映画『はじまりのうた』の感想

blog_fuzkue119.png
個人のFacebook上で勢いに任せて書いた感情垂れ流しの文章をここに置くのもどうかと思うのだけど、「この映画は一人でも多くの人に見てもらいたい」とかそういうことはこの映画に関しては別に思わないのだけど、でもすごくよかったんです、というか。ということで。
「ジョン・カーニー『はじまりのうた』を見てきた。
友達がやたら推していて、それがなかったらまず見てないだろうなと思いつつ、やたら推していたので見たのだけどなんかもう最初から、キーラ・ナイトレイがろくでもないオーディエンスの前で歌うところから、その顔つきというか眼光というかのところからなんかただならないなと思っていたのだけど、どこからかはなんかもう涙は流れ続けるし鼻水も落ち続けるからティッシュ持ってないから口で受け続けるしみたいな体液の循環みたいなことをセルフでやっていたのだけど、感動しすぎて動揺しすぎて体というか足を右左にゆらゆら動揺させていないとちょっと見続けていられないというか普通に哭泣するだろこれというなんかそういう動揺で、やっぱ歌って好きっていうのもすごいあるんですけど、それぞれにストラグルしている男と女がまあろくでもない弱り目でばったりと遭って共闘するその共闘の親密さが、音楽が生成される最高の生成されっぷりや、そして父同様にストラグルする娘のかき鳴らすギターが、そのスクールガールのディスト―ショナルなアディクトが、ちょっとやばすぎてマジでビギンアゲインだわ何度でも何度でも生き直すわこんなん見たら、という気になった。
それにしても。
それにしても、あの、夜の、口論の路上の、マーク・ラファロがあっち行っちゃって、キーラ・ナイトレイがあ、まずいこと言っちゃった、って立ち尽くして、違う、違う、相手を傷つけたいんじゃなかった、そんなのは違う、正さねば、つって走って追ってって追いついて後ろから抱きしめる場面のなんという!というなんという感。あそこにカメラ置いてくというか、カットして寄らないっていうのが意想外すぎて、とんでもない画面を見てしまった!とんでもない画面を!!という驚きと、なんかもうそれこそが絶対的に正しいポジションに思えます感というか、すごすぎて、映画を思い出そうとすると、するまでもなく、その場面が脳内で何度も何度も再生される。とんでもない。ジョン・カーニーという監督のことは知らないのだけれども本当にちょっとというかものすごいというかすごくびっくりした。
そこからの夜の素晴らしいデートは言わずもがなというか最高すぎる親密さは言わずもがなで最高だったのだけど、ちょっとその前のあれがすごすぎて、いやあれがすごすぎたからこそそのあとも最高すぎたというか「え…!!!!」という。映画ってすごい、と、そう思う。
そういうわけでビギンアゲインですわ。
追記:ジョン・カーニーという監督の前作は『ONCE ダブリンの街角で』らしく、昨夜読んでいた林景一の『アイルランドを知れば日本がわかる』でちょうど出てきた作品名だったのでシンクロニシティとか言い募るつもりはないけれどこれは一度見なければとなった。」
画像 : BEGIN AGAIN