本の読める店

読書日記(152)

Entry diary152

8月30日(金) 

生真面目な顔をした3歳の男の子がカートを押すお母さんに後ろ向きで、背中で張り付いて、カートとお母さんの動きに合わせて、ゆっくり、ゆっくり、歩いている。お母さんのお尻のところに頭を押し付けて、手はぎゅっとスカートを掴んでいる、小さな長靴を履いている。
朝は雨でスーパーは人が少なかった、坂の途中の工事現場にも人は一人しかいなかった、12階建てのマンションができるということが掲示されたものによって知れた、土地の境界線の壁は半ば剥がれ、マーブル状のチョコレートのように見えたのかなにかおいしそうな調子があった。空っぽの土地にぽんと倒れたなにか筒状の途方もなく巨大なものはなにになるのかわからなかったが途方もなく巨大と言ってもせいぜい人3人分くらいの高さというか長さの筒で、幅は人1人分とかで、でもそれを見ている目というか体は、やたら巨大なものを見ている印象を受けていた、それこそ出来上がったマンションを見るときよりも強い「巨大」という観念がきっと与えられていた。なんでだろ。

今日も金曜日、というか今日こそが金曜日、というふうで、今週は水曜から金曜の感覚で木曜も金曜だった、火曜日の夜を最後に次の週まで休みがないというシフトになったからだと気づいた、木曜休みのことがここのところ多かったからその週最後の休みの次の日は金曜日というのが感覚として根付いていたということだった。今日は夕方から山口くんでだけど金曜の晩だしここのところの感じを考えると抜けにくいところがあって、だから終日いるだろう、夕方の時間帯は抜けるかもしれないが。だからそこで原稿だ、そこでどこまでいけるかだ。

店は暇で、ぽつぽつとなにかをこなしながら、過ごし、山口くんが来たので八百屋に必要な野菜を買いに行った、じいさんたちが、「明日持ってこうか?」「明日は店休みなんだ」「あーそうかい」と快活にやりとりをしているのを見ると、ここが地元という人たちがたしかにいるのだよな、と不思議な感慨みたいなものを覚えて、それで大根であるとかを購入した。

ぽつりぽつりとまばらに雨が降り出して、念のため傘を持参の上、ドトールに行った、ドトールで山口くんSOSに備えながら過ごすのは久しぶりで、メルツバウを聞いてジム・オルークを聞いて、集中して原稿に取り組むことができた。書くこともそうだが書いた分を読み返して修正していく作業がいつもよりずいぶんクリアな意識の中でおこなわれて、隣の席にいたスーツの女性が立ち上がって窓の外に挨拶をしたと思ったらはきはきした声の女性がやってきて座り、前回お伝えした内容で試算をしてみたところ医療保険がこれで死亡保障がこれで支払い期間はめいっぱい長く取っていて90歳までで、でも途中で三代疾病に罹ったら支払い免除になります。生命保険の営業だった。僕は身構えて、余計な商品を買わされようとしていないか、注意を払った。払ったところで目は原稿だし耳の手前はジム・オルークだし、あまりしっかりは聞けなかったが次回会うときに契約をするようで、その注意事項を説明していた。契約から3年以内に自殺された場合は支払われません。申し込み情報に虚偽があると支払われません。例えば年齢とか。そんなことってあるんですか? これがちょうど先日あったんです、40歳とおっしゃる女性だったんですけど、歯もなくて髪も真っ白で、申し込みの時に身分証を出していただいたら69歳とあって。それはまた随分な。保険料がまったく違ってきますからね。でも身分証って出すわけでしょう。そうなんですよ、どういうおつもりだったのか。そんな話がされて、歯がないのか、と思ってまた、でも白髪はわからないよな、と思った。総白髪の40歳はいくらでもいる。
一度トイレに立つときに、なにか保険会社がわかるものがないかと見たら、ポンタみたいなものがいて、だからそれはどうやらひまわり生命のようで、ひまわり生命ならありか、と思って落ち着いた。何年前の感覚で言っているのか、という話ではあるが。これが日本生命だったり第一生命だったりしたら僕はなにかの隙を見つけて「突然失礼、私はかつて生命保険会社で働いていたものなんですが、この契約、今一度よくよくお考えになった方がいいかと思われます。もちろんあなたのお支払い能力と掛けていい思考コストの兼ね合いではあるのですが、単純に保険商品の良し悪しといいますか、保険料に対する見返りであるとかの部分の点ではまったくおすすめできない内容のはずです」とでも貴婦人に話しかけたかもしれなかったがそうではなかったから安心して原稿に向き合った。今週は1万字になって、がんばりすぎたかもしれない。ペース配分がまったくわかっていなかった。
それまでオフラインだったパソコンをWiFiにつなげて、平野さんに送り、ちょうど閉店時間になったので店に戻った。9時だった。8時の段階では「さっき満席になったのですがそんなに忙しい感じはないです」と言っていた山口慎太朗は一生懸命働いていてそのときも満席だったしちょうどどんどん追い詰められていくフェーズだったからちょうどいいタイミングで戻れた。合流し、二人でしゃかりきに働いた。暇そうだったら早く上がらせてもらおうと思っていたがとてもじゃないが無理だった、 10時からカレーをつくりはじめて正気ではないそれは行動だった、チーズケーキも焼いて、走り抜けるというふうだった。
閉店して、伝票をすぐに入力すると明日が今月のこれまでの土曜日がそうだったようなペース、つまり大忙しというペースになればぎりぎり25%アップに乗る、というところで、また最終日が天王山になった、とおかしかった、俺、がんばるよ、と言った。それで今日は僕はだから半ば休みみたいな心地がどこかにあったみたいで、実際は一日中働いていたわけだが、どこかにうっすらあるみたいで、「餃子食べに行こうよ」と誘って、夕飯を外で食べることにした、駅前というかドトールの同じ建物の中華料理屋さんが前に行ったときに「え! ここ2時までやってんの!?」というそういうことを知ってこういうときにまた来ようと思っていたのでそれで行ったところ建物は真っ暗で圧倒的に閉まっていた、とんぼ返りして調べると12時閉店のようで僕のあの認識はどこで生じたものだったのだろうか、なにも食わず、そのままなんとなくダラダラと話していて風景描写の話をしていた、そうしていたら2時になっていて、「わ、2時になっちゃいましたね」と山口くんが言うから本当だと思って、一緒に出て、そこで別れて、帰った。

お腹がすいたと思いながらウイスキーを飲み飲み、『ヴィータ』を読んでいた、カタリナの親類の言葉にこうあった、「最初に彼女に会った時は、誰も今のような問題が起こるなんて思いもしませんでしたよ。私たちと同じ、何の問題もない人間でしたから」。 私たちと同じ、何の問題もない人間。おそろしい言葉だった。
眠りに落ちる間際、数字があった。348とあった。348ページ? 3時48分? わからなかった。ページ数と時間が溶けていくようだった。

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この週に読んだり買ったりした本

ジョアオ・ビール『ヴィータ 遺棄された者たちの生』(桑島薫・水野友美子訳、みすず書房) https://amzn.to/30lC7H6

『広告 Vol.413 特集:価値』(博報堂) https://amzn.to/2K5b6Rp

カーク・ウォーカー・グレイヴス『カニエ・ウェスト論 《マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー》から読み解く奇才の肖像』(池城美菜子訳、DU BOOKS) https://amzn.to/2ZtvGEF

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