感染症の流行で夜間の営業ができない期間が長く続いて、それが明けた今、「やっぱり夜はいいな〜」という気持ちがひとしお強くなっています。
そこで、夜更けの読書の時間をもっとたくさんの方に楽しんでいただきたいから、本の読める店フヅクエはこの冬、読書のレイトショー割を始めます。
閉店2時間前以降ご来店の方には20時以降ご来店の方には、ご予算目安1200円前後で、閉店までのあいだお気兼ねなくフヅクエの時間を楽しんでいただけます。(2023年8月変更)
一日の終わりの前の時間に、穏やかな静けさが約束された場所で、おいしいコーヒーやお酒を楽しみながら、充実した読書の時間をぜひ過ごしにいらしてください。
「読書のレイトショー割」
●料金の仕組み(「1時間フヅクエ」の料金体系が適用される感じです)
従来のお席料の仕組みや過ごし方は案内書きページをご覧ください。
https://fuzkue.com/guide
●対象
閉店2時間前以降ご来店の方には20時以降にご来店の方(2023年8月変更)
●期間
いつまでも続けそうな雰囲気です
●場所
本の読める店フヅクエ初台・下北沢・西荻窪
●各店の営業時間
最新の営業時間は
こちらからご確認ください
スコット・フィッツジェラルドの小説に『夜はやさし』という作品があります。という書き出しからはにわかには信じられないことですが、僕は読んだことはありません。ないのですが、折に触れて思い出す、好きな言葉です。
以前もこの言葉をタイトルにしたブログを書いていて、そこにはこんなふうに書かれていました。
夜はやさしい。太陽の明るさだとかまぶしさだとか人間の早歩きだとか甲高い会話だとかが消え失せた静かな夜はやさしい。なんというか夜は個人にとってやさしい。
もちろん個人にこそ牙を剥く夜ゆえの残酷さみたいなものだとか思考をどうにもおかしくさせるたちの悪さだとかもあろうけれど、そういうの差し引いても基本的には夜はやさしい気がするので夜がいい。夜にはいつまでも続いてほしいというか、夜の中にいると「この夜はいつまでも続くように思われる」と思う。ちょっと時間という概念から遠ざかれるのが夜のような気がする。時間に一枚の膜が張られるというか。膜が張られるため刻まれているはずのものも輪郭を失ってやわらかな持続音に変わるというか。
で、なんか、夜いいなーなんか夜な感じで人々が過ごしてるこの感じたいへんよいなーと昨日の閉店間際のその時間にそれを思って、なんというか、夜みたいな店でありたいなと昨日思ったというか、まるでやさしい夜のようにやさしい店でありたいというか。
https://fuzkue.com/entries/179
6年前に書いた文章ですが、今も変わらずそう感じる。
働いたり、遊んだり、勉強したり、休んでいたり、そういう昼間の時間を経た人たちが一人ずつになってやってきて、一日の終わりに読書をして過ごしていく、それぞれが手に持ち開く本の世界の中を自由に歩き回っていく、そんな姿を見るたびに胸が暖かくなるのを感じながら、店に立っています。
先のブログでも「夜は個人にとってやさしい」と書いていますが、夜は、人がよりひとりひとりになれる時間のように感じます。日中の、関わる集団とか社会とかからバラバラとほどけて、存在を照らし出す光も消えて、街を覆う足音や人の気配の量も減って、昼間よりも、ずっとスルスルと動ける、ずっと自由に息をできる気がします。
僕自身、仕事が終わったあとの真夜中に、ただただどっぷり本を読んで過ごす時間に何度となく救われてきました。
店の揺れるソファでゆらゆらしながら、ウイスキーを飲みチョコレートをつまみながら『民のいない神』を読んでいた時間とか、無性に読みたくなったので急いで蔦屋書店に行って戻ってきて朝まで貪り読んでいた『ペスト』とか、夜中までやっている好きな店に行って『ただ影だけ』を読んでいたときのお酒の味とか座っていた席の位置とか、妙にはっきり覚えているもので、あれは、救いの時間だったし、最高の褒美の時間だったのだな、と思います。希望の根拠となるような時間でした。とりあえずこういう時間があれば生きていける、と何度も思ったものです。
夜はやさしだし、夜は無敵、という感じ。あれ大好き。
そんな時間をもっとたくさんの方に味わってもらえたらなと思って、「読書のレイトショー」と銘打ち、このたびこんなことを始めてみた次第です。
夜のフヅクエの時間を堪能しに、ぜひいらしてください。
fuzkue代表 阿久津隆