると思うのだけど、そういうとき、こういう何か「抜ける」というか、ふわーっと、張り詰めていた空気が抜ける感じの時間のあるなしって本当に大きく違うような気がしていて、だからなんかものすごい存在する意義が、これほんとあるよなあ、など思いながら。
こういう素晴らしく充足した店の時間というものを体験するたびに、フヅクエに来てくださる方にもこういう思いを味わっていただけたら最高に最高のことだよなあ、ま、がんばろ、という気になるので大変よい。
(写真はその屋台ではなく真夜中も開いている近所の果物屋さん。周りに夜中に果物を必要としそうな店もないのに、誰が買うんだろうといつも思う)