8月1日、浦和に行って食品衛生責任者養成講習会を受ける。これ確か、融資のあれで相談している区の方から書類上必要だから早く受けてねと言われてこの日に受けたのだった。
こう書かれている。
「今日は食品衛生責任者の一日がかりの講習を受けに浦和まで自転車で行ったしそれは片道10キロほどだったので着いたときには灰色のTシャツが黒くなっていて後ろの席の人などはこの前の人はなんでこんなに汗をかいているのだろうと思ったはずだったし講習は予想をはるかに上回る退屈さで眠気に抵抗することの大変さを久しぶりに体感する時間となった。
しかしそれだけというわけでもなく、3部構成の最後の講師の方の講習だけはやたらに面白く、それは話している人が話している事柄に対して深い興味があって、そしてどうやったらちゃんと伝わるだろうかということがしっかり考えられているからだった。嘘のように、目を覚ましてノートを取りながら聞いた。休憩時間、先日駒沢公園近くの本屋さんで買ってきた開高健(多分)の食に関するエッセイを読んでいた。ピラニアがおいしいと書いてあったのでまた片道10キロを帰り、それなりにしっかりと疲れてしまったし気がついたら7月は終わっていて8月が始まっていた。それなりに虚しい。
家族で夕飯を食ってお腹がいっぱいになった。茫漠とした不安に包まれる夜になってきた。」
ちなみに「調理師の免許取ったんですか?」と聞かれることがごくたまにあるのだけど飲食物を提供する店をやるのに調理師免許は必要なくて、この講習会を受けるだけで大丈夫なんです。だからまあとにかく参入障壁は低い。飲食店がバッタバッタと倒れていくというのは始めるハードルが極めて低いからだろうし、それはそれで構わないというか、低くてありがたいですよねというか。
8月2日、「解体、木材まとめ」
こう書かれている。
「今日は先日屋根からぶち下ろした木の枠組みを外して切って束ねる、ということをやったわけでした。
当初は「これくらいだったら一人でできるだろう」と高をくくっていたのですが、いざ一人でやり始めたところ、一つ一つバールで木を外すの大変、丸のこで切り始めたら丸のこのケーブルを切っちゃって色々と終了、切った分だけ束ねようとするもテープでうまくまとめられず変なオブジェみたいになる、というところでことごとくに自分の日曜大工的なセンスのなさを感じ、汗だけはかきまくるものの作業はまるで進まず。ほとほと困る。
というところで二人ヘルプに来てくれて、あれよあれよというところで夕方までに土日分だなと思っていた分を終えることができました。たいへんサンキュー。」
永山の丸のこのケーブルをきれいにぶった切った。やっべーと思っていたら永山がやってきたので平謝りをしたところ、ケーブルをなんかテープとかでつなげて「大丈夫っしょ」みたいになった。岡山にいた時分の友だちも来てくれた。途方に暮れていたので本当に助かった。
この日の夜、いったん家に帰ってご飯を食べた後さいたま新都心に出て『her/世界でひとつの彼女』を見た。ホアキン・フェニックスは最も偉大な俳優だった。
そうだ、そこからの帰り際に大宮のバーに行ってみたんだ。そうだそうだ。「バーという場所に一人で入ってみよう」と思ってバーに突撃してみたんだ。バーテンダーの方に「今日はお仕事帰りですか」とか聞かれて何かしらの返答をし、僕はその話をふくらませることもできず、ウイスキーを2杯飲んで、煙草を何本か吸って、たぶん30分くらい、これが俺の限界、という感じで「謎の物静かな男」として帰っていった記憶がある。やっぱりどう振る舞っていいかわからなかった。30分、この心地、3000円、うーん、バー、というつかめない気分で帰ったはずだ。バーの時間を享受できる人間になりたい気もいまだにしているが果たせずにいる。
映画を見てバーを体験しているあいだ、LINEでは永山と荒井さんがやるべきことをあれこれ挙げていた。洗面ボウル、ハイスツール、厨房機器と本棚、照明とテーブル。「決定こそが前進」とある。溜まったやり取りを後で見て僕はやることいろいろあるなーと思って「うへ〜〜〜」と思った。
3日、「何やったか忘れた」