『若い藝術家の肖像』を読む(9) アイルランド―歴史と風土

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昨日ファーマーズマーケットでたのけのこいもという初めて見る芋があったからそれを買った。どうも京芋とか海老芋とかの仲間だったり下手したら同じもので名前違いくらいの感じっぽい。さっそく煮物にしたらホクホクしていてとてもおいしかった。俺これ大好きな食感、と思った。 その足で青山ブックセンターに行き、オフェイロンの『アイルランド―歴史と風土』がないか探したがなかったのでエドガー・アラン・ポーの『黒猫・アッシャー家の崩壊』と池澤夏樹訳の『古事記』を買って帰った。
そのあとにAmazonで見てみたらそりゃ置いていないわけだ、絶版じゃないか、ということが知れた。たまに出くわすこういうたぐいの自分の不注意さに「そうですか」と思いながらポチッとして中古品をオーダーした。そのあとに本の紹介文のところを読んだら「精神史的考察」とあり、「精神史?考察?」となった。なんか普通に歴史学べたらよかったのだけど、ちょっと違う感じだったりするのかな、と懸念。なぜオーダーする前に読まなかったのか。度重なる不注意。
今日届いた。いま開いてみたら序文のところで「一般の歴史書で強調されている事件の大部分が省かれている。本書の主題は歴史的事件ではなく、知的精神である」とある。大部分か…。目的からするとまずい予感。でも内容は面白そうというか淡白に歴史が書かれているものよりよほど面白く読めそう。今日から読む。
それからこれも昨夜、Facebookのコメントで『アイルランドを知れば日本がわかる』という本を教えていただいた。
今はただアイルランドを知りたい、なんで主目的が日本を知ることになってるわけ、誰に訴求するためのこのタイトルなのか、という立場というか気分なので、おすすめいただかなければタイトルを見ても引っ掛からなかった本だろう。こういうのすごいありがたいわーどんどん教えていただきたいと思い、Amazonのページに行くととてもわかりやすくてよいみたいな感じのことが書かれていたので、これも読む。率先してAmazonで買うことはしない暮らしをしているので次に本屋に行ったときに探す予定。
どんどん『若い藝術家の肖像』が遠のいていく。遠のいている最中に興味が失われないことを祈るばかり。
でも意外に大丈夫というか高まりこそすれど低まるってこともないんだよな、興味。というのもおととし、ラテンアメリカ文学縛りをなぜか自分に課した一年の締めくくりとしてロベルト・ボラーニョの『2666』を読むにあたっても、二冊のメキシコの歴史本を読んだのだった。知らない国の歴史とかぺらーって読んでも覚えてなんていられなくて、どれだけ役に立ったのかはかなり怪しいのだけど、メキシコを学んでるあいだも2666楽しみだなーというのはずっと維持されむしろ高まっていったし、そしてそういう経緯を含んだ読書という体験それ自体がとても豊かなものだったように記憶している。
と言いつつもやっぱり読みたいんだよね早く。しかし遠い。いっそ読みはじめてしまってはどうか。