本の読める店

読書日記(151)

Entry diary151

8月19日(月) 

金曜終了時点ではまさかの時給1250円ペースでさすがにこれを維持することは難しいとは思っていたけれどこの土日くらいは維持されるかな、なんせ夏休み的なものなんだろ?
と思っていたがこの土日は速やかに暇な土日になったから1250円ペースは崩れて1200円ペースになってここからどこまで落ちるかだ。

月曜は静養、火曜は執筆、木曜は執筆と交遊。これが今週のスケジュールで今週は半日半日一日で休みというか山口くんだから、そういうふうな流れにすることにして月曜日はちゃんと体を休めないといけないというか週末の疲れがどっと出るのが月曜日だから月曜日に無理はしないほうがいい。そのため交代までの時間で日記の赤入れをどこまでできるかだ。忙しい感じの日中になって赤入れまでは済んで反映作業までは取り掛かれなかった。
佐藤くんが今日も本を読んでいて、やってきた山口くんと外で引き継ぎというか話をした、僕は見えなかったものが見えたこと、やってみたことができたこと、そういう喜びを積み上げていくのがよくてだから「そうしたい」と言って、そういう日誌じゃないけれどできたこと積み上げシートをつくりたいんだよねと言ったら山口くんはそれを「ありがたい」と言って、へえ、ありがたい、面倒じゃないのか、ありがたいならよかった、それはでもどうして? と聞いているタイミングで佐藤くんが出てきて、山口くんとはじめましてというかはじめましてじゃないけれどよろしくおねがいしますの挨拶をおこなって、それで3人が相まみえた。山口くんはさらさらとした髪で眼鏡を掛けていて今日は白い無地のTシャツで胸ポケットがあって、佐藤くんはさらさらとした髪で眼鏡を掛けていて今日は白い無地のTシャツで胸ポケットがあって髭をたくわえていて、僕は眼鏡を掛けていて今日は白い無地のTシャツで胸ポケットがあって髭をたくわえていた、やだね、と笑った。山口くんが無地のTシャツを着ているのは珍しいことだから珍しい相まみえ方ということになって、佐藤くんは帰っていった。山口くんと続きを話して、そういうシートをじゃあ、つくっておく。それからマニュアルをちゃんと整備してマニュアルに向かえばいい状態をつくれるようにしたいね、どうやって運用したらいいか、マニュアルチャンネルをSlackにつくって変えていくところをとんとんと投げていくことにしようか、チャンネルもつくっておく。ということで店を出た。

僕は今日はだから表向きは無地のTシャツだったが背中には「PADDLERS COFFEE」と書かれていて、これでフグレンに入るの恥ずかしい気がするからフグレンは行けないな、とそんなことを日中、働きながらぽやぽやと、思っていたのだけど、自転車を漕ぎながら気づいたがリュックを背負っていたら背中になにが書かれているのかはわからない! だから行けるということがわかってしかし行くかどうかはわからなかったし別に「PADDLERS COFFEE」と書かれていてそれがたとえたくさん見えたとしてもそれでフグレンに行けないというわけではなかった。
『ヴィータ』をやっぱり読みたいわ、という思いが一気に強く湧き出ていて、だから丸善ジュンク堂に行く、それがまずすべてだった。文化人類学の棚のところに行って、ぱっと見た感じは見当たらなくて、人類学とかそういうところではないのかな、と、hontoのアプリで在庫を見ると三角マークであって、場所は文化人類学概論だったからここで合っていた、よくよく、探した。出たのが今年の始めくらいのはずだから、そこそこわかる置かれ方をしていて不思議ではないが、と思いながら、なめるように見ながら、なかったら、どうしよう、ヴィータ、めっちゃ読みたい、どうしよう、といくらか焦るような気持ちを覚えながらも同時に、ゆっくりゆっくり、一冊一冊、目の前の本の背を、眺めているその時間に愛おしさを感じて、ありがたい、とも思った。しかしないのかこれは、ないなんてことがあるのか、と、やはり見当たらなくて、近くのサービスカウンターのようなところに行って「これはありますか」と画面を見せた、ありそうです、そこで待っててと言われたベンチに腰掛けて待っていた、二人がかりで調べてくれたのだろうか、けっこうな時間が流れた、難航しているみたいで、そして、10分ほど経っただろうか、なかった、と結果が告げられた。そうか、と思い、礼を述べ、離れた、もう一度僕は文化人類学のところに戻って、その周囲の棚も含めて、よくよくと見た、若い男性二人組、大学生だろうか、がドイツの歴史の本の前でいろいろをしゃべっていて、その前をすり抜けて小説の棚のほうに、悄然とした足取りで向かった、若い金髪男性二人組、大学生だろうか、彼らは法律書のところで、判例が変わる、困る、みたいなことをしゃべっていた。
「丸善行こうぜ」
そんなふうに言って彼らは、連れ立って書店に赴くのだろうか。
どうしようかと、ラテン・アメリカの小説の前に立ちながら、思っていた。どうしようか、読みたい、今日俺は、読みたい、しかし、と思い、SPBSはきっとないよな、でもある可能性はあるかな。HMVのところは入る気になれないんだよな、そんなことを言っている場合なのかな。新宿の紀伊國屋書店はさすがに遠いしブックファーストも、バカみたいだ、新宿側に行くなら店から最初からそちらに行くべきだったというか、また戻って、あっちって、バカみたいな動きだ、ちゃんと調べて向かうべきだった。甘く見ていた。信頼していたということだ。勝手な信頼かもしれないが。 青山ブックセンター……。たしかに、ありそう。でも面倒な経路だよな、と思い、でも背に腹の代役は務まらないということはつまり今晩インゴルドにヴィータの代わりは担えないということで、買えなかったら今日という日は、無になる、そういうことだ。行くしかないかもしれない。でも行くならさすがにこれはこれこそ在庫を確認してからのほうがいい、と、電話番号を調べた。するととても驚いたことに、まったく予期していなかったことに、青山ブックセンターはなんと電話番号を公開していない! 少なくともわかりやすいところにはまったく書かれていない。最初グーグルマップ上で電話番号情報が入っていなくて、入れたがる人がいそうなものだけどな、変なの、と思ったらそういうことで、ウェブサイトの中をしっかり潜ったつもりだったが見当たらなかった。これは、すごいなと思って、こういう在庫を知りたいというような電話は掛けたい人がまったくいそうなものだけど、ABCはそれを受けないという選択をした。これは、すごい振り切り方だな、と思って、ABCは去年かおととしに店内の検索機もなくしていてつまり回遊のなかで本と出会う、というのをけっこう極端な形で積極的につくろうとしていて、電話のなさはその一環に見えて、すごいな、と思った。今の僕にとっては不便以外のなにものでもなかったがその姿勢は僕は称賛したいものだった。もう少し調べると、それらしい電話番号が見つかりはした、それは「IMA ONLINE」の中のそういうのありがち施設データベースみたいなページで、そこに電話番号は載っていた、これに掛けたらきっとつながりはするのだろう、つながりさえすれば在庫を聞くことはできるのだろう、しかし店の公式ウェブサイトでは秘匿されている番号で、つまり「IMA ONLINE」に載っているのはなにかタイムラグというか、公式が秘匿するようになる前につくられたページで、それがそのまま載ったままになっているということではないか、これを見て掛けるのはABCにとっては「見つかっちゃいましたか」というそういう電話であり、積極的に受けようと思っているわけではない電話を掛けるのは、僕にはためらわれた。掛けず、賭ける。それにしても大きな賭けになった。ここからABCまで行って、そして見つからなくて、という、それもバカバカしくていいかもしれない、というそういうことにして、向かうことにした。東急百貨店から外に出ると、日は暮れつつあって、なにか、水の中にいるみたいな色の空が広がっていた。空の向こうが空であるほうがありそうなことに見えるそういう色の空で、空気もしっかりと湿っていた。自転車にまたがり、「もしあったら大逆転」というところでSPBSにまず寄った、なさそうだった、レベッカ・ソルニットの迷うことについての本が目に、入ってきて、これはいつか読みたかったやつだ、と思ったが、今日は違う、今日は違う、とすぐに出て、ABCに向かった。NHKの前を過ぎて税務署の前を過ぎて労基署の横を下っていって、それから線路の下をくぐって通りを少し行って、右に折れてゆるやかな坂道を上がっていって、モデルルームみたいなものの横を過ぎて、国連大学だった、自転車を停めて、歩いた、エスカレーターで下りながら、これは買おうとしている本が5400円のずいぶん値の張る本だからできた行為だな、と思っていた。丸善ジュンク堂からABCまでのこの移動はコスト換算すれば1000円となるわけだけどこれが買おうとしているのが仮に1500円の本だったら2500円の買い物ということになる、値段の上昇率は70%近くにもなるが、5400円が6400円になるのは20%も上がらない。それなら目をつむれる。だからこそ掛けられたコストだった。
入ると、夏の、たくさんの人が一冊紹介みたいなフェアがあって、それを見ていた、これは楽しかった、滝口さんが『さよなら! ハラスメント』という晶文社の本を挙げていてその紹介文もまた「そうか」というもので、読みたくなった、読みたくなったが、こらえなさい、とこらえさせた。奥の、哲学であるとかの、並びの、人類学であるとかの、ところに、行く。平積みであった。3冊あるようだった。余裕であった。勝利、と思って、思ってから「いやしかし」ということだった、たしかにこれを読むことを熱望して今日の俺はあったけれど、パラパラしてから決める、なんせ分厚い、そして値の張る本だ、パラパラしてから決めないといけない、つまり、今から面談だ、というその段階でしかない、ということに気づき、パラ、っとした。最初のページの数行を読んで面談は終了して購入が決定された。ABCのこのコーナーは初めて来たけれど、やはり丸善ジュンク堂とはまた違う顔ぶれで、面白く見えるというか一冊一冊が輝いて見えるようなところがあってだから読みたいと感じる本がいくつも目に入ってきて危ないと思った。そそくさと買って、出た。

表参道の通りをぐんぐんとくだりながら、タタタタケオキクチ、タタタタケオキクチ、という、タケオキクチのテーマを歌っていた。タケオキクチというのがどういうブランドなのか僕は知らないけれど高校生か大学生のときになにかを買ったことがあったような記憶がうっすらとあって、つまりこういった通りで僕が関係したことのありそうな極めて希少なブランド、それがタケオキクチだったしこの通りにあるのかどうかは知らなかった、タタタタケオキクチ、タタタタケオキクチ、楽しくなって、破顔しながら自転車を漕いでいた。
家に帰る前に、だから静養を始める前に、ドトールに寄った、寄って、そこで今日山口くんと話していたその報告シート的なものをこしらえ、Slackのチャンネルを新設して、ということをやったあと日記の反映作業を済ませることにした。静養、月曜は静養、そう思いながら、おこない、夜になっていった、先週はアラビア語を使ったがこれがしかしInDesignでどうしたらいいのかわからなくて、アラビア語自体は選択できるのだが表記がおかしく、つながらないし逆向きで、結局どうやったら適切な状態にできるのかわからなかったので諦めた。終え、8時過ぎ、スーパーでビールとポテチとミックスナッツを買って「俺は今日はこれを夕飯にするつもりだろうか?」と思いながら家に帰ったところ遊ちゃんもちょうど帰ったところということだった。
僕は疲れて、月曜は静養、月曜は静養、と言って、言っていたら遊ちゃんが布団でぺたーってしながらポリポリやりながら本読んだらいいんじゃないの、という素敵な光景を提案したから、それをやろうということにして先に風呂に入って髪を切った。さっぱりし、ストレッチを済ませ、布団の端っこに座って床にポテチを置いて音楽を流してビールを開けた、そして『ヴィータ』を、読み始めた。遺棄された人、廃棄された人、そういうパワーワードが最初からあってヴィータはドラッグの売人が始めた施設でそこに人は生きながら捨てられていく、その中の一人であるカタリナとのあれやこれやを中心にこの分厚い本は書かれていくらしかった。
音楽を、掛けていた。iPod時代というか、かつてから持っていた、CDをリッピングした、最近はアクセスもしていなかった、そういう音源を今日は聞きたかったらしくて最初にKraig Gradyの『Our Rainy Season/Nuilagi』、それからWim Mertensの『Strategie De La Rupture』、Theo Bleckmann & Fumio Yasuda『Berlin Songs Of Love And War, Peace And Exile』を流して、どれも久しぶりで、なんというか、もう一生分の聞き返せる音楽が、ストリーミングに頼らずとも聞き返していたら一生が終わるようなだけの量の音楽が、あるのだよなあ、と思って、どれもよかった。先日ツイッターで見かけたファミレスでの読書方法というものでポテトフライを頼んで、1ページ1本食べる、そうすると食べたいと読みたいが連動して盛り上がっていい、みたいなそういう方法を、思い出して、1ページ1枚ポテチを食べることにして、それで読んでいった、ヴィータ、ヴィータ、この施設の名前が「生」という意味の言葉というのはなんというか、出来すぎの冗談みたいでぞっとした。ずっとその調子で読んでいた、途中で遊ちゃんが「私は上流で寝るね」と、寝て、僕は下流で、遊ちゃんのお膝元で、眠くなるまで読み続けた。

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この週に読んだり買ったりした本

ジョアオ・ビール『ヴィータ 遺棄された者たちの生』(桑島薫・水野友美子訳、みすず書房) https://amzn.to/30lC7H6

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