今日の一冊

2019.08.08
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####ジョーダン・ファーガソン『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(吉田雅史訳、DU BOOKS)
2018年8月8日
では、《Donuts》のサウンドのソースとして「見える」ものは何だろう。それらはイメージや色、そして雰囲気のコラージュとして心の中にちらつくものだ。それは、ミュージック・コンクレートとしてのヒップホップだ。すべてのサンプリングソースを知っているからといって、頭の中でそのサウンドをより理解できるようになるわけではない。そのリスニング体験を不条理なホラー映画のようにしてしまうだけだ。ガルト・マクダーモットがピアノを静かに鳴らしているとき、トラックの平らな荷台から空中に落下するかのように、ジャクソンズが彼の上に落ちてくるのだ。マイケルと彼の兄弟たちが配線を間違えたアンドロイドのようにひきつり、痙攣を起こし、理解不能なヴォーカルが噴き出し、事態はおかしくなる。ルー・ロウルズが黒く濁った泥沼からステージの脇に這い出すと、テンポは遅くなる。そしてジーン&ジェリーのホーンにかき消され、衛星からのレーザー砲のような威力で撃たれる前に、ルーは息を切らせた屠殺場を顕現させるのだ。暴行はすぐに終わる。しかしルーの仕上げはそれだけでは済まない。彼はステージの上を震えながら這い回り続け、この事件全体にコメントする。
ジョーダン・ファーガソン『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命 』(吉田雅史訳、DU BOOKS)p.147
初期のディズニー・アニメの雰囲気で再生された、『Donuts』の戯画化の文章というのか、これだけでも僕は面白い、このあと、「古代ギリシャの哲学者エピクロス」の、信者たちの多くが墓に刻んだ碑文が紹介されて、それは「私はいなかった、私はいた。わたしはいない。だが怖れない」というものだということで、とてもよくて、そのあと、キューブラー・ロスの死の受容に至る五段階モデルに沿いながら、このアルバムの楽曲を見ていく、サンプリングされたレコードがなんなのか、それをどう使ったのか、そういうことから、いろいろ考える、とても感動的で、胸が躍る、『Donuts』を聞きながら読みたい、サンプリングされたものも聞きながら読みたい、サンプリングって奥深いというか面白いのなあ、と思った、コラージュアートというか、すごい。ずっと面白かったけれど終盤の読み解きはすごくエキサイティングでいい、すごい。腹減った。今日は、今日もまた、トーストを食べるだろうか。今は5時ごろだ。サンプリング。コラージュ。引用。サンプリングというものが他者の声や時間を響かせるということだとは、これまで考えたこともなかった。
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