『若い藝術家の肖像』を読む(17) とうとう開いた

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エモーショナルな気分というか、なんというか、ライブラリーとリバティーに共通するlibの感じってなんだろうと思って検索したら「“liber”という単語が二つ載っているのです。一つは名詞で,「書物,文書」の意味。もう一つは形容詞で,「自由な,暇な」といった意味」ということが書かれたページに当たり、がぜんエモーショナルな気分になったのだろう。あるいは激烈に暇だった一日を終えて、何か鬱屈とし、発散されたいものがあったのだろう。
エモーショナルな書物を、自由を得るために、読みたいと、それを欲望したのだろう。それをいま僕は強く欲望している。ここのところの読書にエモーションがない。これは健康的なことではない。
そう、酔っている。だからいまそれは開かれる。まさしくいま、開かれる。
「こうして彼はいまだ知られぬ技に心を打込む」
エピグラフに突き当たる。「オウィディウス『変身物語』8巻188行」
参ったなあ。止まるしかないじゃん、という。俺冒頭の一行目読みたかったんだけど、エピグラフ見たら止まるしかないじゃん、というこのじれったさ。もういっか。なんか変身する物語なんでしょ、っていうところで。
進む。
「むかし、むかし、」
左ページから始まる冒頭、開いて爆笑して閉じた。とりあえずほぼ全部ひらがなだ!ほぼって言ったのは人名と思しきものでカタカナが一部見えたからなのだけど、とりあえずそういうふうにスタートしますか、というスタートが見えた。むかし、むかし以外はまだ読んでいないが。
考えてみたら、この直前に僕は「原書も持っといた方がいいな」とか思ってAmazonで検索していて、そうしたらなんのキャンペーンなのかわからないけど0円で売っているやつがあって、それを買ったというかダウンロードして、キンドルアプリで、なんとなくこちらは不注意に開いたら「Once upon a time」みたいな文字が見えたから、「むかし、むかし」で笑う必要はもしかしたらなかったのだけど、それにしても丸谷才一、ひらがなを選ぶ!みたいなところなのかな。とりあえず笑ったし、エモーションみたいなものが激しく削がれたので今晩はこれ以上いく気はまったくなくなった。
なお、「オウィディウス」で検索しようとすると「変身物語」「恋の歌」「名言」「黒海からの手紙」「名婦の書簡」が一緒に検索するべき語として提示される。「名婦」という言葉は変換できない。昔使われていた言葉なのかな。
『変身物語』はWikipediaによると「古代ローマの詩人オウィディウスによるラテン文学の名作。神話原典のひとつである。『転身物語』(てんしんものがたり)や、原題(ラテン語)のまま『メタモルポーセース』(Metamorphoses )などとも呼ばれる。」とのこと。エモーショナルな気分のときであればメタモルフォーゼっていう言葉にはなんか浮き上がるよねとも思うのだけど今はそうでもない。岩波で出ているみたいなんだけど上下巻だし、読まないよね、と思った。