本の読める店

読書日記(145)

Entry diary145

7月11日(木) 

11時、起き、店へ。山口くんはラジオを聞いている。机に3冊の本が置かれていてひとつが書楽のカバーで残りが紀伊國屋書店のカバーだった、勝手に開けると、『プラータナー』『図書室』『寝相』だった。コーヒーを二人分淹れて、飲みながらとりとめもなく話す、『文藝』のことを話していた、山口くんがおそらく大学時代、書店でアルバイトをしていたときに、又吉直樹の「火花」が出た『文學界』がそういう重刷みたいなことになった、そのときはたしかに店頭でもたくさんの人が『文學界』を買っていった、と言っていて、『文藝』といい『文學界』といい、日常的に発されることのない言葉が日本中で発されていたのだな、と思ったらそれは愉快で、ぶんげいください! ぶんがくかいください! その響きを考えて笑った。

店が開き、お客さんがさっそくあり、喜び、出た。自転車に乗って甲州街道のほうに出た、それから山手通りを走った。昼時で休憩の人たちがたくさん外に出ていて、それから西新宿を通って、高層の、住友不動産みたいな、住友どうのこうのみたいな、そういうビルがいくつもあって、人が同じように、そこから出てきて、どこかで昼飯を食べるのだろう。公園で、小さな山みたいなところの上にべったりと座って本を読む人の姿が目に入った。
自転車を漕いでいてもまるで暑くならず、ずっと涼しさがあった、新大久保に着いてハラルフード屋さんに入ってスパイスをどんどんカゴに入れていった、ガラムマサラの箱の裏面にピーマンとマッシュルームのカレーのレシピが載っていて、それを見たら「あ、今夜はピーマンとマッシュルームのカレーをつくろう」という気になって簡単だった。会計のとき、お店の、たしかバングラデシュの人だった気がする、人が、かっこいいおにいちゃんで、その人が、『ドラゴンボール』の連載が始まったときと思しき『週刊少年ジャンプ』が印刷されたモノクロのTシャツを着ていて「ヒットメイカー・鳥山明」みたいなそういう言葉があったような記憶がある。はっきりと覚えているのは定価が170円とあったことで、今はいったいいくらなんだろうな、と思った。それ、いいですね、と自分のTシャツを引っ張りながら言って、ああこれ、いいでしょう、と笑った。アッサラーム・アレイクム。

引き返して駅前の人通りの多い通りに出るよりもぐるっと回ってみようと、進むと、いくつも語学学校があって、それから桜美林大学という表記があった、桜美林大学はこのあたりなのか、と初めて知った。なんとなく、相模大野とか、そういうあたりかと思っていた。それはそれであるのだろうか。道路を渡って向こうの路地に緑の、蔦に覆われたコンクリートの壁が続くみたいな景色が見えて、光が当たってぼんやりと白飛びしたような明るさになっていて、奥に行けば行くほど明るくてそれは曲がって途切れた。その先を見たいというような、誘われるような感覚があったが、それは方向があまりに違うので自制して、ちゃんとした方向に向かった。自転車を漕ぎながら、僕の口は「ワーキングピーポー、ワーキングピーポー」と歌っていて、それはお昼休憩で外に出てくる彼らを指すのか、いま店の買い出しをしている僕をも含んでいるのか。僕を含んでいないのだとしたら、どんな意識を持っているのだろうか。なにか、歪んだものが自分の中にあるのではないか。蔑んではいない。けれど、蔑まれたくない、という思いがけっこうあるのかもしれなかった。見下されてたまるか、というような。見返してやる、というような。そういう気持ちもいまだに、あるのではないか。なにを見返すのかもわからないが。僕の目が見ているのは、スーツ姿の見知らぬ誰かの姿なんだろうか、それともそうあったかもしれない自分の姿なんだろうか。
リュックの中のスパイスは大荷物で、どうにか入る、というようで、5キロとか、あるいはもっとあったのではないか、重く、このあとに渋谷に行く用事もあったから書店に行くのは渋谷でいいかなとも思ったが、帰り道でブックファーストに寄れることを考えると、ほとんど1階みたいな感覚の地下1階というのは魅力的で、丸善ジュンク堂のエレベーターに乗って7階というのは、まったくハードルがないということでは全然ないのだなと感じた、それで、ブックファーストを目指した、コクーンタワーが見えたのでコクーンタワーを目掛けて走ったが、道を誤り、というか大通りに阻まれ、遠回りになった。
入り、最初の文芸誌の棚のところで、『新潮』『文學界』『すばる』を取って『文藝』は切れていた、それ以上奥には進まないでそのままレジに持っていって、金額が2848円で、え、となった、「3冊本を買う」というのは僕の中では5000円から6000円あるいはもっと、という感覚があったから、今日は文芸誌を4つ買うぞというつもりでいたから全部で、でも文芸誌だからもう少しは安いから、6000円くらいだろうか、そんな値段の分だけ僕は楽しめるのかな、と思っていたところだった、だから3冊本を買って3000円を切っているというのは一瞬なにかの間違いのように感じて、止まった。買って、初台に戻った、渋谷区役所の初台出張所に行って納税証明を取得して、これはSquareのなにかでなにかを申請すると手数料が安くなりますみたいなもので、それに必要というものだった、取り、それから八百屋さんと肉屋さんで野菜と肉を買って店に戻った、昼はそこそこ忙しかったみたいで山口くんはカレーをつくろうとしているところだった。野菜と肉とスパイスを置いて、玉ねぎひとつとにんにく一片と生姜を適当な量、それからクミンをいくらかラップに包んで、リュックに入れた、家で今晩使うためだった。
いくらか外でぱやぱやとおしゃべりをして、出、いったん家に戻ることも考えたがこの勢いのまま行っちゃおう、というので渋谷、用事は東急ハンズ、アイスドリンクのコースターに使っている革が数が足りなくて、アイスドリンク続出のときにコースターが切れるということが何度かあったから、足そう、というので革の端切れを買いにきた、ちょうどよさそうなものがあり、300円だった、端切れというのはどうやって値付けをしているのだろうか、売るほうも買うほうもこれは双方にとっていいものだな、と思った。ある人にとっては要らないものも、買いたい人はいる、ということだった。
用事がとんとんとこなされていく。SPBSに寄ってみたら『文藝』が置かれていたので買って、スーパーで野菜や肉やビールを買って家に帰ると雨がぽつぽつと来るところで、「セーフ」と思った。

帰ってきたのが3時過ぎで、ラジオをやってその日初めての食事としてうどんを食べて、済んだのが4時半だった。4時半。休日が始まる、これを早いと見るか遅いと見るか、迷うところだったが、とにかく、今日やるべきことは全部済んだ、ビールが開けられた。
ビールを飲みながら、『新潮』を開いて、開いたらすぐに、滝口悠生の「全然」があった、読み始めた。
海にいるらしい。2016年にできた船で、とあったから現代らしい。

やがてひとり、またひとりと寝息をたてはじめる。長さも間隔もそれぞれ違い、深く、太く、浅く、いろいろの呼吸音を聞き合ううち、自分もうとうとしはじめて、誰もかれもいつの誰かわからなくなる。空調はきいているはずなのに、蒸し暑くなってくる。体の下の布団がやけに湿って感じられてくる。空耳ではない、明らかな波を打つ音が室内までも届き、船の速度は落ち、揺れが大きくなる。布団は板敷きの床にゴザを敷いただけ、というわびしい硬さにすり変わって、くたびれた自分の着物からも、部屋のそこらじゅうからもすえたような匂いがする。 滝口悠生「全然」『新潮 2019年 08月号』(新潮社)p.9

時間がまだらになっていく。そのあと2005年の場面になり、それで戦争のときの硫黄島のことが書かれる。それを読みながら、僕は少しずつしかしずぶずぶと感動していくような心地にとらわれていって、いくらか泣きそうになりながら読んでいた、それは、「この作家がこういうことを書いている」というそれ自体への感動のようで、大きな話、というと語弊はありすぎるのだけれども、時間的にダイナミックな話というか、いやこれまでだってダイナミックだった、だから、時間的にわかりやすくダイナミックな話、というか、というか僕は『愛と人生』をまだ読んでいないからもしかしたら『愛と人生』もそういう側面がある作品なのかもしれないからこれまでも書いていた可能性はあるけれど、なんせ寅さんの話ということだから歴史スペクタクル、一大叙事詩なのかもしれなくて、とにかく、「全然」、わあ、と思って、そういえば、というので思い出したのが去年の8月に青山ブックセンターでトークイベントでそのあとの打ち上げの2軒めで入ったお店で、滝口さんが「今度は歴史物を」みたいなことを、どんな単語を使ってだったかはまるで覚えていないけれど、「へえ!」と思ったことは覚えていて、このことだったのか、と思い出して、そうか、と思った。思って、「さっき歌っていた歌詞がどんなだったか、もういまは思い出せない。毎日には、思い出せない歌がたくさんある、とイクは思う。これまで忘れた自分しか知らない歌は何曲くらいあるのだろうか。その時その時は、とても大好きな曲だったのだけれど。あるいは、自分以外の、ほかの人たちにもそういう歌があるだろう。私の知らない歌がこの世にはたくさんある」というイクの場面というか、になって、強制疎開以前の硫黄島だろうか、の場面に、なって、イクは歌を歌った。読みながら、遊ちゃんが今朝、「ぽにょらぽにょらぽにょ〜」と歌っているのを、うっすら眠りながら聞いていたことを思い出した、僕が、自転車に乗りながら、「ワーキングピーポー」と歌っていたこともまた思い出した。

しかしイクは野球に興味はないので、ほとんど何も聞いていない。指先を鼻にあてて、すんすんにおいをかいでいる。頭のなかでは歌を歌っている。
レモングラスからつくったオイルは、香水や香料になる。今ではそのへんにたくさん野生しているからさしてめずらしい香りでもないし、この島では贅沢な香水なんてほとんど目にすることはないけれど、工場でつくったオイルを指にちょんととり、かいでみればすっとしたいい香りがして、葉っぱをちぎったのとはやっぱり少し違う。工場のひとが横流ししてくれるおこぼれを大事にとっておいて、首筋や腕につけたりすることもある。達身、とイクは呼びかけて指先を達身の鼻にあてる。
達身は、なんもにおわねえ、と言う。
なんもつけてないもの、とイクは言って、笑った。
このようなシチュエイションは、まるで私が達身に恋慕してるみたいだけれど、レド、レドレド、とイクは歌の続きを歌うみたいに思いながら足をぶらぶら揺らした。そういうわけでは全然なくて、達身は私の、夫の、弟です。 同前 p.26

もう初っ端から面白すぎる! と思って、たのしい! うれしい! と思って、それが終わるとすぐに他の何かを読む気にはならなくて、もう一本のビールを開けて、飲みだした。飲みながら、じわじわとさっきいた世界の、さっきいた時間、複数の時間、複数が一体となった時間の、その余韻を味わいながら、過ごし、気が済んだので『文藝』を開いて保坂和志と宇野邦一のベケットをめぐる対談を読んだ、面白かった、短かった、もうすぐ遊ちゃんは帰ってきそうだった、少し寝ようかな、と思い、うつぶせになった。鼻の先にパジャマとタオルがあって、呼吸のたびになんとなく慣れない匂いがあって邪魔で、タオルをどけたらなくなった。夢を見た。遊ちゃんが帰ってきて、寝ながら「おかえり〜」と言ったが声はソファの生地に吸収されて聞こえなかったかもしれない。
ビールを買ってきていて、僕も飲もうと思ったら僕用のものはロング缶で、ロング缶はまだいいや、と思ってまだ飲まなかった。遊ちゃんはすぐに飲み始めて、テーブルの上に4つ並んだ表紙を見ながらあれこれ言った、遊ちゃんがご飯を炊いたので、僕も料理を始めることにして、マスタードシードを温め始めて横で玉ねぎとセロリを切って、ぷつぷつとマスタードシードが音を発し始めたので玉ねぎとセロリを入れ、クミンを入れ、にんにくと生姜をすりおろし、塩を入れ、混ぜ、蓋をした、残りの玉ねぎ、セロリの葉っぱ、ピーマン、マッシュルームを切ってボウルに入れ、トマトは切ったまままな板の上に置いていた、しばらく待ち時間で、話したり、話さなかったりしながら、『文藝』を開いて斎藤真理子と鴻巣友季子の対談を読んで、読んだら韓国の小説を読みたくなった、トマトを入れ、つぶし、コリアンダーパウダーとカレーパウダーみたいなやつを入れ、ルーができて、肉と野菜を入れてそれから水を足して、蓋をした。ロング缶のビールはもう飲み始めていて飲み始めたらどんどん飲まれていくというのがビールだった。
雨が降っていて雨は僕が帰ってきたら降り始めて今の今まで降り続けていた、チョ・ナムジュの「家出」を読んで面白かった。それにしてもこの特集がバカ売れをしているというのは、人はどれを読みたくて買っているのだろう、というのが気になるところだった。買った人は、どれを読むのだろう。

カレーができたのでカレーと、遊ちゃんが昨日こしらえた鶏肉とブロッコリー等の野菜の、なんだろうか、温野菜的な、塩だけの味付けの、蒸し煮というのだろうか、をテーブルに並べ、食べた。カレーは、パクチーをたくさんまぶして、食べた。おいしかったが、カレーなのか、という感じはあってやや物足りなかった。温野菜みたいなやつは薄味で、薄味というか野菜の味で、肉の味で、それがそのままでとてもよくてバクバク食べた。
食事が終わると雨がやんだようで、散歩に出た。ぐるっと歩いて、短い距離でも歩いたら知らない初めて見る景色はいつだってあるものだった。遊ちゃんは店の前でわりと立ち止まってメニューを眺めたり、店内の壁のメニューを凝視したり、して、僕はそういうのは苦手で、すごいよね、俺はなんか視線に圧せられる感じがあってできない、と言うと、メニューはパブリックに開かれている情報だからできる、逃げ道があるとわかっているとできる、ということだった。メニューの出ていない店はさすがにじっと中を見ることはできない、と言った。そういう店がひとつあって、そこはいつも賑わっていて、いつか行ってみたい、けれど、行ったらすごい疲れそう、負けそう、全体に負けそう、と思って、それでずっと行くことがなかった、初めて思いついた、二人で行こうとするからいけないのではないか、誰か友だちとかを誘って4人5人で行こう、そうしたら、いいんじゃないか。二人で入って、二人でいると、よその席の会話であるとかあれこれに耳や意識が持っていかれやすい、それはその場では2は弱い数字になるからで、それをこちらが4や5になって武装して行けば、楽しく過ごせるのではないか。ワイワイの場にはワイワイで行くのがいいのではないか。そういう案だった。採択された。

帰って『文藝』をパラパラと見ていると朝に見た『プラータナー』の書評があってタイの小説ということだった、タイの小説、面白そう。開いたときは、水に飛び込む、なにかそういう場面みたいだった。夜のプールを勝手に思っていた。
寝るまで『森は考える』。前に読んだところを初めて読むように読んでいて、途中で「あれ?」と思って、読んでいたことに気づく、ということが何度もある。どれだけ読めていないのだろう、と思う。
眠る前にアラームをセットしようとアプリを開くとストップウォッチが動き続けているのが見えて9時間58分だった。ラジオをやるときに、30分、と思い、うどんを茹でたり食べたりするたびに止まるから止めながらというところでだったのか、別にアラームでもよさそうなものだがストップウォッチを押していて、そのまま忘れていたらしかった。あれから10時間が経った、ということだった。

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この週に読んだり買ったりした本

エドゥアルド・コーン『森は考える 人間的なるものを超えた人類学』(奥野克巳・近藤宏・近藤祉秋・二文字屋脩訳、亜紀書房)https://amzn.to/2RVtwrk

庄野潤三『ザボンの花』(講談社)https://amzn.to/2FnBbsx

『新潮 2019年 08月号』(新潮社)https://amzn.to/2LMZgxR

『文藝 2019年秋季号』(河出書房新社)https://amzn.to/2LPWbgf

『すばる 2019年8月号』(集英社)https://amzn.to/2JEVy6u

『文藝 2019年秋季号』(河出書房新社)https://amzn.to/2LPWbgf

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