百年の孤独、疎外と叛逆

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(本文とまるで関係のない写真は先日『ジャージー・ボーイズ』に感化されて作ってお出ししていたミートボールサンドイッチ。大変おいしかったです)
FacebookとTwitterへの今日の投稿でも引いたのだけど村上春樹がインタビューで「いったんどこまでも一人にならないと、他人と心を通わせることが本当にはできないと思う。理想主義は人と人とをつなぐものですが、それに達するには、本当にぎりぎりのところまで一人にならないと難しい」と言っていて、そこまでストイックにはなれないけどとりあえず一人って大切だよねえと思っていたらそれに呼応するようなしないような、こんな記事を見かけた。
<a href='http://media.lifenet-seimei.co.jp/2014/10/07/807/' target=“_blank'>“ありのままの自分を出せる”時代の到来——内向性の秘めたる力 | ライフネットジャーナル オンライン
TEDのスピーチをもとにした記事のようだけど動画は見に行くのめんどくさいから見ていないのだけど、要は人間はそれぞれ外向型↔内向型のグラデーションのどこかに位置していて、それは良し悪しではなくて個々の特性であって、内向型だからって問題ないんだよね、もっと尊重されてもいいくらいだよね、これまでに偉大なことをやってのけた人間の多くも内向型なんだし、みたいなことが書かれていた。
「「内向型」の人々は創造性に溢れています」みたいにいたずらに内向性を称揚するのもどうかと思うけれども、コミュニケーション能力みたいなものがもてはやされ、誰と誰が一緒にタグ付けされてどうなったこうなったみたいなことに人々が群がって親指を立てる、大変オープンでソーシャルでフレンドリーでハッピーな時代を生きていて時に息苦しくなる類の人間にとっては、こういうふうに「それで全然いいんですよ、タイプの違いだし」というのを読むと、「そうだとは思っていたけれども、改めて言ってもらってサンキューです」みたいな気分になった(単純)。
それにしても「現在はライフネット生命でお申し込みサポート部の部長を務める吉見隆史」さんのコメントが見事なまでに正鵠を射ているというか、もうそれ、はい、全部、という気になる。
「例えばですが、子どもの頃に、みんなが“レクリエーション会”に集まって、楽しくワイワイとしているときに、そこで盛り上がりきれない自分、【違和感】を感じる自分がいたりしましたね。
(…)休日に同僚とバーベキュー大会があって、それに参加するのが当たり前だよね、そこで楽しめないといけないよね、という空気感があると、めんどくささを感じたり、「なんでそんなに盛り上がってるの?」というちょっとした【孤独感】を感じたりもしますよね(笑)」
違和感と孤独感。もうほんとそれね、と。あと疎外感ね。これまで生きてきた28年か29年ほどの間でいったい何百回何千回とそれを感じたことだろうか、と。外向性に振れ過ぎているこの社会に叛逆しようぜ、と。
つまり、孤独感のない孤独な時間を、貴重で豊かな孤独の時間を、だから、この店では提供していきたいと、そのように思っているわけです、ということでした。
なお村上春樹のインタビューはこちら(律儀)。