今日の一冊

2019.08.02
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####テジュ・コール『オープン・シティ』(小磯洋光訳、新潮社)
2017年8月2日
何かを決めるということ ——どの角を左に曲がるか、うらぶれた建物の前でいつまで佇むか、ニュージャージーの彼方に沈む夕日を眺めるか、それともイースト・サイドで対岸のクイーンズを眺めながらビルの影の中を駆け抜けるか—— はさほど重要ではなく、自由の感覚を思い出させてくれたのだ。ニューヨークじゅうのブロックからブロックを、まるで歩幅で距離を測るように網羅した。街じゅうの地下鉄の駅は、あてのない進行での動機モチーフとして繰り返し現れた。大勢の人が地下に駆け下りていく光景はいつ見ても奇異だった。全人類が本能に逆行して死へと突き動かされ、移動式の地下墓地カタコンベに突進している気がした。地上で私は、それぞれの孤独のうちに暮らす数えきれない他者と生きている。一方、地下鉄の車内では見知らぬ人間と密着しながら居場所と息をする空間を求め、人を押しやり、人に押しやられている。そこでは誰もが、気づいていないトラウマを再現し、孤独を深めているのだ。
テジュ・コール『オープン・シティ』(小磯洋光訳、新潮社)p.11
いや、ここよりも。
気がむくと本の言葉を読み上げた。すると私の声はフランス人だかドイツ人だかオランダ人だかのアナウンサーの小さな声と、あるいはオーケストラのヴァイオリンが奏でる繊細なテクスチュアと奇妙に混ざり合う。読んでいた本がヨーロッパの言語からの翻訳だったことで、声の混ざり具合はなおのこと奇妙になった。その秋、私は本から本へと飛び回った。ロラン・バルトの『明るい部屋』、ペーター・アルテンベルクの『魂の電報』、ターハル・ベン・ジェルーンの『ラスト・フレンド』。
同前p.9
なんでだかこの引用を打っていたらふいに「大丈夫」という気になった。
僕は昨日も友だちに言ったし少し前も他の友だちに言ったが、最悪のケースを想像したときにそんなに最悪でもないんだったらやっちゃえばいいんじゃない、そう言ったが、同じようなことをいま自分にも言う。言ったからではなく、その前に「大丈夫」という気がテジュ・コールとともに、あるいは「日記を書く」という行為とともに、あるいはそれに伴ってよみがえった昨夜の記憶とともに、もらった言葉とともに、まず起こって、そのあとに、そう思った、というのが順番だった。人に向ける言葉はいつだって花束のように使いたい。
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