本の読める店

めぐる声の採取と集積(togetterにまとめた話)

Entry blog fuzkue176

昨日こちらのツイートを見かけて「うれしいなーこれは」と思って。何がうれしいって「ほんとに本が読める」という括りが何より膝を打つというか「最適な括り、それだったのかも!」というか「なんか拡張子問題片付いたんじゃないかこれ」という気になるというか。いや片付かなくてもいいし片付かない方がいいくらいなのかもしれないのだけど。

で、いくらか前に「(でもtogetterはなんかいいような気もしてきたな。「声」を採取して集積させていくのってなんか楽しそう)」と書いて、その「楽しそう」を支えるのはこれもいくらか前に書いたデータ的なものを作る的なことの快楽みたいなもので、への欲望みたいなもので、それ以降ずっと声を採取・集積させてーなーと思っていたのだけど、なんとなく憚られるというか、どうかな、なんか、と思っていた。

のだけど、冒頭のツイートを見て、改めて、タイムライン上でどんどこ流れては消えていくだけのツイートの、もちろんその性質の持つ美しさもあるとは思うけれども、それよりも儚さがもったいないような気がしてしまって、声をまとめたものとして形にしてみたいと、エゴサーチしてひたすらtogetterにツイートをまとめていったのでした。

それがこちらで。 fuzkue(フヅクエ) - Togetterまとめ

ここのところ夜な夜な読んでいるのがロベルト・ボラーニョの『野生の探偵たち』で、なんとなく再読し始めたら下巻に突入したというところなのだけど、この小説はウリセス・リマとアルトゥーロ・ベラーノという二人の消えた詩人についての、メキシコでフランスでスペインでアメリカでイスラエルで彼らの人生と交差した人々50人あまりによる証言が小説のほとんどを占めているという作品で、おびただしい数の声が、おびただしい数の物語の断片が寄り集まることで一つの何かが立ち上がるような結構になっている。
それがまあなんというか僕にとってはすごく胸キュンというか胸熱な感じで、おそろしくグッとくるのだけど、同じようにこうやってフヅクエについての声を聞き取って集めていったら、何かが立ち上がらないだろうか、みたいなところがあって。
(この性向みたいなものは「『若い小説家の肖像』を読む」のやつにも適用されていて、ほんとこういうの好きなんだなと思うのだけど、要は何か小さいものが積み重なることで大きな何かにならないか、なってほしいな、というのがいろいろあるらしい。)

ともあれ、こうやってまとめてみて、「フヅクエ」「fuzkue」で引っかかるものはほぼすべて入れているつもりなのだけど、ディスがほとんど見当たらない現状においてはなんというかこう、なんかすいません自身の快楽というか慰めに使って、という感じではあるんですが、なんかこれ激しく励まされるなおい、という感じで。
Think Good!!って叫びたくなるというか、「あれ?フヅクエってなんかものすごい人気店なんじゃない?」みたいな幸せな錯覚というか危うい錯覚に陥ることができるというか、麻薬みたいで、鈍色だったはずの景色が気がついたらエメラルドグリーン強めの極彩色に変わってたのはいったいなんでなんでしゅか〜みたいなヘロヘロな気分になれるので健康にたいへんよい。読み上げて録音して大きなヘッドホンしてずーっと聞いていたら解脱できそうでたいへんよい。

(まとめに組み込まれて不快な方がおられたら消しますのでおっしゃってください)

photo by 東間 嶺

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