一ヶ月前くらいに買ったホームパイがまだ食べ終えられていない。これまでならばホームパイであるとかアルフォートであるとかキットカットであるとかの20個入りみたいなそういうやつをスーパーや薬局で買ってきてその日あるいは持っても翌日まで、で食べきってしまっていた。それが一向に減らない。これはなんというか、そういうお菓子を日々たくさん食べることはとてもいいことだと思っていたわけでもない身としてはいい変化で、うれしい。
最近、僕が座っている椅子の後ろの冷蔵庫の側面につけているフックに、バナナを入れたビニール袋をさげている。そこにはバナナが入っている。先ほども「バナナ袋」と発語したのち、そこからバナナを一本取り出し、よく熟れている様子なので「おーいしそーではないですかー」と甲高い声で歌いながら皮をむき、食べた。たいへんおいしかった。これは今朝、八百屋さんで「バナナはありますか?」と問うたら「ごめん!バナナ入るのは明日だ!」と言われ、まあいいかと思っていたところ、おとうさんがむすめさんに「冷蔵庫に何本かあっただろ、入れてあげて」と言って、それでいただいたバナナだ。3本いただいた。ありがたかった。
つまり、ホームパイ等のお菓子から、バナナへ。間食するものが変わった。そういうことだった。バナナの栄養価等は知らないし、バナナには実は発がん性物質があって食べ過ぎたらよくないとかそういうことがあっても驚きはしないが、なんとなくホームパイよりはいいような気がするから、よかった。しかも、これまでホームパイを一日に20個であるとか暴食していたのと比べ、バナナは食べても一日に2本までだった。ひっきりなしに食べないと気が済まないというふうにはならない。それもまたバナナのいいところなのかもしれなかった。
そういうことをしていたら5月が終わった。毎月バジェットと称して売上等々の目標値を定めており、僕は日々数字を確認して「少しマイナってるな」であるとかを思うわけだが、なんというかこう、やっていることは馬券を握りしめて賭けた馬の走る姿を見守ることと変わらないような感じがある。「いけ!いけ!」である。であるし、でしかない。僕は騎手ではないから馬がどれだけ走れるかに与することができない。ただ無意味に「いけ!いけ!」と願うだけだ。そういう存在だ、という感覚がある。
5月、月末の残り4営業日くらいのところで現況を見たときに、粗利益は行きそうだ、しかし売上は厳しそうだ、という様子だった。粗利よければすべてよしなので売上が達する必要は別にないのだが、達成したら達成したで「達成した」と思うことができることが達成したときのメリットだった。ただ、難しかろう、というところだった。
しかし、というところで。結果の達成率は粗利104%、売上100%だった。売上はなんとバジェットのわずか1000円超え、というところに着地した。
そう、だから、僕がここで言いたいのは5月にフヅクエに来られたみなさん、全員ご起立願いたい。お互いの健闘を称え合うべく拍手を送り合おう。5月のあなた方は本当にすばらしかった。あなた方、あなた方、そしてあなた。あなたがあの日フヅクエにやってこなければ、5月のフヅクエはバジェット未達だった。あなたのおかげで、フヅクエはバジェットを達成することができた。あなた方はすばらしい。一人ひとりを僕は誇りに思う。そのことを胸に刻み、ぜひ自信を持ってもらいたい。まず喜ぼう。5月をことほごう。そしてこの拍手がやんだら、それはもう過去だ。置いていこう。またゼロにリセットだ。今日からまた積み上げていこう。6月もまた全員で、ひとつひとつ作り上げていこう。6月だって大丈夫。あなた方だったらきっとまた成し遂げる。僕はそう信じている。
そういうわけで、よかった、ありがたい。ありがたいし、それぞれの方にとってフヅクエが足を運んでみよう/また運ぼうと思っていただける店であれたことがうれしい。
とはいえバジェットといっても「前月と同じくらい」みたいな設定でしかなく、なにを目指したらいいかというのは本当のところはまるでわかっていない。まるでわかっていないし、目指すべき数字ができたとき、店というものはそれに向けてどんな手を打ちうるのか、まったくわからない。何年も店をやっていてこんなにもまったくわからないままでいられることがあるというのは考えようによってはなんとなく愉快だ、とも言える。特に愉快でもないが。
また、お金はお金でもっと稼ぎたいがもっとほしいのは欲望であり、欲望がないことにはなにも始まらない。というのは日々実感するところであり、そういう点で5月は「もっと店をよくしたい」という欲望によっていくつかのことに取り組んだり、ブラッシュアップしたり、というのを、細々としたことだがやっていた。それはとてもいいことだった。フヅクエブックスのリスタートもそうであったし、メニューのあれこれをもう少し工夫しよう、みたいなのもそうであろうし、まだやっていないけれどメニューを挟んでいる革が反るのどうにかならないかな、というところも改善しようとしている。忘れたが他にもなにかやっていた気がする。「なんか妙にやる気あるね」と思っていた記憶があるから他にもなにかある気がする。飲食物のメニューももっとこうしたいな、みたいなものもいくらか芽生えている。そういうことのひとつひとつはとても小さいことだけれども、店をやる喜びでもあろうからなんというか健康なことだ。
歩みおよび思考を止めることなく、よりいい姿というのを目指していきたい、とやる気があるときには思うので、やる気がある状態が続いてほしい。そのためにはお金の面でも労働環境の面でも余裕が必要に思われるので、余裕を作れるように何かしらを構築していかなければならない。そう思うが、しかし本当にやる気がある状態が続くためにはお金の面や労働環境の面での余裕が必要なのだろうか。それはよくわからない。
よくわからないままハードワークな日々をまだ続けるけれど、6月もひいひい言いながらも楽しんで生きたい。