少しずつ、たぶん

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呆けた顔をしてチョコとかお菓子ばっかり食っている。
不二家ピーナッツチョコレートが気に入りで、冷凍庫に入れていて、「よし、2個食べよう」つって冷凍庫開けて2個取って閉じてその場くらいの感じですぐ食べて、「よし、あと2個食べよう」つってまた冷凍庫開けて、という無限ループを楽しんでいたのだけど、激しく落胆したことに、ある日を境にスーパーで見かけなくなってしまったためカバヤ食品のゴールドチョコレートを買っている。そしてやはり2個ずつ食い続けている。さらに今日はサクッとマカロンも買って、ゴールドチョコレートとの合わせ技というのもあってよりいっそう手と口が止まらない。だから忙しい。
そうやって暮らしているわけだけど、それでも少しずつ、本当に少しずつだけど、まだまだ赤字(赤血と表記したい)は垂れ流れまくっているので一刻も早くというか止血せんとという感じではあるけれど、本当に少しずつだけど上向きになっているような感覚はある。
それを肌で感じたのはいくらか前の営業終了後に「はあ…今日も今日とてダメだったですわ…」と溜息をついたときだった。たしかに全然ダメで、まるでダメだろ、これは、という来客数であり売上でありなんだけれども、よくよく考えてみると、その数字はひと月前だったら「お、今日はまあよかった方なんじゃない?いずれにせよひどい数字だけど、それでも他の日に比べれば」とか思っていたような水準のそれだった。
これまでがあまりに低すぎたということもあるけれど、そして今もやはりそれは低いのだけど、ガックリとくるハードルというのが少しずつだけれども高くなっている。これはわかりやすく向上を示す徴候だろう。向上を示す徴候。私はもっと韻を踏みながら生きていきたい。
それにしても、フヅクエはまだ半年も経っていないけれど、日々の売上というものが自分の生活に直結するという暮らしを初めて3年半とかになるわけだけど、それだけ経ってみても一日一日の数字に一喜一憂するというなんか引きずられるこの感じっていうのはまるでなくならないものだなと。この感覚はこういう商売をする以上は一生ついてまわるのだろうか。それともどこかで良い数字も悪い数字もなだらかな気持ちで受け止められる日が来るのだろうか。どちらでもいいんだけど。
まあ、いずれにせよ、少しずつ上がり、というフェーズなのかな、だといいんだけど、とか言って今日とかも大変なあれだけど、まあいいんだけどっていうか全然よくはないんだけど、まあ総じて見たときに上がりフェーズだとしたら、だとしたら、これはどこまで伸びてくれるんだろう、というのが今は気に掛かっている。
あまりにまだまだすぎるから売上よ、だからお前は犀の角のようにただ独り歩め。
photo by 斉藤幸子