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『若い藝術家の肖像』を読む(34) P18-19、シィンテクシロニニロシクテンィシ

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この連載についての説明と更新履歴

カミュの『ペスト』(素晴らしかった!)を読んでいたら「戒厳令」という言葉が見えたので、ガルシア・マルケスのルポルタージュというかドキュメンタリーというかの『戒厳令下チリ潜入記― ある映画監督の冒険』を買って読んだ。戒厳令下のチリに潜入したある映画監督が冒険をする話なんだけど、「ちょっとそれ不用意すぎませんかそれ〜」という行動がしばしば見られやきもきさせられたが、無事に出国できたようで何よりだった。
それから先日見かけた「ぼくは・きみたちが・すきだ」のツイートに触発され、村上春樹の『風の歌を聴け』を数年ぶりだと思うけれど、開き、読んだ。昨夜のことだ。

ジェイズ・バーを目指すとは言わないまでも | fuzkue

こちらにも書いたように高校の国語の授業でテキストとして使っていたもので、ひどくボロボロになっているし、ろくでもない書き込みがたくさんなされている。それを久しぶりに読んだ。語り手はちょうど今の僕と同じくらいの年齢だった。そのことを初めて認識した。

「ぼくは・きみたちが・すきだ」
これは思いですらない、祈りの言葉だと思った。ぼくはきみたちをすきでありたいという、願望であり、震えるような祈りの言葉だと思った。困難さを承知しているがゆえに発せられる無責任で切実な祈りの言葉だと思った。僕も同じ言葉を同じ態度で祈りたい。

昨夜読みながら寝、起きてから続きを読み(ビーチボーイズとグレン・グールドを聞きながら!)、読み終え、そのあとにツイッターを眺めていたら「ぼろっぼろの風の歌を聴けは(…)」というツイートを見かけた。僕の風の歌を聴けもぼろぼろなんです、昨日からちょうど久しぶりに読み返していたところで、というようなリプライを飛ばそうかとも思ったけれどやめた。

新宿でパウンドケーキの型やお菓子の材料など必要なものを買ったあと、立て続けにまったく別の方向からその名前を耳にした珈琲西武に行って茶をしばくことにした。そこで開いた。

「あれはきれいなことばづかいじゃない。おかあさんは、学校でらんぼうな生徒と口をきくなといっていた。きれいなおかあさん!入学式の日、お城の玄関でおかあさんがさよならをいったとき、ヴェールを鼻のところまで折り上げてキスしてくれた。鼻と目が赤かったけど、おかあさんが泣き出しそうなのに気づかないふりをした。きれいなおかあさんだけど、泣いてるときはあまりきれいじゃない。おとうさんはおこづかいにといって、五シリング銀貨を二つくれて、何かいるものがあったら手紙を書くようにといった。それから、どんなことがあっても、つげ口をしてはいけないよといった。お城のホールで校長先生がおとうさんおかあさんと握手をしたとき、校長先生の法衣(スータン)はそよ風にひらひらしてた。おとうさんとおかあさんの乗った馬車が走りだすと、おとうさんとおかあさんは馬車から声をかけ、手をふったっけ。
−−さようなら、スティーヴン、さようなら!
−−さようなら、スティーヴン、さようなら!」(P18−19)

学校入学時の回想のパラグラフだった。法衣がそよ風にひらひらしている様子がいい。Nice mother!というのもいい。ナイス・マザー。

お城であるところの学校はcollegeとなっていて、Kindleの辞書のcollegeの8項目に「(英・カナダ)私立中学校(public school)、(公私立の)6年級学校(six form college)」とあるけれど、これに当たるのだろうか。中学生?
法衣(soutane、聖職者の平服)を来た校長先生(rector、プロテスタント監督教会の教区教師、教会主管者、校長、修道院長)ってことは、なんか宗教色の強い学校?そもそもその時分の学校って宗教色が強いというか切り離せないものなのかな。どういう雰囲気なんだろうか。どうしようこのモヤモヤ。まいいか。

校長先生と握手をした両親が涙ながらに帰っていく入学の雰囲気って、桜の花の咲く頃に入学式にのんきな顔して行ってみたいな経験しかない僕にはいまいち感覚的にわからなく、ましてや両親と校長先生が握手なんて!みたいな感じなんだけど、こういうの寄宿学校っていうのかな。
とにかく彼スティーヴンは、どうやら親元を離れて今、学校で暮らしているらしかった。

スティーヴンの新生活。その入学の時分は9月とかなんだろうか。季節感がわからないし、今日はぽかぽかとした陽気の日で、あ、新生活の香り、というのが体感で何度もあった。ほとんど、空気中に伝わる音の調子すらも春のうららかさや丸みを帯びているような気がした。
そのアイルランドの作家の小説の1ページを読んだ後で開いた角田光代の短編集『さがしもの』には引っ越しの場面が、新たな生活の始まりの場面が、何度も出てきているような気がしている。彼らはたびたび始め直す。
本にまつわる短編集のようで、最初の「旅する本」にアイルランドが出てきた。語り手はそこで古書店に入り、かつて手放したその小説と3度目の邂逅を遂げた。それをパブでギネスを飲みながら読んだ。
読み進めると伊豆の河津が出てくる短編があった。ちょうど日曜日、3月15日、ファーマーズマーケットに向かう際に寄ったというか通った代々木公園で、梅だろうと思って近寄ったらあとで調べたら桜だったそれが、河津桜だった。
そのあとに表参道の方に出た時、緑色のコスチュームをまとった人たちがいくらかいて、きっとそれは「アジア最大のアイリッシュイベント」であるところの「セント・パトリックス・デー・パレード東京2015」の参加者だったのではなかったか。
なんもかんもが、と思いながらいくつか読み、それで店を出、店に行った。開店準備をおこなっていると酒屋さんが昨夜注文したギネスを届けにやってきた。春のおすすめで、といってパンフレットが開かれ、これなんかとてもいいですよ、と言って見せられたのが河津桜ビールだった。

photo by Sébastien Barré

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