『若い藝術家の肖像』を読む(24) P13、あの頃が一番よかった

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「むかし むかし、そのむかし、とても たのしい ころのこと、いっぴきの うしもうもうが、みちを やってきました。みちを やってきた、うしもうもうは、くいしんぼぼうやという、かわいい、ちっちゃな、おとこのこに、あいました……
おとうさんが、そのおはなしをしてくれた。おとうさんは、かたっぽめがねでぼくをみる。おとうさんのかおは、ひげもじゃだ。
くいしんぼぼうやというのは、ぼくのこと。うしもうもうがやってくるのは、ベティ・バーンがすんでるみち。ベティ・バーンは、レモンのあじのする、ねじりあめを、うっている。
《おお、のばらのはなは
みどりののべに》
ぼくはこのうたを、うたう。これがぼくのうた。」
それが小説の1ページ目というかこの本ではP13に書かれている。「むかし むかし」でゲラゲラ笑って閉じてしまって何日も過ぎたが(いったい何日が過ぎたのだろう)、どうしようもなく憂鬱で陰鬱な気分の夜に、夜なんて全部そうだ、それが高じ、極まった夜に、若い藝術家とともに歩んでみたくて開いた。
むかしむかし、そのむかし、そのあとが恐ろしい。「とても たのしい ころのこと」。とても楽しい頃のこと。なんだろうこの怖さは。むかしむかしの後に続くフレーズってこんなにゴワゴワとした、不気味なものだったろうか。とても楽しい頃のこと。
先日見たゴダールの『さらば、愛の言葉よ』の冒頭で、僕は「そうだったっけ?」という感じで忘れているのだけど、あとで読んだ『ユリイカ』の特集「ゴダール2015」の中の、四方田犬彦の文章で知ったけれど、次の文章が引かれている。
「あの頃が一番よかったなあと、デローリエはいった。」
フローベールの『感情教育』からの引用だそうだ。(ゴダールは他の作品でも『感情教育』から何か引用していて、教室のシーンで、『感情教育』にいたく感動した僕はその場面を見たとき映画の中の人たちよりも先に挙手をして「感情教育!」と答えを言って悦に入っていたな、という記憶がいま蘇った。あれはどの作品だったか。90年代の作品だったような気がするが。『フォーエヴァー・モーツァルト』とか)
ともあれ、なんだろうな、この悲しさは。哀しさって、こっちの字を使いたくなるこの感じは。
俺はいつだって今がいちばん楽しいよって言っていたいな、少なくとも「あの頃が楽しかった」とは言いたくないな。「むかしむかしそのむかしとてもたのしかったころのこと」とは言いたくないな。あの頃も楽しかったし今も楽しいって言っていたいな。過去はいつだって勝手に美しくなっていくけれども、今のこの瞬間、瞬間までは難しいかもしれないけれど今周辺を、健やかに、可能な限りの軽やかさで、肯定し続けながら暮らしていきたいな…
ぼくのうた。ぼくのおんがく。わたしたちのおんがく。ゴダール2015か。1916年、100年前か、ジョイスがこの小説を発表したのは。