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今日の一冊

Entry 0714

エレーナ・ムーヒナ『レーナの日記——レニングラード包囲戦を生きた少女』(佐々木寛・吉原深和子訳、みすず書房)

2018年7月14日
僕は、今は、これは、悲しみではなかった。おばあちゃんが亡くなって明日、通夜に行くわけだが、今は、ここにあるのは、悲しみではなかった。明日あさってと移動が長い、『茄子の輝き』に続いて今度は『死んでいない者』を読もう、葬儀だったか通夜だったかの日の話だったはずだった、これはきっと、今読むのにとてもちょうどいいのではないか、と思って、行き来の電車が楽しみですらあった。悲しむのは悲しみがやってきたときでいい、悲しむモードに自分を浸しておく必要はない、悲しくなったら素直に悲しもう、悲しみがもし、この週末にやってこなくても構いはしない、悲しい顔をして過ごすことだけはやめよう、そういう気分がなんだか強くあった。真面目であろうと思った。ここで今、僕が、神妙な顔をしてみせたとしたら、それこそ不真面目だった。僕はおばあちゃんを好きだった、先々週、最後に会えて本当によかった、それでもう完全に十分で、そのままでいよう、と思っていた。

寝る前、『レーナの日記』、レーナ、きみはどこにいるの? 彼女はレニングラードにいて、17歳で、1941年の11月だった。「ああ、なんてことだ、みんなを再教育して欲しくてたまらない」と書いたあと、彼女は混乱しているところらしく、「ちがう! そうじゃない! ただの旅行者なんかじゃない。何になりたいのか、自分でもわからない。頭の中がこんがらがった! カオスだ! ……」とあって、それを、いくらか倦みながら、この時間自体に倦みながら読んでいたところ、まんまと「何になりたいのか、自分でもわからない」と考えだした。僕は、今むやみに疲れていて、肩が馬鹿みたいに重くて、ということもあるだろうけれどやたらネガティブになっているらしく、何になりたいのかわからない、どう働きたいのか、どう生きたいのかわからない、どう生きたら、心地いいのだろうか。金銭的な心配が仮にまったくなくなったとしたら、僕はどんなふうに生きようとするのだろう、どのくらいフヅクエに立ちたいと思うのだろう、どのくらい本を読みたいと思うのだろう、映画を見たいと思うのだろう、旅行にいきたいと思うのだろう、どのくらい文章を書きたいと思うのだろう、なんだか全然わからないなと思って、ただ長く眠るような姿しか想像できなかった、倦んで、ただ体を横たえて、目をつむる、そんな姿しか想像できなかった。頭の中がこんがらがった!カオスだ! ……

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